流行時期(いつ流行った?)
ピーター・ポール・アンド・マリー(PPM)さんの「虹と共に消えた恋」は、昭和41年(1966年)の暮れから、翌年にかけて流行しました。
ベトナム戦争に対する反戦意識が高まっていた時期に登場したフォークソングです。
ランキングを見ると、どちらかといえば昭和41年の方が流行期間が長いように感じます。月刊誌『ダンスと音楽』のランキング推移は下記の通りです。
集計日付 | 順位 |
昭和41年10月 | 7位 |
昭和41年11月 | 5位 |
昭和41年12月 | 2位 |
昭和42年1月 | 2位 |
昭和42年2月 | 8位 |
歌を通して伝えたい事
「虹と共に消えた恋」のレコードジャケットの解説には、ピーター・ポール・アンド・マリーさんのリーダーである、ピーターさんのコメントが掲載されています。
製作に際する姿勢を挙げており、『音楽を通して、自分たちが主張しても構わない、と考えている3つの視点』が記載されています。
1つめに挙げられたのは“音楽の持ち味”です。おそらく表現しようとするサウンドの事で、役割としては作曲や編曲の事と思われます。
2つめは“フォーク・ソングの尊重”です。音楽表現として、ギターだけで伝えたい事を表現できるスタイルに敬意を表しているように感じます。
3つめは、“歌で何かを伝える事”が挙げられています。この役割を果たすのは、歌詞です。
私は、最後に挙げた3つめの点が最も重視されているように感じます。
自分の気持ちを伝える方法
この時期のフォークソングは、自身の心情を訴える流行歌よりも自分の考えが含まれるため、主張が強いジャンルでした。
誰でも、他人に対して何か伝えたい想いを持っておられる事と思います。
それは自分の感情なので、発信する自分自身は単純に口や言葉にすれば良いだけですが、それが相手に受け入れられるか、発言の意図が伝わるかどうかは、自分自身の表現力が重要になります。
この考え方は、レコード流行歌の基本となる考え方だと感じます。音楽で表現する事で、相手の心に入りやすくなりますが、上手く表現できなければヒットはしません。多くの人の支持を集めるための技術が必要です。
音楽を製作する側は、『自分たちの考えている事や感じた事を、見ず知らずの人に受け入れてもらうためには、一体どのような音楽表現をすれば良いのだろう?』と、様々な視点から考える必要があるため、“音楽の持ち味”を最初に挙げたかなと思われます。
聴き手をひきつけない作曲・編曲
「虹と共に消えた恋」は独特な印象を感じる作品です。レコード音楽は、たいていは聴き手の気持ちを高揚させようとしてにぎやかだったり、覚えやすいイントロの作品が多いのですが、そういった始まり方ではありません。
フォークギターの独奏ではじまりますが、オーケストラの演奏で始まる流行り歌のイントロに慣れている多くの人にとっては、ギターの音色だけの静かな始まり方が印象に残ります。
続いてマリーさんの歌声が聴こえてきますが、こちらもポップスでは聴いたことの無いサウンドです。声が低めな印象を受けますが、サビに入ってもそれほど盛り上がるような曲調にはなっていません。
歌はサビでも盛り上がりは無く同じフレーズの繰り返しで、しかも伴奏はギターだけです。このような音楽表現は、従来のレコード流行歌では存在しなかったように思います。
「メロディは記憶に残ってるけど歌詞は覚えていない」みたいな印象を与えないように、あえてこのような表現をしたのではないか、と感じます。
バンドプロデューサーの分析では、「虹と共に消えた恋」はB♭マイナー(変ロ短調)です。
あえて盛り上げないようにした作品のようで、後半になって半音あがったりもしません。
この作品でアーティストが重視している事を理解しておれば、発売元の会社の方で、作品の和訳を掲載してもいいのではないか?と感じますが、レコードジャケットは、他の洋楽作品と同じように、原詩のみが掲載されています。
曲情報
1967年 年間39位(洋楽・邦楽ポピュラー部門)
レコード
発売元:東芝音楽工業株式会社
品番:BR-1562
A面
「虹と共に消えた恋」
原題:GONE THE RAINBOW
演奏時間:2分39秒
B面
「サンフランシスコ・ベイ・ブルース」
原題:SAN FRANCISCO BAY BLUES
演奏時間:3分
参考資料
「虹と共に消えた恋」レコードジャケット
『ダンスと音楽』ダンスと音楽社
「バンドプロデューサー」