流行時期(いつ流行った?)
水原弘さんの「君こそわが命」は、昭和42年(1967年)にヒットしました。
『レコードマンスリー』のランキングによると、2月から4月にかけて3ヶ月連続首位を獲得する大ヒット作品となっています。
集計日付 | 順位 |
昭和42年2月 | 1位 |
昭和42年3月 | 1位 |
昭和42年4月 | 1位 |
昭和42年5月 | 6位 |
昭和42年6月 | 16位 |
※『レコードマンスリー』の歌謡曲部門のランキング推移
レコードの発売と同時に首位を獲得しているため、前評判がかなり高かった作品であると考えられます。
「君こそわが命」は前年の紅白歌合戦で歌われた作品で、2月に発売されたと同時にその月で首位を獲得しています。
注)水原弘 - トピックの動画
なぜ流行った?
水原弘さんは、昭和34年の第1回レコード大賞となった「黒い花びら」を歌われた方です。それから8年後の昭和42年に「君こそわが命」がヒットする事になりますが、その期間にヒット曲をたくさん生み出していた方ではありません。
『ミュージックマンスリー』のランキングでも、「黒い花びら」がヒットした後、「黒い落葉」や「黒い貝殻」がランクインしています。これらのヒットは「黒い花びら」があっての事と感じますが、昭和30年代中期のリバイバルブームに乗じてか、「裏町人生」がヒットして以降、ランキングに登場することはありませんでした。
しかし、「君こそわが命」は大ヒットしました。
ヒットの背景には、この作品には、昭和41年に支持された幸福感に通じる心情が歌われていたからではないか、と考えます。
失礼ながら、水原弘さんのネームバリューよりも、「君こそわが命」の作品の良さに支持が集まったと感じます。
幸せ探して
歌謡曲で取り上げられるテーマの1つに、“幸せを求める事”があります。幸せの対象は様々で、理想郷的な表現で描かれる事もあれば、愛する異性である事もあります。
「君こそわが命」は、愛する人の事を“幸せ”の対象として描いています。
幸せを求める人物が描かれる事が歌謡曲では多いです。そして、幸せにたどり着いた人物の心境を歌っている作品は、少ないように感じます。
「君こそわが命」が流行っていた時期は、若者のあいだでフォークソングが支持されつつありましたが、フォークソングの登場人物は幸せを求めながらも、たどり着く様子が描かれていません。
しかし、「君こそわが命」では、探し求めていた幸せに出会えた人物の心理が描かれています。
自らの意思で幸せから離れる心理
歌詞の1、2番では、主人公が求めていた希望が目の前にある事の喜びが描かれています。しかし、3番になると、好機を逃したのか、あるいは愛する人の事を想ってか、自ら幸せから去ろうとする心理が歌われています。
しかし、それは本当にあきらめたのではなく、曲の最後でも愛する人の事を希望の象徴として歌われています。
手の届くところまで幸せにたどり着いたのに、自分の決断で去っていく登場人物の心理の背景には、どうしてだろう?と色々と考えされられます。
このような登場人物は、幸せを幸せと感じる平成のヒット曲の歌詞では、なかなか描かれない心理です。
“幸せを見つけたのに、そこから離れていく人物”は、昭和40年代後半に若者向けの作品でよく見かけるようになります。
「さらば恋人」(昭和46年)や「夜明けの停車場」(昭和47年)等が思い浮かびます。
昭和40年代中頃には“幸せ”について問いかけるような作品が色々と登場します。答えの無い問いなので、聴き手は色々考えてしまいますが、「君こそわが命」は聴いていても、それほど複雑な気持ちにはなりません。
「君こそわが命」の登場人物は、当時の歌謡界で支持されていた“幸せ”に対して、初めて自分の意志で離れて行きます。
それは、“自分の幸せよりも相手の幸せを尊重する心理”が描かれている事であり、この心理を描いた作品が他になかったため、支持を集めたのではないか、と感じます。
バンドプロデューサーの分析では、「君こそわが命」はB♭メジャー(変ロ長調)です。
曲情報
1967年 年間7位(歌謡曲部門)
レコード
発売元:東芝音楽工業株式会社
品番:TP-1390
A面
「君こそわが命」
英題:KIMIKOSO WAGAINOCHI
作詞:川内 康範(かわうち こうはん)
作曲:猪俣 公章(いのまた こうしょう)
編曲:猪俣 公章
「週刊アサヒ芸能」連載小説より
B面
「沈黙のブルース」
英題:CHINMOKUNO BLUES
作詞:川内 康範
作曲:猪俣 公章
編曲:猪俣 公章
参考資料
「君こそわが命」レコードジャケット
『レコードマンスリー』日本レコード振興
『ミュージックマンスリー』月刊ミュジック社
「バンドプロデューサー」