ヒット曲けんきゅうしつ

なぜヒットする?は証明できないと思います。誤字はちょっとずつ修正します。

1960年代

「君こそわが命」水原弘(昭和42年)

流行時期(いつ流行った?) 水原弘さんの「君こそわが命」は、昭和42年(1967年)にヒットしました。 『レコードマンスリー』のランキングによると、2月から4月にかけて3ヶ月連続首位を獲得する大ヒット作品となっています。 集計日付 順位 昭和42…

「逢いたくて逢いたくて」園まり(昭和41年)

流行時期(いつ流行った?) 園まりさんの「逢いたくて逢いたくて」は、昭和41年(1966年)にヒットしました。 前年の紅白歌合戦でこの作品を歌唱されていますので、もしかしたら、紅白をきっかけにヒットをしたのかも知れません。 『ミュージックマン…

「花はおそかった」美樹克彦(昭和42年)

流行時期(いつ流行った?) 美樹克彦さんの「花はおそかった」は、昭和42年(1967年)にヒットしました。 『レコードマンスリー』の月間ランキングによると、4、5月に最もヒットしていたようです。 集計日付 順位 昭和42年3月 23位 昭和42年4月 5位…

「浪曲子守唄」一節太郎(昭和41年)

流行時期(いつ流行った?) 一節太郎(ひとふし たろう)さんの「浪曲子守唄」は、レコードの発売から、曲がヒットするまでにとても時間がかかった作品の1つです。 昭和38年(1963年)12月に発売されましたが、ヒットチャートに登場したのは、昭和…

「いとしのマックス(マックス・ア・ゴーゴー)」荒木一郎(昭和42年)

流行時期(いつ流行った?) 荒木一郎さんの「いとしのマックス(マックス・ア・ゴーゴー)」は、昭和42年(1967年)にヒットしました。 『レコードマンスリー』の“全国のレコード店がえらんだ今月のベスト・セラーズ”のヒットチャートによると、昭和…

「骨まで愛して」城卓矢(昭和41年)

流行時期(いつ流行った?) 城卓矢(じょうたくや)さんの「骨まで愛して」は、昭和41年(1966年)にヒットしました。 『ミュージックマンスリー』の“全国のレコード店がえらんだ今月のベスト・セラーズ”のヒットチャートでは、昭和41年の4、5月…

「勇気あるもの」吉永小百合とトニーズ(昭和42年)

流行時期(いつ流行った?) 吉永小百合さんとトニーズさんが歌う「勇気あるもの」は、昭和41年(1966年)10月に発売されました。年末の紅白歌合戦でこの作品を歌唱されています。 『レコードマンスリー』の“全国のレコード店のえらんだ今月のベスト…

「銀座ブルース」和田弘とマヒナスターズ、松平直樹、松尾和子(昭和41年)

昭和の流行歌に登場する“ご当地ソング”。実在の街の文化を象徴する単語がちりばめられた作品ですが、このジャンルには暗黙の価値観があります。 それは“都会と地方都市”の関係です。都会と言えばもちろん首都である東京です。歌謡曲に登場する街で人気なのは…

「恋人と呼んでみたい」永井秀和(昭和42年)

オリコンの記録を参照すると、永井秀和さんの「恋人と呼んでみたい」が発売されたのは昭和42年10月5日です。 しかし、ミュージックマンスリーのランキングでは昭和42年9月、10月にヒットしていました。 集計日付 順位 昭和42年9月25日 20位 昭和42…

「ポカンポカン」梓みちよ(昭和41年)

昭和41年のヒット曲には、あるキーワードがあります。それは、“ふたり”です。 この年を代表するヒット曲、「君といつまでも」がそうさせたのか、元々この年には、みんなが幸せを実感する世の中の雰囲気があったのかは分かりませんが、同年にヒットした梓み…

「恋のメキシカン・ロック」橋幸夫(昭和42年)

ヒットチャートの無い時代の作品は、後世で語り継がれる間に、「きっと、当時すごく流行った曲なんだろう。」と感じる作品があります。 しかし、実際に当時の記録を見返すと、「アレ?そんなに流行ってたのかな?」と感じる作品も存在します。 今回取り上げ…

「オバケのQ太郎」石川進(昭和41年)

テレビアニメが流行歌に登場し始めたのは、昭和30年代後期です。当時は、“アニメ”という呼称は存在せず、漫画の映像化であり、テレビ映像も白黒だったためか"テレビまんが”と表現されていました。 初のテレビアニメのヒット曲は「エイトマン」(昭和38年…

「スエーデンの城」レーモン・ル・セネシャル指揮の楽団(昭和39年)

昭和30年代の洋楽ヒットチャートには、映画館のスクリーンで流れた音楽が登場する事が頻繁にありました。 昭和39年にヒットした「スエーデンの城」も、当時日本で公開されたフランス映画の主題曲です。 日本で初めて売上ランキングの作成を試みた雑誌『…

「家へは帰れない」ザ・シャングリラス(昭和41年)

昭和3、40年代は、セリフが加えられた作品が多く登場したように感じます。間奏にセリフが挟まれる歌と言えば、つい演歌・歌謡曲を連想してしまいますが、洋楽でもたまに登場しました。 昭和41年にヒットしたザ・シャングリラさんの「家へは帰れない」は…

「島育ち」田端義夫(昭和38年)

歌謡曲では、地理的に日本の果ての街にいる人物が描かれる事があります。 知り合いのいない最果ての地に赴き、そこで打ち明けられる心情は悲しみが多いため、つい北国が思い浮かびますが、太平洋側の南国の作品も多いです。 昭和37年11月に発売され、翌…

「ノー・ノー・ノー」ザ・ヒューマン・ベインズ(昭和43年)

今回は、音楽ではなくデザインに偏ってしまう内容かも知れません。昭和43年頃のレコード業界に目に見える形で登場した、大変奇妙な流行である“サイケデリック”と呼ばれるジャンルについて取り上げます。 この流行は、レコードジャケットでの流行と捉えてい…

「ダイアモンド・ヘッド」ベンチャーズ(昭和40年)

昭和39年にヒットチャートに姿を現した、エレキギターが主体の器楽演奏であるサーフィン・サウンドは、ベンチャーズさんの活躍によって、ひとつのジャンルを形成する大規模な流行となりました。 昭和40年1月に来日公演をされたベンチャーズさんですが、…

「レッド・リヴァー・ロック」ジョニーとハリケーンズ(昭和35年)

日本でロックン・ロールが広く知れ渡ったのは、昭和31年にエルヴィス・プレスリーさんの「ハート・ブレーク・ホテル」が登場してからです。 『ダンスと音楽』のランキングには、昭和30年にビル・ヘイリーと彼のコメッツさんの「ロック・アラウンド・ザ・…

オリコンチャート第1回の1位曲「ラブユー東京」黒沢明とロス・プリモス(昭和42年)

オリコンチャートの第1回のランキングで首位となったのは、黒沢明とロス・プリモスさんの「ラブユー東京」です。 昭和43年1月4日付の週間ランキングで、その後、3週連続で1位となりました。 1967年に行われていた試験チャートでも数週間1位を記録してお…

南米ベネズエラの民族楽器の響き「コーヒー・ルンバ」ウーゴ・ブランコとそのアルパ・ヴィアヘラ(昭和36年)

昭和36年(1961年)に流行した「コーヒー・ルンバ」は、海外の作品です。 オリジナルは「MOLIENDO CAFE」と言う名前で、パラグアイの民族楽器であるアルパの一種で演奏される作品です。 レコードジャケットの解説によると、従来のハープより小型で、持ち運び…

戦後初のミリオンセラー?「王将」村田英雄(昭和37年)

昭和43年(1968年)1月4日から始まったオリコンチャート。初のミリオンセラーは「帰って来たヨッパライ」(1968)です。 1960年代はオリコンのヒットチャートが存在しないため、レコードがどれくらいの枚数を売り上げたのかを把握する事はできません。 しか…

イギリス生まれの曇ったサウンド「ふたりのシーズン」ザ・ゾンビーズ(昭和44年)

流行時期(いつ流行った?) ザ・ゾンビーズさんの「ふたりのシーズン」は、昭和44年(1969年)にヒットしました。 3月下旬に発売されたレコードは6月に最高順位を記録しています。 <『レコードマンスリー』洋楽月間ランキング推移> 年月 順位 昭…