ヒット曲けんきゅうしつ

なぜヒットする?は証明できないと思います。誤字はちょっとずつ修正します。

「悲しき街角」デル・シャノン(昭和36年)

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 流行時期(いつ流行った?)

 デル・シャノン(Del Shannon)さんの「悲しき街角」は、昭和36年(1961年)にヒットしました。

 

 当時発刊されていた音楽雑誌のランキング推移は下記の通りです。

集計日付 『ミュージックマンスリー』 『ダンスと音楽』
昭和36年7月 15位 12位
昭和36年8月 圏外 5位
昭和36年9月 4位 5位
昭和36年10月 4位 4位
昭和36年11月 4位 3位
昭和36年12月 9位 5位
昭和37年1月 圏外 8位

 

 昭和36年の10月、11月ごろに最もヒットしていたと推測されます。

 

 カヴァー・ポップス全盛期ですので、飯田久彦さんの日本語歌唱盤もヒットしています。

 

「悲しき〇〇」 

  昭和3、40年代の洋楽ヒットには、「悲しき〇〇」という作品が、たくさん登場します。

 レコード会社の洋楽部門の方々が邦題を付けるのを面倒に感じていたのではないか?と感じるくらい、「悲しき〇〇」がヒットチャートに登場しました。

 

<主なヒットした「悲しき〇〇」の一覧>

曲名 歌手名 流行した年
悲しき16才 ケーシィ・リンデン 1960(昭和35)
悲しき少年兵 ジョニー・ディア・フィールド 1961(昭和36)
悲しき街角 デル・シャノン 1961(昭和36)
悲しき片想い ヘレン・シャピロ 1962(昭和37)
悲しきクラウン ニール・セダカ 1962(昭和37)
悲しきカンガルー パット・ブーン 1963(昭和38)
悲しき雨音 カスケーズ 1963(昭和38)
悲しき悪魔 エルヴィス・プレスリー 1963(昭和38)
悲しき願い アニマルズ 1965(昭和40)
悲しき戦場 バリー・サドラー軍曹 1966(昭和41)
悲しき天使 メリー・ホプキン 1969(昭和44)
悲しき鉄道員 ザ・ショッキング・ブルー 1971(昭和46)
悲しき初恋 パートリッジ・ファミリー 1971(昭和46)
悲しきジプシー シェール 1972(昭和47)

 

 原盤の曲を聴いたり、歌詞を見て、「ウン、これは悲しい感じがするから、『悲しき~』で。」と雑に扱っていたのではないか?と思われても仕方ありません。

 

原題はRUNAWAY

 「悲しき街角」の場合は、センスのある邦題であると感じます。曲の雰囲気に合っています。

 音楽の事はよく分かりませんが、ポール・アンカさんの作品のように分かりやすいメロディが特徴です。


 

 裏声を使うサビや、おそらく鍵盤楽器による間奏も耳に残りやすく、聴き手がイメージするアメリカン・ポップスの特徴が詰め込まれた作品であると感じます。

 

 ポール・アンカさんの作品に近いと感じる理由は、「ダイアナ」を聴いたときに感じるルンバのリズムに似ているからかも知れません。

 

 分かりやすさを感じる作品ですが、途中で同主調に転調しています。この時代のヒット曲では、転調というテクニックは、洋楽のヒット曲でもあまり見かけないように感じます。

 

 テンポの早い「悲しき街角」は、自然と悲しい響きのする短調から明るい長調に変化します。この移行に不自然さはありません。

 

 レコードジャケットの解説にも「御機嫌なヒット・ソング」と書かれていますが、スピード感があるメロディは聴いている側の心を楽しませてくれます。

 

 

 バンドプロデューサーの分析では、「悲しき街角」はB♭マイナー(変ロ短調)で始まります。サビからはB♭メジャー(変ロ長調)に転調しています。

 

曲情報

 発売元:日本ビクター株式会社

 品番:ATL-1072

 A面

  「悲しき街角」

  原題:RUNAWAY

  演奏時間:2分18秒

 

 B面

  「ジョーディー」

  原題:JODY

  演奏時間:2分22秒

 

 全米ヒット・パレード上位に進出したスマッシュ・ヒット

 

参考資料

 「悲しき街角」レコードジャケット

 『ミュージックマンスリー』月刊ミュジック社

 『ダンスと音楽』ダンスと音楽社

 「バンドプロデューサー」