オリコンチャートの第1回のランキングで首位となったのは、黒沢明とロス・プリモスさんの「ラブユー東京」です。
昭和43年1月4日付の週間ランキングで、その後、3週連続で1位となりました。
1967年に行われていた試験チャートでも数週間1位を記録しており、どちらかと言うと流行したのは1968年ではなく、1967年の末と考えられます。
この記事で試験チャートのランキングが確認できます。
レコード・マンスリーの月間ランキングも似たような推移をしています。
集計日付 | 順位 |
昭和42年09月25日現在 | 12位 |
昭和42年10月25日現在 | 4位 |
昭和42年11月25日現在 | 1位 |
昭和42年12月20日現在 | 1位 |
昭和43年01月25日現在 | 1位 |
昭和43年02月25日現在 | 7位 |
昭和43年03月25日現在 |
16位 |
※『レコード・マンスリー』歌謡曲部門のランキング推移
注)日本クラウン 演歌・歌謡曲 公式チャンネルの動画
「ラブユー東京」の発売日は1966年4月と印刷されています。ヒットチャートに登場するのは1967年9月ですので、人気に火が付くのに、1年半近くもかかった作品になります。そして、元々はB面の曲だった事も特徴です。
ヒットソングは、新曲である事が最大のセールスポイントと捉えていますが、“ヒットするまでに時間がかかる曲”、“B面がヒットする曲”は、21世紀になっても稀に登場します。
「ラブユー東京」が多くの人たちの心に響いたのは、歌詞ではないか?と考えます。1番は恋人に別れを告げられて深く傷ついた心情が描かれています。
歌いだしで“虹が消えた”という例えをしていますが、“虹”は希望のシンボルです。
同じ時期に、似た境遇の傷心の女性を描写する森進一さんの作品が次々とヒットし、アイドル的な人気を得ていました。
しかし、「ラブユー東京」は2番、3番では、気持ちを切り替えて前向きに生きよう、と歌われています。
一場面の心情を切り取って作詞される作品が多いなか、悲しみや明るさが混じった心情が描かれているのは珍しいと感じます。
「女心の唄」(1965年)もフラれた気持ちが延々と描かれており、最後に希望を捨てずに生きる、と歌われていますが、「ラブユー東京」は希望の心情を描く割合が多いように感じます。
涙を形容するために登場する“シャボン玉”、はじけて消える時の残念な気持ちを形容しているのは1番だけで、2、3番では希望のシンボルに変化していると解釈することもできます。
バンドプロデューサーの分析では、「ラブユー東京」はAm(イ短調)、“涙”が歌詞中にたくさん登場しますが、湿っぽさはあまり感じない歌謡曲です。
曲情報
1967年 年間14位(歌謡曲部門)
レコード
発売元:クラウンレコード
品番:CW-460
A面
「涙とともに」
英題:NAMIDA TO TOMONI
作詩:木村伸作
作曲:中川博之
B面
「ラブユー東京」
英題:LOVE YOU TOKYO
作詩:上原尚作
作曲:中川博之
参考文献
「ラブユー東京」レコードジャケット
『レコード・マンスリー』日本レコード振興株式会社
『ORICON No,1 HITS 500 1968~1985 上』株式会社クラブハウス
「バンドプロデューサー5」