昭和39年にヒットチャートに姿を現した、エレキギターが主体の器楽演奏であるサーフィン・サウンドは、ベンチャーズさんの活躍によって、ひとつのジャンルを形成する大規模な流行となりました。
昭和40年1月に来日公演をされたベンチャーズさんですが、ヒットチャートでの活躍は「急がば廻れ」(昭和39年)から始まります。
「急がば回れ」は昭和35年の作品です。どうも、時代を先取りしていたようで、当時の日本では支持されませんでした。
日本でのヒットが無かった時期の盤では、“ベンチャーズ”ではなく、“ヴェンチャーズ”と表記されています。
先駆者として数年前からキャリアを積んでいるためか、サーフィン・サウンドでの活躍ぶりは、ビートルズさんに匹敵する勢いを感じます。
ミュージック・マンスリーのランキングを眺めていると、そのように感じますし、レコードジャケットには「ベンチャーズ・ファン・クラブ事務所」の印刷もされていますので、人気が高いグループだったと思います。
ヒットチャートに登場した作品数は、さすがにビートルズさんに適いませんが、支持された作品の流行具合は、ビートルズさん以上の結果を残しています。
ベンチャーズさんの作品で最も支持されたのは、「ダイアモンド・ヘッド」です。
集計日付 | 順位 |
昭和40年1月31日 | 8位 |
昭和40年2月28日 | 5位 |
昭和40年3月31日 | 2位 |
昭和40年4月30日 | 4位 |
昭和40年5月31日 | 9位 |
昭和40年6月30日 | 6位 |
昭和40年7月31日 | 11位 |
昭和40年8月31日 | 5位 |
昭和40年9月30日 | 8位 |
昭和40年10月31日 | 17位 |
昭和40年11月30日 | 圏外 |
昭和40年12月25日 | 圏外 |
昭和41年1月31日 | 16位 |
※『ミュージック・マンスリー』洋楽ポピュラー部門のランキング推移
ヒット曲はたいてい、山を横から見たときの輪郭のように、徐々に順位を上げて、流行のピークが過ぎると、順位を下っていきます。「ダイアモンド・ヘッド」の推移は6月、8月で再び順位を上げているので、何か購買行動を引き起こす出来事があったのだと思われます。
オーディションTV番組の『勝ち抜きエレキ合戦』が昭和40年6月末から放送され始めたようですので、練習のためにレコードを購入された若者が多くいたのか、TV番組を通して、さらに作品の知名度が広まったのでしょうか。
大ヒットした作品は、翌年初めに再び順位を上げる事があります。紅白効果とも呼ばれる現象ですが、「ダイアモンド・ヘッド」も再度チャートインしていますので、昭和40年を代表する流行歌だったと感じます。
バンドプロデューサーの分析では、「ダイアモンド・ヘッド」はB♭マイナー(変ロ短調)。シンプルなメロディの繰り返しで、エレキギターの演奏曲なのですが、なぜか心に響く作品です。
曲情報
発売元:東芝音楽工業株式会社
品番:LR-1177
A面
「ダイアモンド・ヘッド」
英題:DIAMOND HEAD
演奏時間:2分
B面
「朝日のあたる家」
英題:THE HOUSE OF THE RISING SUN
演奏時間:2分56秒
参考資料
「急がば廻れ」レコードジャケット
「ダイアモンド・ヘッド」レコードジャケット
『ミュージック・マンスリー』月刊ミュジック社
「バンドプロデューサー5」