ヒット曲けんきゅうしつ

なぜヒットする?は証明できないと思います。誤字はちょっとずつ修正します。

作曲者不明の近代流行歌の第一号「宮さん宮さん」(慶応4年[明治元年])

戊辰戦争の年(1868年)に大流行

 音源や写真といった記録メディアが存在しない時代にも関わらず「宮さん宮さん」は製作された時期、流行した時期が明確に語り継がれています。

 

 ♪宮さん宮さん お馬の前に ヒラヒラするのは 何じゃいな トコトンヤレ トンヤレナ

 ♪あれは朝敵 征伐せよとの 錦の御旗じゃ 知らないか トコトンヤレ トンヤレナ

 

 作詞は新政府軍の品川弥二郎さんで、歌詞では鳥羽・伏見の戦いで旧幕府軍に勝利した事、薩長土は天皇の勅命を受けた官軍である事が強調されています。

 

征對大將軍宮が錦旗を高く掲げて出陣し、薩、長軍の士気が大いに昂ると兵に、錦旗に因んだトコトンヤレ節が洛中洛外に流行した。この歌は品川がこれを作り、流行せしめたものであつた。(中略)品川は、この歌を一般に流行させるためにも尠(すく)なからざる苦心を拂つたと云ふことである。『品川弥二郎伝』(昭和15年)

 

 品川さんは京都の書店に「宮さん宮さん」の原稿を持って行き、「明日までに何百部作って!」とお願いし、出来上がった印刷物を京都市内の街角の読売りに販売を依頼したそうです。

 

 「とても短納期!」と感じますし、「どうしても流行らせないといけない!」と焦る気持ちが伝わるエピソードです。

 

 下記のリンクで閲覧できる印刷物が当時の作成されたもののようです。

都風流トコトンヤレぶし - 国立国会図書館デジタルコレクション (ndl.go.jp)

都風流 トコトンヤレぶし(其當時配布せし讀物の文の儘である)『国定歴史教科書插画解説 : 附・研究法と教授法』(明治45年)国定歴史教科書插画解説 : 附・研究法と教授法 - 国立国会図書館デジタルコレクション (ndl.go.jp)

 

 タイトルが「宮さん宮さん」ではなく「都風流トコトンヤレぶし」になっています。

 

 私はこのタイトルに疑問を感じます。

 

 すでに「トコトンヤレぶし」が存在していたから、区別するためにあえて"都風流"を追加したのでは?・・・という可能性です。

 

 

 ちなみに「都風流トコトンヤレ節」は5月(新暦の7月)から流行し始めたようです。

明治元年五月、江戸上野の役に官軍勝利を獲るや此の歌は忽ち世上に流行し、言はば新流行歌の先驅となり、後に無數の替歌も出現したのである。(『維新勤王史蹟巡』昭和10年)

 

 多くの人たちが「本当に徳川幕府が終わる」と実感し始めた時期だったのだろうと思います。

 

 瞬間的に熱狂を集めるタイプの流行り方だったのでは?と推測しています。

 

 

誰が作曲したのか分からない!

 「宮さん宮さん」の歌詞が品川さんの製作した印刷物によって広まった事は想像できますが「メロディはどうやって伝わった?」の疑問が残ります。

 

 大村益次郎さんが作曲したとする書籍がありますが、実は明治の間ですでに【作曲者が定かではない作品】となっています。

 

 明治22年に【祇園の芸者さんが作曲した(おそらく歌詞を見せて節をつけて歌ってもらった)】と掲載する書籍が出版されています。

 

(前略)夙に討幕の志を抱きどうかして幕府の勢力を沮喪んと自ら此歌を作り京都祇園の藝者に歌はしめたりと實に氏の望み通り此歌幕府の勢力を沮喪ぐに頗る與りて力ありたりき(『智識 第七號』明治22年11月)

 

 明治25年に「宮さん」というタイトルで小学校の音楽の教材に採用されていますが【誰が作曲したかは明確ではない】と注意書きがあります。

 

(注意)此歌ハ、王政御一新ノ頃、品川彌ニ郎君ガ感ズル所アリテ作ラレタルモノナリ。其曲ハ、何人ノ作ニ出ツルカヲ詳ニセズ、樂理上ノ論ハ、姑ク措キ、當時、大ニ軍隊中ニ流行シ、士氣ヲ鼓舞シタルガ如キ、歴史上ノ関係モアルモノナレバ、採リテ此ニ編入セリ。故ニ之ヲ唱歌ニ施スニモ、能ク其意ヲ了知セラレンコトヲ要ス。(『小学唱歌1』明治25年3月)小学唱歌 1 - 国立国会図書館デジタルコレクション (ndl.go.jp)

 

 

 なぜ作曲者があいまいなのでしょう?

 

 「都風流トコトンヤレぶし」は戊辰戦争の官軍の象徴として多くの方々の記憶に残り、記録も残っているのに作曲者だけがわからないのは不思議です。

 

 

 完全に私の想像ですが、戊辰戦争のころに流行したであろう「都風流トコトンヤレぶし」と「宮さん宮さん」はメロディが異なるのではないか?と感じています。

 

 存在する根拠はありませんが、先に江戸時代に流行していたであろう「トコトンヤレぶし」の替歌として、♪宮さん宮さんの歌詞が広まったのではないか?という可能性を感じます。

 

 下記リンクの「当勢流行トコトンヤレぶし」という浮世絵に書かれている歌詞も気になります。

「当勢流行 トコトンヤレぶし」 - Image Annotator (kanzaki.com)

 

 解読が難しいですが文字数を見ても「宮さん宮さん」のメロディに当てはめる事が難しい気がします。

 

 新政府軍も「明確なメロディは無くて構わない。天皇陛下が国をお治めになられる事、新政府軍が官軍である事が多くの人たちに知れ渡ればそれでいい。」程度の感覚で、実際は様々な節回しで歌われていた可能性もあります。

 

 

イギリスの喜劇オペラ『The Mikado』に採用されてから

 明治18年、イギリスで日本を題材にした喜劇オペラが上演されています。

 

 『ザ・ミカド』というオペラで「宮さん宮さん」が日本語のまま歌われます。

 

 海外では「Miya Sama, Miya Sama」というタイトルになっています。

 

 


www.youtube.com

注)D'Oyle Carte Opera Company - トピックの動画

 

 

 「宮さん宮さん」がどのような形でイギリスに伝わったのか分かりませんが、現代に伝わるメロディで歌われている事が分かります。

 

 このオペラの人気ぶりが日本に伝わってから、「実は作曲者は祇園の芸者で・・・」という巷のうわさ話や「西洋に通用する音楽だから教科書に乗せよう」とする先述の動きが起きたように感じます。

 

 

 ・・・やっと明治時代の流行歌にも興味を持ち始めました。少しずつ調べようと思います。