ヒット曲けんきゅうしつ

なぜヒットする?は証明できないと思います。誤字はちょっとずつ修正します。

「パートタイム・ラバー」スティービー・ワンダー(昭和60年)

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流行時期(いつ流行った?)

  スティービー・ワンダー(Stevie Wonder)さんの「パートタイム・ラバー」(PART-TIME LOVER)は、昭和60年(1985年)にヒットしました。

 

 オリコンランキングによると、10月初旬に発売されたレコードは、11月中旬~12月初めにかけてヒットしました。

 

 

同時期に流行った曲(昭和60年11月中旬~12月はじめ)

  小林明子さんの「恋におちて」小泉今日子さんの「なんてったってアイドル」が首位となっています。

 

 チェッカーズさんの「神様ヘルプ!」薬師丸ひろ子さんの「『野蛮人のように』より-ステキな恋の忘れ方-」レベッカさんの「フレンズ」がヒットしています。

 

 若者向けの音楽が、完全に流行の主役となり、そのなかで様々なジャンルの音楽が生まれ始めた時期であると感じます。

 

 


Stevie Wonder - Part-Time Lover

 

 

洋楽のシングル盤ヒット

  「パートタイム・ラバー」は80年代の洋楽らしさを感じます。例えが良くないかも知れませんが、聴いた印象が“良い感じのBGM”という存在に変化しているように感じられるからです。

 

 

 現在では、洋楽はアルバムチャートでの存在感が大きいです。昔のヒットチャートでは、シングル盤も定期的にヒットしていましたが、1970年代から減少傾向となり、ヒットの規模も縮小し始めました。

 翌1986~1989年は、洋楽シングル盤ヒットが1曲も誕生していません。洋楽のカバーで人気となった作品でも、原曲がヒットしませんでした。

 

 おそらく、日本のヒット曲のサウンドがポップス化した事が最大の要因であると感じます。日本人が作曲した作品でも、聴き手の欲求を満たせるようなサウンドを表現できるようになったからかも知れません。

 

 そして、レコード会社も「洋楽はもうシングルでは売れないみたいだし、アルバムで発売する事にしよう。」と判断されたように感じます。

 

 

無機質な打ち込みの16ビート

 “おしゃれなBGM”という印象を醸し出しているのがシンセサイザーの存在です。私は実物を見たことはありませんが、1970年代から登場したこの楽器はとても興味深い存在です。

 楽器と同時にコンピュータの側面を持つため、人間が演奏できない音色を出す事が可能になるからです。

 

 「パートタイム・ラバー」で言うと、終始刻み続けられる16ビートのリズムです。規則的に繰り返されるこのリズムは、とても人が演奏できるものでは無いと感じます。

 

 音色でも無機質さを感じる事ができます。1970年代のシンセサイザーは、温かみを感じますが、技術が進歩したのか1980年代には金属音のような冷たさを感じる音色で用いられるように変化したと感じます。

 

 マイケル・ジャクソンさんの『スリラー』(昭和58、9年)が登場した時期に変化している気がします。マイケル・ジャクソンさんをプロデュースされたクインシー・ジョーンズさんの「愛のコリーダ」(昭和56年)では、まだ温かみのある音色だと感じます。

 

 シンセサイザーはクールな響きを出すと同時に、無機質な繰り返しも出来るため、「スリラー」や「ゴーストバスターズ」のような、生命を持たないゾンビやゴーストを連想させる作品も誕生したのかな?と考えています(^_^;A。

 

 

楽曲分析

 「パートタイム・ラバー」はB♭マイナー(変ロ短調)です。

 

 スティービー・ワンダーさんもシンセサイザーの特性を理解されているようで、メロディも同じ繰り返しをすることを意識されているように感じます。コード進行もⅠmから順番に下降する進行が繰り返されています。

 ただ、同じメロディでもリズムを少し変化させるアレンジがされています。

 

 サビになると1オクターブ上の高さで歌われています。聴き手の立場では単純に“雰囲気の良い曲”と感じますが、それを表現するために多くのテクニックが用いられていると感じます。

 

 スティービー・ワンダーさんはリズムに合わせてアドリブの歌唱をされており、「パートタイム・ラバー」を簡単に歌いこなされている印象を受けてしまいます。

 しかし実際に楽譜を見ると、感じていたよりもボーカルの音域が広く、メロディのリズムも難しいので、改めて表現力の高さを感じます。

 なかなか聞き飽きない理由はこういったところにあるのだろう、と感じます。

 

 

曲情報

 発売元:ビクター音楽産業株式会社

 品番:VIPX-1820

 

 A面

  「パートタイム・ラバー」

  原題:PART-TIME LOVER

 

  TDK カセットテープAR TV-CF使用曲

 

 B面

  「パートタイム・ラバー(インストルメンタル)」

 

   原題:PART-TIME LOVER INSTRUMENTAL

 

 ARRANGER AND PRODUCED BY STEVIE WONDER

 Photography : Bobby Holland 

 

参考資料

 「パートタイム・ラバー」レコードジャケット

 「パートタイム・ラバー」ヤマハぷりんと楽譜

 「you大樹」オリコン

 「バンドプロデューサー5」

「禁じられた遊び」か「愛のロマンス」か?

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「愛のロマンス(禁じられた遊び)」ヴィセンテ・ゴメス

流行時期(いつ流行った?)

 フランス映画『禁じられた遊び』で度々登場するギターの旋律は、ナルシソ・イエペスさんが演奏されています。当時発売されたレコードの曲名が、映画のタイトルと同じでしたので、日本では「禁じられた遊び」というタイトルで広まったようです。

 

 日本では『禁じられた遊び』がリバイバルで上映された、昭和37年(1962年)にヒットしています。

 

 

<ナルシソ・イエペスさんの演奏>


Narciso Yepes : " Jeux interdits " ( 1952 )

 

 

 元々は古くから歌われていた民謡を、スペインのギター奏者であるヴィセンテ・ゴメスさんが編曲された作品です。

 1941年(昭和16年)に公開されたアメリカ映画『血と砂』で初めて演奏されており、その時のタイトルが「愛のロマンス」でした。

 

 時系列で考えると、この作品は「愛のロマンス」が正確なタイトルと考えられます。

 

 

 1962年には、ナルシソ・イエペスさんの盤もヴィセンテ・ゴメスさんの盤もヒットしています。

 

 

日本ではどちらがヒットした?

 当時のレコード情報誌『ミュージック・マンスリー』に掲載されているランキングによると、下記の表のような推移となっています。

 

 ヴィセンテ・ゴメスさんの盤は昭和34年6月に発売され、ナルシソ・イエペスさんの盤は3年後の昭和37年8月に発売されています。

 

集計日付

ヴィセンテ・ゴメス盤

(テイチク)

ナルシソ・イエペス盤

(キング)

昭和37年5月 17位 -
昭和37年6月 圏外 -
昭和37年7月 12位 -
昭和37年8月 4位 圏外
昭和37年9月 1位 圏外
昭和37年10月 4位 8位
昭和37年11月 8位 9位
昭和37年12月 圏外 6位
昭和38年1月 11位 19位
昭和38年2月 12位 8位
昭和38年3月 16位 15位
昭和38年4月 16位 19位
昭和38年5月 19位 18位
昭和38年6月 圏外 13位
昭和38年7月 20位 圏外

 

 

 ランキングの推移を見ると、当時の日本では、ヴィセンテ・ゴメスさんのレコードの方が人気が高かったように感じます。

 

 

予想外に人気を集めた作品?

 『禁じられた遊び』がリバイバル上映されたのが、1962年の何月か?は定かではありません。

 ヴィセンテ・ゴメスさんのレコードが突然売れ始めた事を考えると、5月以前ではないかと推測されます。

 

 

 映画が予想外の人気となった事を知ってから、本家のサウンドトラック盤であるナルシソ・イエペスさんのレコードが数カ月遅れて発売されているように感じます。

 

 映画で聴こえて来たメロディが心に残ったので、当時、レコード店に向かった方が多かったと思います。しかし、サウンドトラック盤が発売されていなかったため、やむを得ずヴィセンテ・ゴメスさんの盤を購入された方も多かったのかな?と考えたりもします。

 

 また、ヴィセンテ・ゴメスさん盤のレコードジャケットには、映画の主人公と思われる男の子と女の子の写真が印刷されていますので、勘違いして購入された方もおられるかも知れません(>_<)。

 加えて、ジャケットでは「禁じられた遊び(愛のロマンス)」と表記しているため、レコード会社の方が、映画の人気に便乗したジャケットにしたのかも知れません。

 

 

<ヴィセンテ・ゴメスさんの演奏>


www.youtube.com

注)Vicente Martinez Gomez - トピックの動画

 

 

 ヴィセンテ・ゴメスさんの演奏は、映画で流れていた音色よりも繊細で、やはりスペイン音楽特有の情熱的なギターの演奏となっています。

 

 同じメロディでも奏者が変わるだけでこんなに印象が変わってしまうところが、音楽の面白いところだと感じます。

 

 

同時期に流行った曲(昭和37年8月~11月)

 歌謡曲では、村田英雄さんの「王将」橋幸夫さんと吉永小百合さんのデュエット曲「いつでも夢を」が首位となっています。

 

 青春歌謡という言葉が当時存在したかどうか分かりませんが、北原謙二さんの「若いふたり」和田弘とマヒナスターズさんが吉永小百合さんと組んだ「寒い朝」と、若手歌手が歌う作品が多くなっているように感じます。

 

 その他には、西田佐知子さんの「アカシアの雨が止むとき」ハナ肇とクレイジー・キャッツさんの「ハイそれまでョ」ジェリー藤尾さんの「遠くへ行きたい」がヒットしています。

 

 洋楽では、ケニー・ボールと彼のジャズメンさんの「モスコーの夜はふけて」コレット・テンピア楽団さんの「太陽はひとりぼっち」が首位となっています。 

 

 シェリー・フェブレーさんの「ジョニー・エンジェル」コニー・フランシスさんの「ヴァケイション」パット・ブーンさんの「スピーディ・ゴンザレス」と、明るいメロディのアメリカン・ポップスが多くヒットしています。

 

 

 

楽曲分析

  ナルシソ・イエペスさん盤は、Eマイナー(ホ短調)から始まり、同主調のEメジャー(ホ長調)で終止しています。

 

 ヴィセンテ・ゴメスさん盤は、 E♭マイナー(変ホ短調)です。途中で同主調のE♭メジャー(変ホ長調)に変わる部分があります。

 

 

 シンプルなメロディが何度も繰り返されているため、記憶に残りやすいと感じますが、なかなか聴き飽きない不思議なメロディと感じます。

 

 

 曲情報

 ヴィセンテ・ゴメス盤

  発売元:テイチク株式会社

  レーベル:デッカレコード(DECCA RECORDS)

  品番:DS-133

  A面

   「愛のロマンス(禁じられた遊び)」

   原題:ROMANCE DE AMOR - Romanza

   演奏時間:2分50秒

 

  B面

   「セヴィリャーナスとパナデロス(血と砂)」

   原題:SEVILLANAS Y PANADEROS

   演奏時間:2分58秒

 

 

 ナルシソ・イエペス盤

  発売元:キングレコード株式会社

  レーベル:ロンドンレコード(LONDON RECORDS)

  品番:LED-260

  A面

   「禁じられた遊び 第一部」

   原題:JEUX INTERDITS 1st part

 

  B面

   「禁じられた遊び 第二部」

   原題:JEUX INTERDITS 2nd part

 

   昭映フィルム提供フランス映画「禁じられた遊び」主題曲

 

 

   1952年ヴェニス国際映画祭グランプリ/仏映画フェミナ賞/米アカデミイ賞外国映画賞/28年キネマ旬報ベストテン1位/文部省特選

 

   ルネ・クレマン監督・仏シルヴェル映画・昭映フィルム配給

 

参考資料

 「愛のロマンス(禁じられた遊び)」レコードジャケット

 「禁じられた遊び」レコードジャケット

 『洋楽シングルカタログ テイチク編』オールデイーズ

 『洋楽シングルカタログ キング編』オールデイーズ

 『ミュージック・マンスリー』月刊ミュジック社

 「バンドプロデューサー5」

「キサス・キサス・キサス」ナット・キング・コール(昭和34年)

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流行時期(いつ流行った?)

 ナット・キング・コール(Nat "King" Cole)さんの「キサス・キサス・キサス」(QUIZAS, QUIZAS, QUIZAS)は、昭和34年(1959年)にヒットしました。

 

 『ダンスと音楽』のランキング(下表)によると、昭和34年1月に発売されたレコードはロングセラーとなっています。

 4月から翌年2月にかけて、1年近くの間、ベストテンにランクインしています。

 

集計日付 順位
昭和34年2月 11位
昭和34年3月 12位
昭和34年4月 5位
昭和34年5月 7位
昭和34年6月 3位
昭和34年7月 2位
昭和34年8月 4位
昭和34年9月 2位
昭和34年10月 4位
昭和34年11月 7位
昭和34年12月 9位
昭和35年1月 8位
昭和35年2月 10位
昭和35年3月 19位

 

 6月に3位、7月に2位となっていますので、最もヒットしたのはこの時期かも知れません。

 

 

 レコードジャケットの解説では、「キング」をわざわざ「“キング”」と表現したり、「今までのナット・コール・ファンは」と記載されていますので、昔はナット・コールさんと呼ばれていたようです。

 いつから“キング”が付くようになったのかは分かりません。

 

 


Quizás, quizás, quizás - Nat King Cole

 

 

同時期に流行った曲(昭和34年6月、7月)

 ピーナッツ・ハッコーとボブ・クロスビーのボブ・キャッツさんの「プティット・フルール(小さな花)」が首位となっています。

 また、リカルド・サントス楽団さんの盤も人気となっています。

 この曲は日本で大人気だったらしく、ザ・ピーナッツさんが「可愛い花」というタイトルで日本語カバーした作品でデビューされています。

 

 ディーン・マーティンさんの「ライフルと愛馬」ニール・セダカさんの「恋の日記」がヒットしています。  

 

スペイン語のヒット曲

 スペイン語で歌われる「キサス・キサス・キサス」は、当時の新曲ではありません。歌詞カードの解説には「ラテンの名曲といわれ、今まで多くの歌手によって歌われています」と記載されています。

 

 

 日本はもちろん、アメリカでもスペイン語の曲がヒットする事は稀です。しかし、ヒットするときは爆発的な人気を得る、という不思議な特徴があります。

 

 「キサス・キサス・キサス」も1年ちかくヒットしていますので、当時ものすごく流行ったのだろうと推測できます。

 

 日本では昭和57、8年のフリオ・イグレシアスさんの「黒い瞳のナタリー」が最後かも知れませんが、アメリカでは「恋のマカレナ」(1996)や、「デスパシート」(2017)と、その年を代表する規模のヒット曲が生まれています。

 

 文化の違う人たちが聴いても「良い曲だね!」と感じさせる楽曲を作れるのはすごい事だと感じます。

 

 

楽曲分析

 「キサス・キサス・キサス」はDマイナー(ニ短調)です。サビでは同主調のDメジャー(ニ長調)に転調します。

 

 コールさんの歌唱も印象的で、歌い始めのAメロでは、低音が印象に残ります。転調するBメロでは、突然高音のメロディに変化してリズムも難しくなります。そして、再び低音のAメロに戻ります。

 ダイナミックな変化を感じる動きですが、巧みに歌いこなされていると感じます。

 

 

  イントロの部分は、Aメロよりも2度低いCマイナー(ハ短調)のようです。耳に残りやすい箇所をあえて変化させて、聴き手に「なんとなく不思議な感じ。」という印象を与えているようです。

 

 「キサス・キサス・キサス」は旋律的短音階で作られていますが、音楽的な変化を付けやすい(転調しやすい)音階かも知れません。

 サビ後のAメロで聴こえてくるピアノの音色も印象的で、美しいメロディが印象に残る作品です。

 

 

 曲情報

 発売元:東芝音楽工業株式会社

 レーベル:キャピトルレコード

 品番:7P-115

 A面

  「テキエロ・ディヒステ」

  原題:TE QUIERO, DIJISTE(Magic Is The Moonlight)

  演奏時間:2分48秒

 

 B面

  「キサス・キサス・キサス」

  原題:QUIZAS, QUIZAS, QUIZAS(Perhaps, Perhaps, Perhaps)

  演奏時間:2分43秒

 

参考資料

 「キサス・キサス・キサス」レコードジャケット

 『洋楽シングルカタログ 東芝編』オールデイーズ

 『ダンスと音楽』ダンスと音楽社

 『ラテン&フォルクローレ名曲全集』ドレミ楽譜出版社

 「バンドプロデューサー5」

「燃えよドラゴン」ラロ・シフリン(昭和49年)

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流行時期(いつ流行った?)

 ラロ・シフリンさんの「燃えよドラゴン」は、昭和49年(1974年)にヒットしました。

 同名映画『燃えよドラゴン(ENTER THE DRAGON)』の主題曲です。

 

 

 昭和48年12月末に発売されたレコードは、翌年3月ごろに最も高い順位を記録していますので、おそらくその頃にヒットしたのだと思われます。

 

 最高順位は20位以下ですが、ロングセラーとなっているため、多くの人たちの記憶に残っている作品と思われます。

 

 

同時期に流行った作品(昭和49年3月)

 小坂明子さんの「あなた」殿さまキングスさんの「なみだの操」が首位となっています。

 

 フィンガー5さんがブームとなっていたようで、「恋のダイヤル6700」「学園天国」がヒットしています。

 

 歌謡曲では渡哲也さんの「くちなしの花」がヒットしています。

 

 


Enter The Dragon(1973)-Main Theme

 

 

西洋が描く東洋のイメージ

 『燃えよドラゴン』は主役が「サンフランシスコ生まれ、香港育ちの中国人俳優」であるブルース・リーさんのヒーロー・アクション映画です。カラテを武器に悪の巨大組織に立ち向かう姿が描かれています。

 そのため映画の主題曲も、東洋をイメージした曲調となっています。

 

 東洋らしさは、聴こえてくる楽器の音色で感じられます。メインの楽器はシンセサイザーですが、背後に吹き込まれている“西洋人がイメージするカラテのおたけび”や“拍子木で刻まれるリズム”が、東洋らしさを演出できていると感じられます。

 

 私は中国に行ったことがありませんが、日本人が空想する中国の音楽も、この作品に近いかもしれません。当時の中国のヒット曲も存じ上げませんが、多分、違うと思われます…。

 

 勝手に描く他国のイメージ、この作品でも、作曲された方が知らぬ間に身に着けた中国に対するステレオタイプで音楽が製作されたのではないか、と根拠のない想像をしていますが、聴き手にとっても、頭で描く中国音楽の固定概念と一致する雰囲気を持つ曲調のように感じます。

 聴き手に対して、「そうそう、こんな感じ!」というイメージを膨らませるように働きかけているように感じます。この共感が支持された理由かな?と考えます。

 

 

聴き手の気分を盛り上げる演奏曲

 この時代、歌唱が無い映画主題曲がヒットする事は珍しくはありません。ただし、「白い恋人たち」(昭和44年)や「ある愛の詩」(昭和46年)、「ゴッド・ファーザー」(昭和47年)等、オーケストラが演奏する美しいメロディの作品ばかりでした。

 

 「燃えよドラゴン」は、アクション映画の主題曲で、聴き手の気分を高揚させるメロディが特徴です。こういったタイプの作品がヒットしたのは珍しい事だと感じます。

 

 ヒーローものの映画主題曲で考えると、ジョン・バリー楽団さんの「007のテーマ」(昭和39年)を聴いた時の印象に似ています。

 また、数年後にビル・コンティさんの「ロッキー主題曲」(昭和52年)がヒットしますが、こちらもオーケストラの演奏ながら、聴き手の気持ちを熱くさせてくれる演奏曲です。

 

 エレキギターやシンセサイザーといった、新しい電子楽器の登場で、このタイプの作品が誕生する事になったのかも知れません。

 

 

楽曲分析

 私の「バンドプロデューサー5」の分析では、「燃えよドラゴン」はGマイナー(ト短調)です。自信はありません。

 

 今のところ、使われている音階がよく分かりません。東洋的な音階なのかもしれません。判明しましたら追記致します…。

 

 

 曲の途中から聞こえてくる、ファミコンの音のような謎のピョンピョン跳ねるようなシンセサイザーの音色は、エマーソン・レイク&パーマーさんの『展覧会の絵』に似た印象を受けます。

 

 「燃えよドラゴン」は、70年代の音楽に大きな影響を与えた楽器・シンセサイザーが出せる音色を取り入れた作品、という性質も備えており、シンセサイザー登場初期の前衛的な試みが楽しめる作品でもあると感じます。

 

 

曲情報

 発売元:ワーナー・パイオニア株式会社

 品番:P-1264W

 

 ワーナー映画が正月に贈る最大の娯楽巨編!話題騒然!アメリカで猛烈な興収記録を作ったオリエンタル・アクションブームの最高作。<ブリット>等数々の名作を生む巨匠ラロ・シフリンのヒット・メロディ

 

 A面

  「燃えよドラゴン」

  原題:THEME FROM ENTER THE DRAGON

  作曲・指揮:ラロ・シフリン

  演奏時間:2分23秒

 

 B面

  「ビッグ・バトル」

  原題:THE BIG BATTLE

  作曲・指揮:ラロ・シフリン

  演奏時間:3分31秒

 

参考資料

 「燃えよドラゴン」レコードジャケット

 「you大樹」オリコン

 『永遠のポップス2』全音楽譜出版社

 「バンドプロデューサー5」

「ハートブレーク・ホテル」エルヴィス・プレスリー(昭和31年)

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流行時期(いつ流行った?)

  エルヴィス・プレスリーさんの「ハートブレーク・ホテル」は、昭和31年(1956年)にヒットしました。

※現在では、“ハートブレーク”ではなく“ハートブレイク”と表記されますが、当時は“ハートブレーク”でした。

 

 音楽雑誌『ダンスと音楽』のSP盤(蓄音器で再生する78回転盤)のヒットチャートでは、昭和31年の8月~11月にかけて5位圏内にラインクインしています。おそらく、この時期に最も流行したと推測されます。

 

 EP盤(電気式蓄音器で再生する45回転盤)は7月に発売されていますが、当時普及し始めた頃だったようです。

 『ダンスと音楽』がEP盤を集計を始めるのは翌年以降のため、EP盤の流行規模は不明です。

 

集計日付 SP盤の順位 EP盤の順位
昭和31年06月 9位
昭和31年07月 7位
昭和31年08月 2位
昭和31年09月 3位
昭和31年10月 4位
昭和31年11月 3位
昭和31年12月 6位
昭和32年01月 8位 4位
昭和32年02月 10位 7位
昭和32年03月 15位 圏外

※『ダンスと音楽』のランキング推移

 

同時期に流行った作品

 『ダンスと音楽』は、洋楽盤のランキングしか掲載しておりませんので、どのような歌謡曲が流行っていたかは分かりません。

 

 スリー・サンズさんの「誇り高き男」ドリス・デイさんの「ケ・セラ・セラ」パーシー・フェイス楽団さんの「シンシアのワルツ」などがヒットしています。

 ヴィクター・ヤング楽団さんの「エデンの東」もロングセラーとなっています。

 

 前年(昭和30年)に登場したロックン・ロールの流行が続いており、ジーン・ヴィンセントさんの「ビー・バップ・ア・ルーラ」も、下位の順位ですが人気を得ています。

 

 街頭テレビが人気で、家庭に普及していない時代のため、映画やラジオから流れる音楽が流行の発信源になっていたようです。

 


Elvis Presley - Heartbreak Hotel (Audio)

 

ロックン・ロールとして紹介されていない作品

 エルヴィス・プレスリーさんが歌うこの作品が、ロックン・ロール人気の火付け役になったと捉えています。

 

 しかし、「ハートブレーク・ホテル」の歌詞カードの解説には、ロックン・ロールやロカビリーという単語は登場しません。

 

 エルヴィス・プレスリーさんの事を、

 『ウエスターン・ミュージック界に彗星のように登場』、

 『亡きハンク・ウイリアムスの跡を襲う有望な新人』と紹介しています。

 

 作品についても、

 『リズム・アンド・ブルースの雰囲気を新しくとり入れウェスターン・ミュージック界に新鮮な魅力を導入』と表現しています。 

 

 

 現在ではロックン・ロールに該当する作品と定義されているため、 

  R&B + カントリー = ロックン・ロール

 という事になりそうです。

 

 

日本語カバー盤

 小坂一也とワゴン・マスターズさんが、1番は英語、2番以降は日本語訳でカバーされています。レコードには「56.10」と印字されていますので、10月に発売されたと思われます。

 そして、この年の紅白歌合戦に出場し、「ハートブレーク・ホテル」を歌唱されています。

 

 小坂一也さんは洋楽を日本語カバーで歌う歌手として活躍されていました。担当するジャンルはカントリー系の作品が多かったため、その流れでこの作品を日本語カバーする事になったのだと思われます。

 

 カントリーの日本語カバー歌手として活躍されていたため、2年後に登場するロカビリー歌手とは音楽性が異なるかも知れません。

 

 ハートブレーク・ホテル(傷心のホテル)は、恋人の女性にフラれた男の子が1人で泊まる場所として描かれています。

 主人公が失恋の悲しみに暮れるためにそこへ向かう様子が歌われています。

 

 最後の5番は、「もしも、あなた(曲を聴いている人)が失恋で同じ悲しみに暮れているとしたら、その悲しみを胸に抱いて生きるのか、立ち直れないくらい傷ついているから死を選ぶのか。それはあなたの好きなようにしたら良い。」という意味になっています。

 

 日本の歌謡曲では表現されなかった価値観が突然出てくるため印象に残りました。日本語カバーは、海外の価値観を日本にもたらす役割を持っているように感じました。

 

楽曲分析

 「バンドプロデューサー5」の分析では、エルヴィス・プレスリーさん盤も小坂一也さん盤も、E♭メジャーです。

 

 4分の4拍子ですが、1拍が3連符になっていたり、ターッタとなっていたりするメロディラインが特徴だと感じます。一本調子でなく変化の激しい点がリズム・アンド・ブルースの特徴なのでしょうか。

 

 また、伴奏の演奏が必要最小限に削っていると感じるくらい、聴こえてくる音が少なく、間奏のピアノや最後のウッドベースの音色も印象に残る作品です。

 

曲情報

 エルヴィス・プレスリーさん盤(EP盤)

 

  発売元:日本ビクター株式会社

  品番:ES-5042

  A面

   「ハートブレーク・ホテル」

   原題:HEARTBREAK HOTEL

 

  B面

   「たゞひとりの男」

   原題:I WAS THE ONE

 

 小坂一也とワゴン・マスターズさん盤(EP盤)

 

  発売元:日本コロムビア株式会社

  品番:SB-6

  A面

   「ハートブレーク・ホテル(傷心のホテル)」

   原題:HEARTBREAK HOTEL

   訳詞:服部レイモンド

   作詞・作曲:アックストーン、ダーデン、プレスリー

   編曲:服部レイモンド

   歌:小坂一也とワゴン・マスターズ

 

  B面

   「サヨナラの唄」

   原題:THE JAPANESE FAREWELL SONG

   作詞:奥山靉

   作曲:モルガン

   編曲:馬渡誠一

   歌:旗照夫

 

   コロムビア女声合唱団

   コロムビア・オーケストラ

 

参考資料

 「ハートブレーク・ホテル」エルヴィス・プレスリー レコードジャケット

 「ハートブレーク・ホテル」小坂一也とワゴン・マスターズ レコードジャケット

 『洋楽シングルカタログ RCA編』オールデイーズ

 『ダンスと音楽』ダンスと音楽社

 『永遠のポップス①』全音楽譜出版社

 「バンドプロデューサー5」

「夢みるシャンソン人形」フランス・ギャル(昭和40年)

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流行時期(いつ流行った?)

  フランス・ギャルさんの「夢みるシャンソン人形」(原題:POUPÉE DE CIRE, POUPÉE DE SON[訳:蝋の人形、歌う人形])は、昭和40年(1965年)にヒットしました。フランス語のヒット曲です。

 

 当時の音楽雑誌に掲載されていたランキングによると、9月から11月にかけてヒットしています。

 

 フランス・ギャルさんご自身が日本語で歌唱された盤も同時期に登場しています。

※この時代は、海外の方がわざわざ日本語で吹き込んでくれる事は珍しい事ではありません。

 

集計日付 順位
昭和40年8月 8位
昭和40年9月 1位
昭和40年10月 1位
昭和40年11月 3位
昭和40年12月 7位

※『ミュージックマンスリー』洋楽ポピュラーのランキング推移

 

同時期に流行った曲(1965年9月~11月)

  この時期の洋楽では、「キャラバン」「クルーエルシー」と、この年にブームとなったベンチャーズ旋風が続いている印象があります。ビートルズさんは「ヘルプ!」がヒットしています。

 その他では、クロード・チアリさんの「夜霧のしのび逢い」や『サウンド・オブ・ミュージック』の劇中歌「ドレミの歌」がヒットしています。映画関連の作品です。

 

 歌謡曲のランキングでは、和田弘とマヒナスターズ、田代美代子さんの「愛して愛して愛しちゃったのよ」の人気が群を抜いており首位となっています。その他では、石原裕次郎さんの「二人の世界」舟木一夫さんの「高原のお嬢さん」などがヒットしています。

 


France Gall - Poupée de cire, poupée de son (1965) Stéréo HQ

 

ユーロビジョンって何?

 レコードジャケットに印字されている宣伝文句に「ユーロビジョン・ソング・コンテスト優勝曲」と印字されています。

 

 歌詞カードの解説によると、ユーロビジョン=『西欧を結ぶTV放送網』の事です。テレビジョンになぞらえたネーミングのようです。

 

そして、このTVを通じて、『西欧各国から代表曲一つを提出、夫々の国の代表歌手が出場して歌を競い、審査員が投票によって優勝曲を決める』大会が年に1度開催され、そのイベントがユーロビジョン・ソング・コンテストと呼ばれているようです。

 

 第1回は1956年と、グラミー賞よりわずかに早く始まり、現在も続く歴史のあるイベントのようです。

 

ユーロビジョン・ソング・コンテスト公式サイト:https://eurovision.tv/events

※開催国を軸にしているため、分かりにくいサイトですが、1965年でイタリアのナポリで開催されたコンテストで、「夢みるシャンソン人形」がグランプリとなっています。フランス代表ではなく、ルクセンブルク代表の作品だったようです。

 

メロディが印象に残る作品

 歌唱している言語はフランス語で、私は知識が無いため、歌詞に共感する事は出来ません。しかし、良い曲だなぁ、と感じます。おそらく、この作品に共感する気持ちが生まれるのは歌詞以外と感じます。

 

 私が感じたのは、聴きなれない言語で歌われる覚えやすいメロディです。

 

 楽譜を見ると、歌い出しのメロディは、四分音符でド・ド・シ・ラ・ソ・ファ・ミ・ミと、シンプルにドレミファソラシドの音を段階的に下げているだけです。

 

 しかし、ボーカルが出せる最も高い音からメロディが始まっている点は珍しいと思います。歌が始まると同時に聴き手の心をつかむ手法なのかも知れません。この作品を聴いて最も印象に残るのは、このフレーズですので・・・。

 

日本では定着しなかったユーロビジョン優勝曲

 公式サイトで歴代の優勝曲を見ても、日本ではなじみがなく、知らない作品ばかりです。

 しかし、当時の日本ではもちろん無名の音楽祭で、ユーロビジョン優勝曲の知名度を上げようとしてか、レコードジャケットの宣伝文句に採用されたのだと思います。

 

 それは前年、1964年のユーロビジョン優勝曲であるイタリアのジリオラ・チンクェッティさんの「夢みる想い」(原題:NON HO L'ETA(PER AMARTI)[訳:あなたを愛することは若すぎる])が大ヒットしたからと推測されます。

 「夢みる想い」は、レコードジャケットの解説では、イタリア国内の音楽祭であるサン・レモ音楽祭優勝曲として紹介されていました。おそらく、後々ユーロビジョンで優勝したようです。

 

 どちらも邦題が「夢みる」で始まるタイトルである事は興味深いです。“ヨーロッパの作品で、若手の女性歌手が歌った曲”という共通点がありますが、日本ではそのステレオタイプというか、レッテルを貼ったのだろうと推測されます。

 

 残念ながら、ユーロビジョン優勝曲がヒットしたのはこの2年間のみです。翌年の優勝者が男性だったからでしょうか。

 ちなみに、後年「別れの朝」の原曲となる作品を発表されるウド・ユルゲンスさんが優勝しています。

 

楽曲分析

 「バンドプロデューサー5」の分析では、「夢みるシャンソン人形」はFマイナー(ヘ短調)です。

 

 同じメロディが繰り返される作品ですので、曲の後半に半音上げる等の盛り上がりをしても良いのではないか?と感じますが、聴き手に伝えるために、あえて移調を避けて分かりやすさを重視した作品であると感じます。 

 もしかしたら、ユーロビジョン・ソング・コンテストでは、メロディではなく歌詞の内容が評価されたのかも知れません。

 

曲情報

 発売元:日本ビクター株式会社

 品番:FL-1173

 A面

  「夢見るシャンソン人形」

  原題:POUPÉE DE CIRE, POUPÉE DE SON

 

 B面

  「ジャズる心」

  原題:LE COEUR QUI JAZZE

 

 1965年度ユーロビジョン・ソング・コンテスト優勝曲

 

 フランスの新星フランス・ギャルの優勝曲、

 ヨーロッパで大ヒット中!!

 

参考資料

 「夢見るシャンソン人形」レコードジャケット

 「夢見る想い」レコードジャケット

 『ミュージックマンスリー』月刊ミュジック社

 『永遠のポップス2』全音楽譜出版社

 「バンドプロデューサー5」

 

今週のお題「わたしの自由研究」

「ケアレス・ウィスパー」ワム!(昭和59年)

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流行時期(いつ流行った?)

 ワム!(Wham!)さんの「ケアレス・ウィスパー(CARELESS WHISPER)」は昭和59年(1984年)にヒットしました。8月末に発売され、オリコンランキングによると12月に最もヒットしています。

 レコードジャケットには、「フューチャリング ジョージ・マイケル」と記載されています。この作品でボーカルを務めておられる方です。

 

 ウィスパーはあまり聴きなれない英単語ですが、レコードジャケットの対訳では「軽率な告げ口」という意味で表現されています。親友が主人公に告げた言動が物語の始まりだったようです。

 

同時期に流行った曲(1984年12月)

 シングル盤では洋楽がヒットしづらくなり始めた時期ですが、テリー・デサリオさんの「オーバーナイト・サクセス」もヒットしています。

 

 この年は、チェッカーズさんがブレイクした年で、12月には「ジュリアに傷心」が首位となっています。

 1980年代はアイドルブームが印象に残りますが、この時期には中森明菜さんの「飾りじゃないのよ涙は」菊池桃子さんの「雪にかいたLOVE LETTER」松田聖子さんの「ハートのイヤリング」がランクインしています。

 

 女性アイドルの活躍が目立ちますが、男性がボーカルの作品で人気となっていたのは安全地帯さんの「恋の予感」井上陽水さんの「いっそセレナーデ」です。

 

 西城秀樹さんが「抱きしめてジルバ」というタイトルで日本語カバーされた盤もこの時期に登場しています。

 郷ひろみさんも「どこまでアバンチュール」のB面に日本語カバーを吹き込んでおられます。日本でも人気が高かった作品のようです。

 

 


George Michael - Careless Whisper (Official Video)

 

メロディが印象に残る作品

 「ケアレス・ウィスパー」はメロディが良いと感じる作品です。イントロで流れるサックスのソロ演奏を耳にした時点で、曲の続きを聴きたくなります。

 

 B面がインストールメンタルになっておりますので、製作された方も美しいメロディをセールスポイントにしていたのかも知れません。

 

 「印象的なイントロに何か秘密があるのかな?」と思って、楽譜を見ても特徴が見出せません。1小節ずつ、Dm Gm7 B♭ Amで繰り返されており、凝っている感じはしません。

 メロディも、同じかたまりをちょっとずつ音の高さを下げているだけです。これだけで聴き手の心をつかめるのは音楽の興味深いところです。

 

 

 イントロがシンプルだったので、「私でも鍵盤で弾けるかな?」と思ったのですが、それ以降がすごく難しかったです。

 わざと区切り位置をずらすようなメロディ、シンコペーションというのでしょうか、リズム感の無い私は弾けませんでした。16分音符がたくさん出て来る作品でずらされたら、お手上げです。

 

 「ケアレス・ウィスパー」のおシャレな雰囲気は、16ビートのリズムを意識したジョージ・マイケルさんの歌唱によって支えられていると感じました。 

 聴くだけでは、バラードによくあるゆっくりしたテンポの作品ですので、楽譜を見るまでは16ビートとは思っていませんでした。

 

 曲を聴いて「良い曲!」と感じるか、特に何も感じないかの違いは、何だろう?と考えていますが、リズムも重要な要素と感じます。

 もし決められた拍どおりに歌唱していたら、いくらメロディが良くても味気ない作品になってしまうと思いますので。

 

楽曲分析

 「バンドプロデューサー5」の分析では、「ケアレス・ウィスパー」はDm(ニ短調)です。テンポ(BPM)は75です。

 

曲情報

 発売元:株式会社EPIC・ソニー

 品番:07・5P-304

 A面

  「ケアレス・ウィスパー」

  原題:CARELESS WHISPER

  解説:ミュージック・ライフ編集長 東郷かおる子

  訳:沼崎敦子

 

 B面

  「ケアレス・ウィスパー(インストゥルメンタル)」

  原題:CARELESS WHISPER(INSTRUMENTAL)

 

 悲しいサヨナラ・・・・・・

 そう、もう君はいない

 ワム!の新録ラヴ・バラード・ナンバー

 

 THIS RECORD IS DEDICATED TO MY MOTHER AND FATHER

 

 WRITTEN BY GEORGE MICHAEL AND ANDREW RIDGELEY IN 1981

 ARRANGED AND PRODUCED BY GEORGE MICHAEL

 

参考資料

 「ケアレス・ウィスパー」レコードジャケット

 「抱きしめてジルバ」レコードジャケット

 「you大樹」オリコン

 『全音歌謡曲大全集6』全音楽譜出版社

 「バンドプロデューサー5」

「うつろな愛」カーリー・サイモン(昭和48年)

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流行時期(いつ流行った?)

 カーリー・サイモンさんの「うつろな愛」(原題:YOU'RE SO VAIN)は昭和48年にヒットしました。

 

 当時のオリコンランキングによると、ベストテンにはランクインしておりませんが、昭和48年の3月下旬から5月初めにかけてヒットしていたようです。

 


Carly Simon - You're So Vain

 

 

同時期にヒットしていた曲

 この作品がヒットしていた当時は、ガロさんの「学生街の喫茶店」天地真理さんの「若葉のささやき」が首位となっていました。そのほか、郷ひろみさんの「愛への出発」大信田礼子さんの「同棲時代」がランクインしています。

 洋楽では、アルバート・ハモンドさんの「カリフォルニアの青い空」もヒットしていました。

 

 宮史郎とぴんからトリオさんの「女のねがい」もヒットしていますが、作品数で考えると、若者向けのフォークやアイドルが全盛時代になっていると感じるランキングです。

 

 

1970年代は洋楽シングル盤の衰退期

 “日本人が作曲したポップスがヒットする現象”は、1960年代後半に起きたフォークソングやグループサウンズのブームがきっかけに発生し、後の日本の音楽業界に定着しました。

 “ポップス=海外の音楽”という価値観は1960年代後半までです。

 

 ポップスに対するこの価値観の変化によって、洋楽のシングル盤ヒットの作品数や流行の規模は、かなり縮小しました。

 

 

 音楽を製作する側、表現する側は、戦前から海外の音楽文化を取り入れていましたが、この現象を支えたのは、製作されたレコードを購入する側、聴き手の価値観に変化が起きたからだと考えます。

 

 “日本人が海外の音楽表現を模倣した作品を発表する事”に、何の抵抗も感じなくなる世代が登場したのが、この年代に生まれた価値観だと感じます。

 

 

既聴感のあるサウンド

 「うつろな愛」は洋楽シングル盤にとっては逆境の時代に発売されたためか、小規模のヒット作として記録されているように感じます。しかし、規模が小さいながらも半年間ランクインしたロングセラー作品です。

 

 しかし、音楽について素人の私でも、「どこかで聴いた事があるようなメロディだなぁ。」と感じる作品です。

 

 その理由が音楽でよく見聞きするコード進行なのかな?と考えていましたが、この作品の場合は使用している音階に理由があるようです。

 

 この作品は、ほぼ26抜き短音階でメロディが作られています。長音階ならば、47抜き長音階の「ドレミ〇ソラ〇」の音で作られている作品です。4つめのファと7つめのシを用いない音階です。

 

 この音階は、日本の演歌でも海外のポップスでもよく見かける音階です。音が少ない分、耳に残りやすいメロディになります。

 この47抜き音階を悲しみを帯びた短調に転用した作品は、同じくらいあってもいいのに、なぜかあまり見かけません。

 

 音楽知識を持たない人たち、それほど意識していなくても聞こえてくるメロディが覚えやすい事は、流行するきっかけになります。

 

 「うつろな愛」を初めて聞いた時に、どこかで聴いた事があるように感じる理由は、26抜き短音階のメロディのシンプルさであると考えます。

 

 

楽曲分析

 「バンドプロデューサー5」の分析では、D♭メジャーです。前半はB♭マイナーですが、サビの部分で並行調に転調して、D♭メジャーで終止しているようです。

 

 レコードを売るためのメロディという印象を受けてしまう作品ですが、なかなか聴き飽きず、印象に残る作品です。聴いていて心地よいと感じるのは、歌唱やリズムの取り方で工夫がされているからだと思います。

 

 

曲情報

 発売元:ビクター音楽産業株式会社

 品番:JET-2159

 A面

  「うつろな愛」

  原題:YOU'RE SO VAIN

  演奏時間:4分17秒

 

 B面

  「フォンド・オブ・ロビン」

  原題:HIS FRIENDS ARE MORE THAN FOND OF ROBIN

  演奏時間:3分

 

参考資料

 「うつろな愛」レコードジャケット

 「You大樹」オリコン

 「バンドプロデューサー5」

   

「1.2.3.4.ギミー・サム・モア」D.D.サウンド(昭和53年)

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流行時期(いつ流行った?)

 D.D.サウンドさんの「1.2.3.4.ギミー・サム・モア」は、1970年代後半のディスコブーム期に登場しました。1970年代のディスコ・サウンドの作品です。

 

 ちょうど数々のディスコサウンドを用いた映画、『サタデー・ナイト・フィーバー』がヒットしていた1978年8月に最も流行しました。

 1978年の夏休みの時期、ディスコサウンドが最高潮となっていた時期です。

 

 


DD Sound - 1, 2, 3, 4, Gimme Some More 1978

 

 この作品は、オリコンランキングでは20位にも届いていないため、それほどヒットはしていません。しかし規模が小さいながらもロングセラーとなっていますので、もしかしたら、当時どこかで耳にされた事のある作品かも知れません。

 

聴いて楽しいディスコ・サウンド

 洋楽のシングル盤がランキングから姿を消し始めた1970年代の日本では、このディスコブームを機に様々な洋盤が登場しました。

 

 当時のレコード会社は、ディスコ調の作品なら何処からでも輸入したようです。中古レコード店で、この年代のディスコサウンドのシングル盤が、ソウルやファンクのジャンルにたくさん陳列されています。

 

 そのほとんどが、知らない曲ばかりです。それらのレコードは「きっと、当時のディスコで、BGMとして使われていたのだろう。」と思います。

 

 ディスコサウンドは、後年の評価がそれほど高くないと感じる音楽ジャンルです。どこかで見聞きした記憶では、次から次へと新譜を発売した、という意味で、他のジャンルに比べて消費が激しかったようです。

 

 従来は、レコード会社がターゲットにするのは個人です。個人が聴くためのレコードであるのに対し、ディスコサウンドは、みんなで踊るためのレコードという役割を担っているため、評価が難しいところがあると思います。

 

 数あるディスコ盤のなかで支持を集めた「1.2.3.4.ギミー・サム・モア」は、踊るためのBGM作品にとどまらず、「聴いていても心地良い曲だ」と感じさせる要素があったのだと思われます。

 

 

ヨーロッパ発のヒット曲

 歌詞は英語ですが、ヨーロッパの作品です。具体的な国名はジャケットの解説には記載されていませんが、やはりアメリカの音楽とはちょっと違う印象を受けます。

 

 聴こえてくる音の割合に違いがあるかも知れません。歌なので、ボーカルがメインのはずです。

 

 曲を聴いた後、脳内でメロディが再生される事がありますが、アメリカの作品が、ボーカルが6で、演奏が4くらいの割合で印象に残ると仮定したら、ヨーロッパの作品は演奏もボーカルと同等、5:5の関係になっているように感じます。

 

 ボーカルの歌うパートだけでなく、間奏や息継ぎの間の合いの手も印象に残ります。このような作品は、「歌手は何と言っているんだろう」とか、「歌詞を聞き取ろう」という姿勢で聴く気が起きません。

 

 それは、D.D.サウンドさんが奏でる演奏によるものだと考えられます。歌詞カードの解説によると、このグループのメンバーは16人で構成されているようです。

 

 様々な楽器を担当される方がおり、小規模ながらも電子楽器を用いる等して、オーケストラに近い音の多様さを備えた作品です。

 

 ボーカルが入っているものの、大人数で構成されたバンドが演奏した「1.2.3.4.ギミー・サム・モア」は、「ハッスル」(昭和50年)や「ソウル・ドラキュラ」(昭和51年)のようにディスコのイージーリスニングでも通用するサウンドを表現しているように感じます。

 

 

 「バンドプロデューサー5」の分析では、Aメジャー(イ長調)です。

 

 

曲情報

 発売元:日本フォノグラム株式会社

 品番:SFL-2290

 A面

  「1.2.3.4.ギミー・サム・モア」

  原題:1,2,3,4, GIMME SOME MORE

  演奏時間:3分31秒

 

 B面

  「ブギー・ベース」

  原題:BOOGIE BASS

  演奏時間:4分18秒

 

参考資料

 「1.2.3.4.ギミー・サム・モア」レコードジャケット

 『オリコンチャート・ブック アーティスト編全シングル作品』オリコン

 「バンドプロデューサー5」

「朝日のあたる家」アニマルズ(昭和39年)

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流行時期(いつ流行った?)

 当時、レコード店の販促冊子『ミュージックマンスリー』に掲載されていた月間ランキングによると、アニマルズさんの「朝日のあたる家」は、昭和39年の11、12月にかけてヒットしたようです。

 

集計日付 順位
昭和39年10月 18位
昭和39年11月 2位
昭和39年12月 2位
昭和40年1月 4位
昭和40年2月 11位

※『ミュージックマンスリー』洋楽ランキングの推移

 

 

 


The House of the Rising Sun

注)The Animals 公式アーティストチャンネルの動画

 

 

 東京五輪の開催後に登場したグループ

 昭和39年(1964年)は、日本では東京オリンピックが開催された年です。昔は、東京オリンピックの開会式が行われた10月10日を体育の日として祝日に制定されていましたが、アニマルズさんの「朝日のあたる家」がヒットし始めたのは翌月の11月です。

 

 【東京オリンピックの開催後】という事は、ヒットチャートの歴史では、【ビートルズさんの登場後】と表現する事もできます。

 

 オリコンが始まったのが1968年なので、1960年代の正確な記録が残っていない日本では、昭和39年に登場したビートルズさんの人気が、伝説化されているように感じます。

 

 しかし、アニマルズさんの「朝日のあたる家」も、後の日本の流行歌に大きな影響を与えた作品であると捉えています。

 

 

後世の歌謡曲に影響を与えた「朝日のあたる家」

 私が「朝日のあたる家」の表現力に感動したのは、全力で歌唱するボーカルです。

 

 レコードジャケットの表紙には「(コーラス)アニマルズ」と印字されていますが、この作品を聴いて、『ビートルズさんの作品と同じように、コーラスのハーモニーが素晴らしい』と感じた方はおられないと思います。

 

 当時レコードを購入された方は、「1人の男性ボーカルが、自分が発声できる音域で精一杯歌唱する歌声」に心を揺さぶられた事と思います。

 

 楽譜で確認すると、歌い出しの最低音と、サビの最高音の差がちょうど2オクターブになっています。

 

 曲を聴いた方にとっては、サビが最も印象に残っていると思います。この歌唱を“絶叫”と表現すると違和感があるかも知れません。

 表現する側のアニマルズさんが、作品で描こうとしている想いを表現するために、全力で出せる音域で歌唱したフレーズが多くの人たちの心に届いた事と思います。

 

 ビートルズさんも表現しなかった“叫び”を表現している事が、「朝日のあたる家」の個性であると感じます。

 聴き手の心のうちに秘めた感情に届くような歌唱であると感じます。

 

 この曲がヒットするまで、感情をむき出しにするヒット曲は登場しませんでしたが、翌年に登場する美樹克彦さんや、2年後に登場する布施明さんの作品に影響を与えたのではないか?と考えています。 

 

楽曲分析

 バンドプロデューサー5の分析では、「朝日のあたる家」はAマイナー(イ短調)です。♪ツツツタタタの、ロッカバラード(スローロック)も、日本人が好むリズムのため支持を集めたのかも知れません。

 

曲情報

1964年 年間24位(洋楽)、1965年 年間34位(洋楽)

 

 

レコード

 発売元:東芝音楽工業株式会社

 品番:OR-1146

 A面

  「朝日のあたる家」

  原題:THE HOUSE OF RISING SUN

  演奏時間:4分26秒

 

 B面

  「トーキン・アバウト・ユー」

  原題:TALKIN' ABOUT YOU

  演奏時間:1分51秒

 

参考資料

 「朝日のあたる家」レコードジャケット

 『ミュージックマンスリー』月刊ミュジック社

 『永遠のポップス①』全音楽譜出版社

 「バンドプロデューサー5」

「モスコーの夜はふけて」ケニー・ボールと彼のジャズメン(昭和37年)

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流行時期(いつ流行った?)

  ケニー・ボールと彼のジャズメンさんの「モスコーの夜はふけて」(MIDNIGHT IN MOSCOW)は、昭和37年(1962年)にヒットしました。

 

当時の音楽雑誌のランキング推移は下記の通りです。

 

集計日付 順位
昭和37年6月 12位
昭和37年6月 14位
昭和37年7月 5位
昭和37年8月 1位
昭和37年9月 4位
昭和37年10月 12位

※『ミュージック・マンスリー』誌の洋楽ランキング

 

 

 

 

 当時は7月から9月の夏の時期にヒットしたようです。8月に首位を獲得しているので、かなり流行した作品ではないか、と感じます。

 

 

ヒット曲でたまに見かけるテクニック

 「モスコーの夜はふけて」は、メロディが印象に残る作品です。トランペットを吹く男性がレコードジャケットに印刷されていますが、トランペットの音を低めにして演奏した音色が特徴です。

 

 出だしのトランペットの演奏では、上記の映像を見ると、わざと音をこもらせるように、音の出る箇所に蓋をしている様子が分かります。トランペット特有の音の鋭さや勇ましさをあえて抑えている事が分かります。

 

 トランペットの演奏というと、ベルト・ケンプフェルト楽団さんの「真夜中のブルース」(昭和33年・1958年)や、ニニ・ロッソさんの「夕焼けのトランペット」(昭和37年・1962年)が思い浮かびますが、あえて音を抑えて演奏している点が、この作品の個性であると感じます。

 

 この作品を聴いて気が付くのは、はじめはトランペットの音色、それも音を控えめにした音が目立ちますが、曲が進行するにつれて、徐々に新しい音が加わっていきます。気が付けば、最後の方では様々な楽器で主旋律を盛り上げている展開になっている事です。トランペットの音色も本来の音で演奏されています。

 

 「モスコーの夜はふけて」は、最終的にバンド全体で盛り上がる展開の作品です。この手法は昭和3、40年代のヒット曲でも、たまに見かけます。

 

 坂本九さんの「明日があるさ」(昭和39年・1964年)、ザ・ピーナッツさんの「帰しておくれ今すぐに」(昭和40年・1965年)、ダーク・ダックスさんの「銀色の道」(昭和42年・1967年)があります。

 ポップス系の歌手の作品で用いられた手法のようです。

 

 平成に入ってからでも、星野源さんの「恋」(平成28年・2016年)を聴くと、このテクニックが用いられているように感じます。

 

 この編曲を何と呼ぶのか分かりませんが、「モスコーの夜はふけて」のレコードジャケットの解説によると、“ディキシー・スタイルのバンド”と表現されていますので、ディキシーと呼ぶのでしょうか。

 

 

ヒットの影響

 「モスコーの夜はふけて」は当時大変人気となったようです。

 

 2年後にヒットする事になるヴィレッジ・ストンパーズさんの「ワシントン広場の夜はふけて」(昭和39年・1964年)は、邦題は“~の夜はふけて”と共通していますが、原題に夜という言葉はありません。「Washington Square」です。

 

 「ワシントン広場の夜はふけて」も、「モスコーの夜はふけて」と同様に、徐々に音色が加わって盛り上がる演奏曲であり、曲調も似ていたためか、共通したタイトルが付けられたようです。

 

 

 バンドプロデューサーの分析では、「モスコーの夜はふけて」はCマイナー(ハ短調)で始まり、途中で全音上がってDマイナー(ニ短調)に転調します。最後には、さらに転調して、Fマイナー(ヘ短調)で終始しています。

 

 ディキシー作品の特徴である、“徐々に盛り上がるサウンド”に合わせて、気が付けば音色も徐々に高くなっているようです。

 何度聴いても飽きない作品です。

 

曲情報

 発売元:日本ウエストミンスター株式会社

 品番:SS-3047

 

 A面

  「モスコーの夜はふけて」

  原題:MIDNIGHT IN MOSCOW

 

 B面

  「ダーク・アイズ(黒い瞳)」

  原題:DARK EYES

 

参考資料

 「モスコーの夜はふけて」レコードジャケット

 『ミュージック・マンスリー』月刊ミュジック社

 「バンドプロデューサー」

「悲しき街角」デル・シャノン(昭和36年)

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 流行時期(いつ流行った?)

 デル・シャノン(Del Shannon)さんの「悲しき街角」は、昭和36年(1961年)にヒットしました。

 

 当時発刊されていた音楽雑誌のランキング推移は下記の通りです。

集計日付 『ミュージックマンスリー』 『ダンスと音楽』
昭和36年7月 15位 12位
昭和36年8月 圏外 5位
昭和36年9月 4位 5位
昭和36年10月 4位 4位
昭和36年11月 4位 3位
昭和36年12月 9位 5位
昭和37年1月 圏外 8位

 

 昭和36年の10月、11月ごろに最もヒットしていたと推測されます。

 

 カヴァー・ポップス全盛期ですので、飯田久彦さんの日本語歌唱盤もヒットしています。

 

「悲しき〇〇」 

  昭和3、40年代の洋楽ヒットには、「悲しき〇〇」という作品が、たくさん登場します。

 レコード会社の洋楽部門の方々が邦題を付けるのを面倒に感じていたのではないか?と感じるくらい、「悲しき〇〇」がヒットチャートに登場しました。

 

<主なヒットした「悲しき〇〇」の一覧>

曲名 歌手名 流行した年
悲しき16才 ケーシィ・リンデン 1960(昭和35)
悲しき少年兵 ジョニー・ディア・フィールド 1961(昭和36)
悲しき街角 デル・シャノン 1961(昭和36)
悲しき片想い ヘレン・シャピロ 1962(昭和37)
悲しきクラウン ニール・セダカ 1962(昭和37)
悲しきカンガルー パット・ブーン 1963(昭和38)
悲しき雨音 カスケーズ 1963(昭和38)
悲しき悪魔 エルヴィス・プレスリー 1963(昭和38)
悲しき願い アニマルズ 1965(昭和40)
悲しき戦場 バリー・サドラー軍曹 1966(昭和41)
悲しき天使 メリー・ホプキン 1969(昭和44)
悲しき鉄道員 ザ・ショッキング・ブルー 1971(昭和46)
悲しき初恋 パートリッジ・ファミリー 1971(昭和46)
悲しきジプシー シェール 1972(昭和47)

 

 原盤の曲を聴いたり、歌詞を見て、「ウン、これは悲しい感じがするから、『悲しき~』で。」と雑に扱っていたのではないか?と思われても仕方ありません。

 

原題はRUNAWAY

 「悲しき街角」の場合は、センスのある邦題であると感じます。曲の雰囲気に合っています。

 音楽の事はよく分かりませんが、ポール・アンカさんの作品のように分かりやすいメロディが特徴です。


 

 裏声を使うサビや、おそらく鍵盤楽器による間奏も耳に残りやすく、聴き手がイメージするアメリカン・ポップスの特徴が詰め込まれた作品であると感じます。

 

 ポール・アンカさんの作品に近いと感じる理由は、「ダイアナ」を聴いたときに感じるルンバのリズムに似ているからかも知れません。

 

 分かりやすさを感じる作品ですが、途中で同主調に転調しています。この時代のヒット曲では、転調というテクニックは、洋楽のヒット曲でもあまり見かけないように感じます。

 

 テンポの早い「悲しき街角」は、自然と悲しい響きのする短調から明るい長調に変化します。この移行に不自然さはありません。

 

 レコードジャケットの解説にも「御機嫌なヒット・ソング」と書かれていますが、スピード感があるメロディは聴いている側の心を楽しませてくれます。

 

 

 バンドプロデューサーの分析では、「悲しき街角」はB♭マイナー(変ロ短調)で始まります。サビからはB♭メジャー(変ロ長調)に転調しています。

 

曲情報

 発売元:日本ビクター株式会社

 品番:ATL-1072

 A面

  「悲しき街角」

  原題:RUNAWAY

  演奏時間:2分18秒

 

 B面

  「ジョーディー」

  原題:JODY

  演奏時間:2分22秒

 

 全米ヒット・パレード上位に進出したスマッシュ・ヒット

 

参考資料

 「悲しき街角」レコードジャケット

 『ミュージックマンスリー』月刊ミュジック社

 『ダンスと音楽』ダンスと音楽社

 「バンドプロデューサー」

昭和42年(1967年)のヒット曲ランキング(洋楽・邦楽ポピュラー)

オリコン以前のレコード売上集計

 オリコンの集計が始まる以前にも、レコードの売上ランキングが存在します。企業ではなく、雑誌の出版社によるランキングです。

 

 『ミュージック・ライフ』、『ミュージックマンスリー』、『ジュークボックス』、『ダンスと音楽』など、様々な雑誌で、ランキングが掲載されています。もしかしたら、他にもあるかも知れません。

 

 ほとんどの雑誌社が残念ながら倒産してしまったようで、この中で有名なのは、現在も企業活動されているシンコー・ミュージックさんの『ミュージック・ライフ』と思います。

 

 各雑誌のランキング集計で共通する事は下記の点です。

 ①週間ではなく、月間のランキングである事

 ②全国の主要なレコード店に問い合わせて、各店舗で1位=10点、2位=9点、という採点で最終的な合計をランキングしている事

 ③洋楽盤と歌謡曲盤を別々に集計している事

 ④順位は上位2、30位までになっている事

 ⑤誤表記が目立つ事

 

 統計的に有効な規模の集計かどうか?は不明ですが、当時の流行を把握できるため、貴重な資料であると感じます。

 

 

 今回は、『レコードマンスリー』に掲載されている洋楽・邦楽ポピュラーの月間ランキングを参考に、1位=30点、2位=29点と採点したランキングを年間ランキングとして掲載します。

 同じ点数になった場合は順不同でランキングしています。

 

 曲名や歌手名のリンクをクリックすると、当ブログの記事に移動します。

 

 『ダンスと音楽』のランキング表記にならって、邦楽ポピュラー盤の作品には★印を付けています。

 ★印を省いたランキングが、純粋な洋楽盤のみのランキングになります。

 

▼歌謡曲部門は 下記のページになります。

 

昭和42年(1967年)のランキング(洋楽・邦楽ポピュラー)

順位   曲名 歌手名 品番 登場月数
1 ブルー・シャトウ ジャッキー吉川とブルー・コメッツ LL-10022-JC 9
2   バラ・バラ レインボウズ LL-1012-C 6
3 霧のかなたに 黛ジュン CP-1006 6
4 モナリザの微笑 ザ・タイガース SDP-2011 5
5 恋のハレルヤ 黛ジュン CR-1662 5
6 何処へ ジャッキー吉川とブルー・コメッツ LL-10015 5
7   孤独の太陽 ウォーカー・ブラザース SFL-1080 6
8 シーサイドバウンド ザ・タイガース SDP-2004 5
9 好きさ好きさ好きさ カーナビーツ FS-1018 5
10   ダンス天国 ウォーカー・ブラザース SFL-1092 4
11   花のサンフランシスコ スコット・マッケンジー LL-2070-C 5
12 レッツゴーシェイク 寺内タケシとバニーズ HIT-704 5
13 マリアの泉 ジャッキー吉川とブルー・コメッツ LL-10033-JC 4
14 北国の二人 ジャッキー吉川とブルー・コメッツ LL-10039-JC 4
15   ハンキーパンキー トミー・ジェームスとザ・シャンデルズ RF-1001 5
16 太陽の翼 スパイダース FS-1013 5
17 なんとなくなんとなく スパイダース FS-1007 4
18 バラ色の雲 ヴィレッジ・シンガース LL-10032-JC 4
19 想い出の渚 ザ・ワイルド・ワンズ CR-1616 4
20   夕陽のガンマン エンニオ・モリコーネ楽団 SS-1696 5
21 夕陽と共に ザ・ワイルド・ワンズ CP-1004 4
22 君に会いたい ジャガース FS-1016 5
23   恋はリズムにのせて アンディ・ウィリアムス LL-1045-C 4
24 青空のある限り ザ・ワイルド・ワンズ CP-1007 4
25 風が泣いている スパイダース FS-1020 4
26 僕のマリー ザ・タイガース SDP-2001 5
27   サマー・ワイン ナンシー・シナトラとリー・ヘイズルウッド JET-1781 3
28   あなただけを ジェファーソン・エアプレイン SS-1752 4
29   オーケイ デイヴ・ディー・グループ SFL-1113 3
30   ストローベリー・フィールズ・フォーエバー ビートルズ OR-1685 3
31   ジョージーガール シーカーズ OR-1650 4
32 運命 寺内タケシとバニーズ HIT-715 3
33   恋の合言葉 モンキーズ SS-1760 4
34   007は二度死ぬ ナンシー・シナトラ JET-1770 6
35   悲しみは星影と共に サウンドトラック盤 FON-1058 3
36   愛こそはすべて ビートルズ OR-1763 3
37   知りたくないの アンディ・ウィリアムス LL-1050-C 3
38 野バラ咲く路 市川染五郎 CP-1001 3
39   虹と共に消えた恋 ピーター・ポール&マリー BR-1562 2
40   恋の終列車 モンキーズ SS-1706 3
41   モンキーズのテーマ モンキーズ SS-1735 2
42   悪魔とモリー ミッチ・ライダーとデトロイト・ホイールズ SR-1635 4
43   夜をぶっとばせ! ローリング・ストーンズ TOP-1124 3
44 夕陽が泣いている スパイダース FS-1003 2
45   ミニミニロック グーシーズ HIT-1441 3
46 恋をしようよジェニー カーナビーツ FS-1025 3
47   この世界に愛を ローリング・ストーンズ TOP-1200 3
48 いつまでもどこまでも スパイダース FS-1030 2
49   恋はみずいろ ヴィッキー SFL-1115 2
50   アイム・ア・ビリーバー モンキーズ SS-1719 2
51 ダンス天国 スパイダース FS-1014 4
52   好きさ好きさ好きさ ゾンビーズ TOP-1167 4
53   バス・ストップ ホリーズ OR-1582 2
54   ラ・ラ・ラ シャムロックス DP-1534 5
55   シュガータウンは恋の町 ナンシー・シナトラ JET-1737 3
56   ドンナドンナ ジョーン・バエズ HIT-1133 3
57   口笛天国 口笛ジャック D-1007 4
58   ウインチェスターの鐘 ニュー・ボードビル・バンド SFL-1085 3
59   続・荒野の用心棒 サウンドトラック盤 HIT-1376 2
60 青い渚 ジャッキー吉川とブルー・コメッツ LL-10005-JC 2
61   ロック天国 ピーター・ポール&マリー BR-1798 3
62 小さな倖せ ザ・ワイルド・ワンズ CR-1666 3
63   ふたりの太陽 ザ・ウォーカー・ブラザース SFL-1100 2
64   青い影 プロコル・ハルム D-1012 3
65   モスクワの灯 スプートニクス DP-1506 2
66   グッド・バイブレーション ビーチ・ボーイズ CR-1621 2
67   恋する風船 ダニエル・ドナン SFL-1094 2
68 忘れえぬ君 テンプターズ FS-1029 2
69 ローマの雨 ザ・ピーナッツ LL-10005 3
70   恋のひとこと ナンシー・シナトラとフランク・シナトラ JET-1756 3
71   殺しの免許証 サウンドトラック盤 HIT-1373 2
72 花と小父さん 伊藤きよ子 LL-10030 3
73 朝まで待てない モップス VP-1 2
74   北国の青い空 ベンチャーズ LR-1722 3
75   サイレンス・イズ・ゴールデン トレメローズ LL-2071-C 3
76   やさしい悪魔 ザ・ウォーカー・ブラザース SFL-1090 3
77 太陽野郎 寺内タケシとバニーズ HIT-717 1
78   イエロー・サブマリン ビートルズ OR-1578 1
79   二人の銀座 ベンチャーズ LR-1545 2
80   マン島から来た男 スプートニクス DP-1514 2
81 この広い野原いっぱい 森山良子 FS-1006 2
82   悲惨な戦争 ピーター・ポール&マリー BR-1528 2
83 この手のひらに愛を ザ・サベージ FS-1010 2
84   恋のビート レインボウズ LL-1040 2
85   メイム ケニー・ボール楽団 LL-965 2
86 好きだから ヴィレッジ・シンガース LL-10042 2
87   デイドリーム ラヴィン・スプーンフル DK-1001 1
88 明日に向って ザ・サベージ FS-1012 1
89   ブルーシャトウ ベンチャーズ LR-1764 2
90 あの虹をつかもう スパイダース FS-1022 1
91 想い出のソレンツァーラ 岸洋子 BS-7152 2
92 あなたのすべてを 徳永芽里 LL-10027 1
93   口笛天国 カーナビー・ストリート・セット LL-2055 1
94 いとしのジザベル ゴールデン・カップス CP-1005 1
95   誘惑のテーマ スーラ・ビルビリ JET-1783 2
96 ダンシング・ロンリー・ナイト ジャガーズ FS-1024 1
97 悪魔のベイビー 寺内タケシとバニーズ HIT-713 2
98   カミング・オン・ストロング ブレンダ・リー DS-448 1
99   知りたくないの エディ・アーノルド SS-1745 1
100 渚に消えた恋 ザ・サベージ FS-1017 2
101 冒険者たち フィルム・シンフォニック・オーケストラ DP-1529 2
102   イエスタデイズ・ペイパー ローリング・ストーンズ TOP-1178 1
103   チャイコフスキー・ワン ザ・セカンド・シティー・サウンド TOP-1046 1
104   真昼の用心棒 サウンドトラック盤 HIT-1396 1
105   マシュ・ケ・ナダ セルジオ・メンデスとブラジル'66 TOP-1095 1
106   ウォーキン・イン・ザ・レイン ザ・ウォーカー・ブラザース SFL-1116 1
107 風のバラード 北大路欣也 US-524 1
108   初恋の丘 クロード・チアリ OR-1462 1
109   地獄の叫び ミッチ・ライダーとデトロイト・ホイールズ SR-1690 2
110 ライジング・ギター 寺内タケシとバニーズ HIT-709 1
111 真冬の帰り道 ランチャーズ TP-1553 1
112   帰らぬ少年兵 コリーン・ラベット JET-1686 1
113   見つめあう恋 ハーマンズ・ハーミッツ OR-1688 1
114   男と女 アンディ・ウィリアムス LL-1026 1
115   愛しのレティッシア アラン・ドロン OR-1734 2
116   リトルマン ソニーとシェール JET-1723 1
117   シー・シー・ライダー エリック・バードン&アニマルズ TOP-1100 1
118   青い涙 エルヴィス・プレスリー SS-1729 1
119   カインド・オブ・ア・ドラグ バッキンガムズ SR-1665 1
120   恋はちょっぴり モンキーズ SS-1746 1
121   007は二度死ぬ ジョン・バリー楽団 LL-2062-C 1
122 愛のリメンバー 寺内タケシとバニーズ HIT-716 1
123   トゥインキー・リー ゲイリー・ウォーカー LL-2108-C 1
124   恋のデュエット サウンドトラック盤 LL-977-UA 1
125   サントロペのお嬢さん サウンドトラック盤 HIT-1402 1
126   夢見るツイッギー ツイッギー OR-1723 1
127   ロシュフォールの恋人たち サウンドトラック盤 SFL-1108 1
128 恋はハートで 泉アキ PW-1 1
129   この胸のときめきを ダスティ・スプリングフィールド SFL-1064 1
130   マザー・イン・ザ・シャドウ ローリング・ストーンズ TOP-1091 1
131   ムーン・リバー アンディ・ウィリアムス 45S-120-C 1
132   タイニー・バブルス ドン・ホー JET-1732 1
133 黒い太陽 田村エミ SDP-2007 1
134 むらさきの夜明け 美空ひばり SAS-1012 1
135   ストップ・ザ・ミュージック レーンとザ・リー・キングス US-176 1
136   レッツキス レンカ・ジェンカ楽団 US-124 1
137   ボクは危機一髪 ザ・トロッグス SFL-1088 1
138   さらばベルリンの灯 クルト・ライモンド DP-1521 1
139   いつも2人で ヘンリー・マンシーニ SS-1750 1
140 恋はみずいろ 森山良子 FS-1021 1
141   ニューヨーク炭鉱の悲劇 ビー・ジーズ DP-1547 1
142   アイム・ア・ボーイ ザ・フー DP-1510 1
143 灯りのない街 ザ・フィンガーズ US-518 1
144   あまい涙 ザ・キングスレー楽団 US-520 1
145   いそしぎ アンディ・ウィリアムス 45S-212-C 1
146   モダンミリー サウンドトラック盤 DS-473 1
147 トンネル天国 ダイナマイツ VP-2 1

 

 

1960年代のヒット曲ランキング・一覧

1960年 邦楽レコード 洋楽ポピュラー (調査中)
1961年 邦楽レコード 洋楽ポピュラー ランキング
1962年 邦楽レコード 洋楽ポピュラー ランキング
1963年 邦楽 洋楽ポピュラー ランキング
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1965年 邦楽 洋楽ポピュラー ランキング
1966年 邦楽 洋・邦楽ポピュラー (調査中)
1967年 歌謡曲 洋・邦楽ポピュラー ランキング
1968年 歌謡曲 洋・邦楽ポピュラー 一覧
1969年 歌謡曲 洋・邦楽ポピュラー 一覧

 

参考文献

 『レコードマンスリー』日本レコード振興

「虹と共に消えた恋」ピーター・ポール・アンド・マリー(昭和41年)

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流行時期(いつ流行った?)

 ピーター・ポール・アンド・マリーPPM)さんの「虹と共に消えた恋」は、昭和41年(1966年)の暮れから、翌年にかけて流行しました。

 ベトナム戦争に対する反戦意識が高まっていた時期に登場したフォークソングです。

 

 ランキングを見ると、どちらかといえば昭和41年の方が流行期間が長いように感じます。月刊誌『ダンスと音楽』のランキング推移は下記の通りです。 

集計日付 順位
昭和41年10月 7位
昭和41年11月 5位
昭和41年12月 2位
昭和42年1月 2位
昭和42年2月 8位

 

 

 

 

歌を通して伝えたい事

 「虹と共に消えた恋」のレコードジャケットの解説には、ピーター・ポール・アンド・マリーさんのリーダーである、ピーターさんのコメントが掲載されています。

 

 製作に際する姿勢を挙げており、『音楽を通して、自分たちが主張しても構わない、と考えている3つの視点』が記載されています。

 

  1つめに挙げられたのは“音楽の持ち味”です。おそらく表現しようとするサウンドの事で、役割としては作曲や編曲の事と思われます。

 

 2つめは“フォーク・ソングの尊重”です。音楽表現として、ギターだけで伝えたい事を表現できるスタイルに敬意を表しているように感じます。

 

 3つめは、“歌で何かを伝える事”が挙げられています。この役割を果たすのは、歌詞です。

 

 私は、最後に挙げた3つめの点が最も重視されているように感じます。

 

 

自分の気持ちを伝える方法

 この時期のフォークソングは、自身の心情を訴える流行歌よりも自分の考えが含まれるため、主張が強いジャンルでした。

 

 誰でも、他人に対して何か伝えたい想いを持っておられる事と思います。

 

 それは自分の感情なので、発信する自分自身は単純に口や言葉にすれば良いだけですが、それが相手に受け入れられるか、発言の意図が伝わるかどうかは、自分自身の表現力が重要になります。

 

 この考え方は、レコード流行歌の基本となる考え方だと感じます。音楽で表現する事で、相手の心に入りやすくなりますが、上手く表現できなければヒットはしません。多くの人の支持を集めるための技術が必要です。

 

 音楽を製作する側は、『自分たちの考えている事や感じた事を、見ず知らずの人に受け入れてもらうためには、一体どのような音楽表現をすれば良いのだろう?』と、様々な視点から考える必要があるため、“音楽の持ち味”を最初に挙げたかなと思われます。

 

 

聴き手をひきつけない作曲・編曲

 「虹と共に消えた恋」は独特な印象を感じる作品です。レコード音楽は、たいていは聴き手の気持ちを高揚させようとしてにぎやかだったり、覚えやすいイントロの作品が多いのですが、そういった始まり方ではありません。

 

 フォークギターの独奏ではじまりますが、オーケストラの演奏で始まる流行り歌のイントロに慣れている多くの人にとっては、ギターの音色だけの静かな始まり方が印象に残ります。

 

 続いてマリーさんの歌声が聴こえてきますが、こちらもポップスでは聴いたことの無いサウンドです。声が低めな印象を受けますが、サビに入ってもそれほど盛り上がるような曲調にはなっていません。

 

 歌はサビでも盛り上がりは無く同じフレーズの繰り返しで、しかも伴奏はギターだけです。このような音楽表現は、従来のレコード流行歌では存在しなかったように思います。

 

 「メロディは記憶に残ってるけど歌詞は覚えていない」みたいな印象を与えないように、あえてこのような表現をしたのではないか、と感じます。

 

 

 バンドプロデューサーの分析では、「虹と共に消えた恋」はB♭マイナー(変ロ短調)です。

 あえて盛り上げないようにした作品のようで、後半になって半音あがったりもしません。

 

 この作品でアーティストが重視している事を理解しておれば、発売元の会社の方で、作品の和訳を掲載してもいいのではないか?と感じますが、レコードジャケットは、他の洋楽作品と同じように、原詩のみが掲載されています。

 

 

曲情報

1967年 年間39位(洋楽・邦楽ポピュラー部門)

 

 

レコード

 発売元:東芝音楽工業株式会社

 品番:BR-1562

 A面

  「虹と共に消えた恋」

  原題:GONE THE RAINBOW

  演奏時間:2分39秒

 

 B面

  「サンフランシスコ・ベイ・ブルース」

  原題:SAN FRANCISCO BAY BLUES

  演奏時間:3分

 

参考資料

 「虹と共に消えた恋」レコードジャケット

 『ダンスと音楽』ダンスと音楽社

 「バンドプロデューサー」

「バラ・バラ」レインボウズ(昭和42年)

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流行時期(いつ流行った?)

 レインボウズさんの「バラ・バラ」は、昭和42年(1967年)にヒットしました。『レコードマンスリー』のランキングによると、1月に発売された「バラ・バラ」が最もヒットしたのは3月になります。

 

集計日付 順位
昭和42年2月 4位
昭和42年3月 1位
昭和42年4月 3位
昭和42年5月 4位
昭和42年6月 11位
昭和42年7月 20位

 

 半年間もランクインしており、なおかつ首位も獲得した作品ですので、当時は相当ヒットしたように感じます。

 

 売上枚数が分からないので、順位に点数をつけてヒットチャートを集計してみたりしていますが、昭和42年に最もヒットした洋楽はウォーカー・ブラザーズさんの「孤独の太陽」や「ダンス天国」を抑えて、この「バラ・バラ」が洋楽年間1位に該当する結果になりました。

 

 ・・・しかし、「バラ・バラ」はどこが魅力で支持されたのかが分かりにくい作品です。

 

「バラ・バラ」はドイツのヒット曲

 「バラ・バラ」は、なぜ流行ったのか分からない作品のうちの1つです。

 

 流行とは無関係に登場した「バラ・バラ」は、ドイツのグループのレインボウズさんの作品です。

 

 ヨーロッパの国の音楽では、フランス、イタリアが日本でも人気です。この2つの国の音楽は、昭和40年代中ごろにブームとなるくらいの人気を獲得しました。

 この2国の音楽は別格で、シャンソンのフランス、カンツォーネのイタリアと、民族音楽の名称の認知度も高いと感じます。

 

 しかし、ドイツについては情報がほとんど伝わってきません。「真夜中のブルース」(昭和33年)で有名な、ベルト・ケンプフェルト楽団さんの作品くらいしか思いつきません。

 

 ドイツの音楽が日本にとってはなじみが薄いにも関わらず、「バラ・バラ」は昭和42年の日本でヒットしました。

 

 「バラ・バラ」は英語で作詞されている作品です。レインボウズというグループ名も英語のため、英語圏の歌と思ってしまいます。

 聞き覚えのある英語のため、ドイツの作品という認識は無かったのではないか?と感じます。ややなまりを感じる発音のため、米国のヒット曲に慣れた日本人の耳には、「イギリスの作品かな?」と捉えられたのかも知れません。

 

聴いていて楽しい作品

 「バラ・バラ」は、歌い出しの“マィベビーバラバラ”というワンフレーズが延々と繰り返され、サビになると、そのフレーズが“バラバラ”に変化するだけの歌詞です。

 

 どちらのフレーズも音の高さを変えて繰り返していますが、この2つだけで曲が作られている事が「バラ・バラ」の特徴です。

 

 歌詞だけで考えると、よくこれだけで「面白い!レコード化しよう!」となったなぁ、と感心してしまいます。

 

 「バラ・バラ」が登場したのは、アメリカでは反戦フォークが支持されていた時期です。国は違えど、もしも受け止められ方が少しでも違うと、「音楽を何だと思っているんだ!」と怒られてしまいそうな、ナンセンスさを備えた作品です。

 

 「バラ・バラ」が人気となったのは、歌詞以外の部分にあると感じます。

 

音楽を楽しんでいる雰囲気が伝わる作品

 1度聞けば覚える事ができるくらい歌詞が単純ですので、「バラ・バラ」を初めて耳にした方々の耳に残ったと思われます。しかし、それだけではレコードを買う動機にはなかなか至らないと思います。

 

 「バラ・バラ」がロングヒットとなる結果をもたらしたのは、アドリブ感のある前奏や間奏であると感じます。

 

 

 エレキギターの弦を思い切り弾いたような音と、馬のいななきのような音でこの曲が始まります。そして散々“バラバラ”と歌い続けた後に、「フー!」と言って、エレキギターの間奏が始まります。

 

 間奏のあいだも、グループのメンバーが発する意味の分からない叫び声が聞こえてきますが、この間奏で連想されるのは、「バラ・バラ」がヒットした後に登場する、ザ・タイガースさんの「シーサイド・バウンド」の間奏です。

 おそらく、「バラ・バラ」を意識して演出している、と感じます。

 

 間奏の音源を聴いて感じるのは、新しい楽器であるエレキギターが表現できる音楽に、若い男の子たちが夢中になって、自分の思うままにギターを弾いて、好きなように叫んだりして楽しく盛り上がっている光景です。

 

“バラバラ”は日本でもなじみのある言葉

 「バラ・バラ」というタイトルが、日本人になじみのあるフレーズだった事もヒットの要因だったと考えられます。

 

 訳の分からない歌が売れ出して、そのレコードのタイトルが「バラ・バラ」だったとしたら、おそらく多くの人が、日本語でいうバラバラと解釈されたと思います。

 

 原題「Balla Balla」をカナ表記していますが、もともとの意味が分かりません。“Balla”がドイツ語なのか、ドイツでポピュラーな女の子の名前なのか、フランス語の“Belle”をドイツ語で言ったものなのか、情報が少なすぎて全く見当がつきません。

 

 

 バンドプロデューサーの分析では、「バラ・バラ」はAメジャー(イ長調)です。“バンドを組んだ若者が純粋にエレキギターで音楽を楽しんでいる様子”が表現できている作品だから人気になった作品であると感じます。

 エレキギターのアドリブ演奏も、歌唱では表現できないスピート感が生まれているので、単純な繰り返しの作品ながらも、聴いていて楽しいです。

 

 

曲情報

1967年 年間2位(洋楽・邦楽ポピュラー部門)

 

 

レコード

 発売元:日本コロムビア株式会社

 品番:LL-1012-C

 A面

  「バラ・バラ」

  原題:BALLA BALLA

  演奏時間:2分

 

 B面

  「ジュ・ジュ・ハンド」

  原題:JU JU HAND

  演奏時間:2分

 

 

参考資料

 「バラ・バラ」レコードジャケット

 『レコードマンスリー』日本レコード振興

 「バンド・プロデューサー」