昭和3、40年代は、セリフが加えられた作品が多く登場したように感じます。間奏にセリフが挟まれる歌と言えば、つい演歌・歌謡曲を連想してしまいますが、洋楽でもたまに登場しました。
昭和41年にヒットしたザ・シャングリラさんの「家へは帰れない」は、歌とセリフの割合が逆転し、作品のほとんどがセリフになっている、珍しい構成の作品です。
この作品も歌詞カードに和訳が掲載されていないため、詞の詳しい内容は分かりません。
あらすじは、主人公の女学生が母親に認めてもらえない相手を好きになります。「若いから分からないと思うけど、それは愛じゃない」と母は伝えますが、「これは愛なの!」と思い込んだ主人公は家出をしてしまいます。
しかし母親の言う通り、恋愛は長く続きません。家出をしているときに気付いたのは、恋人との恋の想い出ではなく、母親に育てられた頃の愛情のある想い出です。「ママ!」という叫びが印象的ですが、家出をした間に母親は他界しています。
愛というのがどういったものであるか分からず、瞬間的な感情で親不孝な事をしてしまった自分の愚かさを深く後悔しています。
そのため、暗い印象の曲調となっていますが、同年代の同じ境遇の女の子に対して、母が言っていたように、「決して私と同じ事をしてはいけない。」と訴える作品になっています。タイトルの“家に帰れない”理由です。
この作品が取り上げたテーマは、数分程度の歌唱では到底表現できない感情ですので、セリフで表現するように製作された作品だと考えます。
・当時の雑誌のランキング推移
集計日付 | ミュージック・マンスリー | ミュージック・ライフ | ダンスと音楽 |
昭和41年2月 | 15位 | 24位 | |
昭和41年3月 | 10位 | 21位 | 8位 |
昭和41年4月 | 5位 | 14位 | 6位 |
昭和41年5月 | 16位 | 18位 |
それぞれの雑誌で順位に大きな差があるものの、4月が最も順位が高いため、この時期にヒットしたと思われます。
順位に大きな差があると感じますが、オリコンが始まる前のシングル盤のヒットチャートは、洋楽と邦楽が別々で集計される習慣がありました。
洋楽か?邦楽か?の定義が明確ではなく、“この時期に日本の音楽界で勢力を増したフォークやグループサウンズのポップス作品を、洋楽にするか、邦楽にするか”の議論が背景にあります。
海外の音楽文化に由来するポップス作品、「バラが咲いた」や「青い瞳」、「君といつまでも」などが流行っていました。これらの日本人が作曲して日本人が歌ったポップスを、どちらのランキングに振り分けるか?が雑誌社によって異なるため、順位に差が生まれています。
“若者受けする音楽が洋楽(ポップス)だ!”と判断した雑誌社では、その分洋楽側に作品数が増えるため、「家へは帰れない」のランキング順位が低くなります。
“洋楽レーベルから発売されたレコードが洋楽だ!”と判断すると、この作品のランキングは高くなります。
数年後に再び発売されたレコードの宣伝文句に、“ポピュラー音楽の幻の名盤、遂に登場!!メアリーの語りがキミの心に訴えかける!”と記載されていますので、当時それほどヒットしていないと考えられます。・・・幻の名盤という表現ですので。
バンドプロデューサーの分析では、「家へは帰れない」はBm(ロ短調)。ヒットの規模は小さいかもしれませんが、歌を通して伝えたかった事を、セリフで訴えようとした演出が秀でているため、印象に残る作品です。
曲情報
発売元:日本ビクター株式会社
品番:JET-1636
A面
「家へは帰れない」
原題:I CAN NEVER GO HOME ANY MORE
演奏時間:3分12秒
B面
「ブルドッグ」
原題:BULL DOG
演奏時間:2分22秒
参考資料
「家へは帰れない」レコードジャケット
『ミュージック・マンスリー』月刊ミュジック社
『ミュージック・ライフ 東京で1番売れていたレコード 1958~1966』株式会社シンコー・ミュージック・エンタテイメント
『ダンスと音楽』ダンスと音楽社
「バンドプロデューサー5」