ヒット曲けんきゅうしつ

なぜヒットする?は証明できないと思います。誤字はちょっとずつ修正します。

「モスコーの夜はふけて」ケニー・ボールと彼のジャズメン(昭和37年)

f:id:hitchartjapan:20190708220203j:plain

流行時期(いつ流行った?)

  ケニー・ボールと彼のジャズメンさんの「モスコーの夜はふけて」(MIDNIGHT IN MOSCOW)は、昭和37年(1962年)にヒットしました。

 

当時の音楽雑誌のランキング推移は下記の通りです。

 

集計日付 順位
昭和37年6月 12位
昭和37年6月 14位
昭和37年7月 5位
昭和37年8月 1位
昭和37年9月 4位
昭和37年10月 12位

※『ミュージック・マンスリー』誌の洋楽ランキング

 

 

 

 

 当時は7月から9月の夏の時期にヒットしたようです。8月に首位を獲得しているので、かなり流行した作品ではないか、と感じます。

 

 

ヒット曲でたまに見かけるテクニック

 「モスコーの夜はふけて」は、メロディが印象に残る作品です。トランペットを吹く男性がレコードジャケットに印刷されていますが、トランペットの音を低めにして演奏した音色が特徴です。

 

 出だしのトランペットの演奏では、上記の映像を見ると、わざと音をこもらせるように、音の出る箇所に蓋をしている様子が分かります。トランペット特有の音の鋭さや勇ましさをあえて抑えている事が分かります。

 

 トランペットの演奏というと、ベルト・ケンプフェルト楽団さんの「真夜中のブルース」(昭和33年・1958年)や、ニニ・ロッソさんの「夕焼けのトランペット」(昭和37年・1962年)が思い浮かびますが、あえて音を抑えて演奏している点が、この作品の個性であると感じます。

 

 この作品を聴いて気が付くのは、はじめはトランペットの音色、それも音を控えめにした音が目立ちますが、曲が進行するにつれて、徐々に新しい音が加わっていきます。気が付けば、最後の方では様々な楽器で主旋律を盛り上げている展開になっている事です。トランペットの音色も本来の音で演奏されています。

 

 「モスコーの夜はふけて」は、最終的にバンド全体で盛り上がる展開の作品です。この手法は昭和3、40年代のヒット曲でも、たまに見かけます。

 

 坂本九さんの「明日があるさ」(昭和39年・1964年)、ザ・ピーナッツさんの「帰しておくれ今すぐに」(昭和40年・1965年)、ダーク・ダックスさんの「銀色の道」(昭和42年・1967年)があります。

 ポップス系の歌手の作品で用いられた手法のようです。

 

 平成に入ってからでも、星野源さんの「恋」(平成28年・2016年)を聴くと、このテクニックが用いられているように感じます。

 

 この編曲を何と呼ぶのか分かりませんが、「モスコーの夜はふけて」のレコードジャケットの解説によると、“ディキシー・スタイルのバンド”と表現されていますので、ディキシーと呼ぶのでしょうか。

 

 

ヒットの影響

 「モスコーの夜はふけて」は当時大変人気となったようです。

 

 2年後にヒットする事になるヴィレッジ・ストンパーズさんの「ワシントン広場の夜はふけて」(昭和39年・1964年)は、邦題は“~の夜はふけて”と共通していますが、原題に夜という言葉はありません。「Washington Square」です。

 

 「ワシントン広場の夜はふけて」も、「モスコーの夜はふけて」と同様に、徐々に音色が加わって盛り上がる演奏曲であり、曲調も似ていたためか、共通したタイトルが付けられたようです。

 

 

 バンドプロデューサーの分析では、「モスコーの夜はふけて」はCマイナー(ハ短調)で始まり、途中で全音上がってDマイナー(ニ短調)に転調します。最後には、さらに転調して、Fマイナー(ヘ短調)で終始しています。

 

 ディキシー作品の特徴である、“徐々に盛り上がるサウンド”に合わせて、気が付けば音色も徐々に高くなっているようです。

 何度聴いても飽きない作品です。

 

曲情報

 発売元:日本ウエストミンスター株式会社

 品番:SS-3047

 

 A面

  「モスコーの夜はふけて」

  原題:MIDNIGHT IN MOSCOW

 

 B面

  「ダーク・アイズ(黒い瞳)」

  原題:DARK EYES

 

参考資料

 「モスコーの夜はふけて」レコードジャケット

 『ミュージック・マンスリー』月刊ミュジック社

 「バンドプロデューサー」