流行時期(いつ流行った?)
「恋はみずいろ」は、ヴィッキーさんの歌唱盤が昭和42年(1967年)、ポール・モーリア楽団さんの演奏盤が翌1968年にヒットしました。
森山良子さんも日本語でカバーされており、1967年にランクインしています。B面には「今日の日はさようなら」が収録されていますが、こちらの作品のほうが後世に名を残しているように思います。
『レコードマンスリー』の月間売上ランキングによると、それぞれ下記の売上推移を記録しています。
年月 | 森山良子盤 | ヴィッキー盤 | ポール・モーリア楽団盤 |
昭和42年09月 | 29位 | - | - |
昭和42年10月 | - | - | - |
昭和42年11月 | - | 12位 | - |
昭和42年12月 | - | 7位 | - |
昭和43年01月 | - | - | - |
昭和43年02月 | - | - | - |
昭和43年03月 | - | - | 28位 |
昭和43年04月 | - | - | 11位 |
昭和43年05月 | - | - | 12位 |
昭和43年06月 | - | - | 18位 |
『レコードマンスリー』、今月のベストセラーズ(洋楽・邦楽ポピュラー)より
国際的な音楽祭に参加していた日本
森山良子さんがスイスで行われたゴールデン・ローズ・フェスティバルに日本代表として参加した際に、ヴィッキーさんと「恋はみずいろ」に出会った事が、日本語カバーを発売するきっかけだった、と歌詞カードの解説に書かれています。
ゴールデン・ローズ・フェスティバルは、サンレモ音楽祭やユーロビジョンと異なり、聞いた事が無いイベントです(・_・?。
当時の音楽業界は、世界的な音楽祭に日本人歌手を参加させる慣習があったと感じる経緯です。森山良子さんは何の曲で出場されたのでしょうか?
森山良子さんの日本語カバー盤の訳詞は、数々のカバー・ポップスを和訳された漣健児さんが担当されています。
漣健児さんは、「恋はみずいろ」では歌手の音楽表現を活かすために、意図的に素朴な歌詞に意訳されていると感じます。
この時代のフォークソングが描く世界に合わせている印象を受けます。
注)YouTube に使用を許可しているライセンス所持者 SHINKO-MUSIC(shinkomusic の代理)
1967年ユーロビジョンの入賞曲
1964年と1965年に、ヨーロッパのヒット曲が日本で支持される流行がありました。国際的な音楽祭であるユーロビジョンの名前は、その頃に日本でも知られるようになったのだろうと思います。
ヨーロッパで行われたユーロビジョンで日本でも有名な作品は、ジリオラ・チンクェッティさんの「夢みる想い」(1964年優勝曲)と、フランス・ギャルさんの「夢みるシャンソン人形」(1965年優勝曲)です。
ヴィッキーさんの「恋はみずいろ」は1967年4位入賞の作品になりますが、"ヨーロッパ圏の女性歌手の作品"という共通点があります。
日本ではグループサウンズが大ブームとなっていた時期に発売されたため、あまり宣伝されず、それほど注目が集まらなかったのかも知れません。
女性の歌うユーロ・ポップスは、グループサウンズのブームが終息し始めた1969年に、ジリオラ・チンクェッティさんの「雨」やダニエル・ビダルさんの「天使のらくがき」が登場します。
日本では、女性アイドルというジャンルが誕生した70年代以降、女性歌手の歌うユーロ・ポップス作品は姿を消してしまいます。ヴィッキーさんのヒットは、1967年にもユーロ・ポップスに人気があった事を示しているように思います。
Vicky Leandros - The Loves is Blue - 1967 (L´amour est Bleu)
注)YouTube に使用を許可しているライセンス所持者 UMG(Universal International Music B.V. の代理); SODRAC, Warner Chappell, PEDL, EMI Music Publishing、その他 6 件の楽曲著作権管理団体
楽団が演奏するイージーリスニング
森山良子さんの日本語カバー盤が最初に登場し、ヴィッキーさんの歌唱盤がヒットしてから、最後にポール・モーリア楽団さんの演奏盤が支持を集めています。
1960年代以前の洋楽ヒットチャートでは、ある作品が各社で発売され、票が割れるようにヒットする事があります。
その場合は同時期に売れるのですが、「恋はみずいろ」は様々な人に歌い継がれるように、順番にヒットした事は興味深いです。
3枚とも大きなヒットを記録したとは言えませんが、「恋はみずいろ」はランキングに長く登場したポール・モーリア楽団さんの代表曲として語り継がれているように感じます。
注)YouTube に使用を許可しているライセンス所持者 AntipodesMusicProductions(Revisited Media Inc. の代理); Warner Chappell, ASCAP, BMI - Broadcast Music Inc., SODRAC, CMRRA, UMPG Publishing, AMRA, EMI Music Publishing、その他 15 件の楽曲著作権管理団体
この時代のシングル盤ランキングでは、海外のオーケストラが演奏する作品がヒットする事は珍しくありませんでした。映画主題曲である事も多いです。
しかし1960年代後半には、その数も少なくなっていきます。映画とは無関係の軽音楽のヒット曲として登場したのが、ポール・モーリア楽団さんです。
このジャンルも、レーモン・ルフェーヴル楽団さんの「シバの女王」(1969)を最後に、シングル盤のランキングから姿を消し始めます。
「恋はみずいろ」はシンプルなメロディです。鍵盤のミレドシラソを、ミーレードシーラーソーと叩けば、冒頭のメロディになります。
素人が弾いても簡単だとしても、オーケストラで様々な楽器の音色を重ねた演奏で聴くと、音の立体感というか、美しいメロディである、と感動する気持ちが生まれます。
ヒット曲のその後
地元では夕方になるとこのメロディが聞えてくることがあります。公園で遊ぶ子供たちに帰宅を促すチャイムとして用いられているようです。
スピーカーから「家に帰りましょう。」と言葉で訴えずに、音楽でアピールしている点は興味深いですが、その音楽に「恋はみずいろ」が採用された経緯はもっと関心があります。
誰の耳にも残るような分かりやすいメロディが理由でしょうか。少し寂し気な雰囲気が夕暮れ時に合う、と感じたからでしょうか。
最近では、「パプリカ」(2018、2019)のサビが、「恋はみずいろ」と似ている、という話題があるみたいです。
私には、どこが似ているのかがよく分かりません…(>_<)。
楽曲分析
「バンドプロデューサー5」の分析では、
森山良子さんの歌唱は、Eマイナー(ホ短調)
ヴィッキーさんは、E♭マイナー(変ホ短調)
ポール・モーリア楽団さんの演奏は、Aマイナー(イ短調)です。
どのレコードも、サビが同主調の長調に転調しており、サウンドに広がりを感じます。
用いられている音階は旋律的短音階のように感じます。
曲情報[森山良子盤]
1967年 年間140位(洋楽・邦楽ポピュラー)
レコード
発売元:日本ビクター株式会社
品番:FL-1021
’67年ユーロビジョン・コンテスト入賞曲!!
A面
「恋はみずいろ」
原題:L'AMOUR EST BLEU
訳詞:漣健児
作曲:アンドレ・ポップ
編曲:林一
演奏時間:2分54秒
B面
「今日の日はさようなら」
作詞・作曲:金子詔一
演奏時間:2分25秒
曲情報[ヴィッキー盤]
1967年 年間49位(洋楽・邦楽ポピュラー)
レコード
発売元:日本ビクター株式会社
品番:SFL-1115
’67年ユーロビジョンで話題を独占!ヨーロッパの新しいアイドル、ヴィッキー愈々デビュー!!
A面
「恋はみずいろ」
原題:L'AMOUR EST BLEU
演奏時間:2分59秒
B面
「輝く太陽」
原題:LE SOLEIL A QUITTE MA MAISON
演奏時間:2分19秒
曲情報[ポール・モーリア楽団盤]
発売元:日本ビクター株式会社
品番:SFL-1123
華麗なストリングスに乗せて贈る2大ヒット!
A面
「恋はみずいろ」
原題:L'AMOUR EST BLEU
演奏時間:2分31秒
B面
「愛のおそれ」
原題:J'AI PEUR
演奏時間:2分14秒
※私が持っているポール・モーリア楽団さんの盤は、発売元が「日本フォノグラム株式会社」になっています。
参考資料
「恋はみずいろ」森山良子 レコードジャケット
「恋はみずいろ」ヴィッキー レコードジャケット
「恋はみずいろ」ポール・モーリア楽団 レコードジャケット
『レコードマンスリー』日本レコード振興
『永遠のポップス』全音楽譜出版社
「バンドプロデューサー5」