ヒット曲けんきゅうしつ

なぜヒットする?は証明できないと思います。誤字はちょっとずつ修正します。

「恋のメキシカン・ロック」橋幸夫(昭和42年)

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 ヒットチャートの無い時代の作品は、後世で語り継がれる間に、「きっと、当時すごく流行った曲なんだろう。」と感じる作品があります。

 しかし、実際に当時の記録を見返すと、「アレ?そんなに流行ってたのかな?」と感じる作品も存在します。

 今回取り上げる橋幸夫さんの「恋のメキシカン・ロック」(昭和42年)は、そのうちの1曲です。

 

 ミュージックマンスリーの記録を見ると、「恋のメキシカン・ロック」は、ヒットはしたものの、それほど大きな規模ではなかったような印象を受けます。

 

集計日付 順位
昭和42年5月 10位
昭和42年6月 7位
昭和42年7月 13位

 ※ミュージックマンスリーの歌謡曲部門のランキング推移

 

 昭和42年5月に発売され、3ヶ月間ランクインしていますが、順位もそれほど高くありません。昭和42年は、グループ・サウンズがブームとなった年で、若手の歌謡曲歌手にとっては逆風の時期だったのかも知れません。

 

 「恋のメキシカン・ロック」は、覚えやすいメロディで、軽快なサウンドが印象的です。流行歌の性質である、なじみやすさを備えており、良い作品であると感じます。

 

 

 橋幸夫さんの作品に注目すると、「恋のメキシカン・ロック」は、昭和39年に発表された「恋をするなら」以降のリズム歌謡と呼ばれる作品に該当します。

 

 昭和40年のレコード大賞では、橋さんの所属するビクターさんが“橋幸夫が歌った一連のリズム歌謡”で、企画賞を受賞されています。

 おそらく、「潮来笠」でデビューされた歌謡曲歌手、その後青春歌謡を歌い、一世を風靡した橋幸夫さんが、さらに新しい分野の音楽に取り組んだ事が評価されたのだと思います。

 

 ミュージックマンスリーのランキングでは、「恋をするなら」のヒットの後に、「チェッチェッチェッ」、「あの娘と僕」、「僕らはみんな恋人さ」と、リズム歌謡が立て続けに人気となったのが昭和40年ですので、当時、かなり話題になった事と感じます。

 

 昭和41年のリズム歌謡、「恋と涙と太陽」も人気が高かったような印象を受けます。

 

 「恋のメキシカン・ロック」は、リズム歌謡のブームから2年後の作品になります。橋さんのリズム歌謡が多くの人たちに浸透した時期に発売された作品であるため、目新しさは昭和40年ほどではなく、そのため、ヒットの規模がそれほど大きくならなかったように感じます。

 

 

 おそらく、昭和41年に話題となった洋楽曲「蜜の味」のヒットがこの作品の誕生のきっかけになっていると考えられます。

 ハーブ・アルパートとティファナ・ブラスさんの演奏する「蜜の味」は、アメリアッチと呼ばれる新しい音楽でした。メキシコの音楽になります。

 

 海外の新しい流行を次々に取り入れてきたレコード業界もこの作品に注目したようで、ビクターさんはアメリアッチのさらに先のメキシカン・ロックを昭和42年のニュー・リズムとして売り出されました。

 「恋のメキシカン・ロック」の歌詞カードには、ディスコの新しいステップとして、足形の図でステップの基本が解説されています。この時点でディスコと表記している事が意外に感じます。昭和50年代に巻き起こるディスコ・ステップに通じる解説になっています。

 

 翌年の昭和43年に、メキシコでオリンピックが開催される事もあってか、かなり力を入れた解説が掲載されていますが、この時代のディスコというと、ゴーゴーやモンキーダンスの方が人気があったではないか?と感じます。

 

 もしかしたら、時代の雰囲気に不運にも合致せず、当時の評価がそれほどでは無い結果になったのかも知れません。

 

 バンドプロデューサーの分析によると、「恋のメキシカン・ロック」はDメジャー(ニ長調)です。橋さんの歌唱はテンポの良い作品でも違和感がありません。

 

 

曲情報

1967年 年間34位(歌謡曲部門)

 

 

レコード

 発売元:日本ビクター株式会社

 品番:SV-558

 A面

  「恋のメキシカン・ロック」

  英題:KOI NO MEXICAN ROCK

  演奏時間:3分14秒

 

 B面

  「若い渚」

  英題:WAKAI NAGISA

  演奏時間:4分6秒

 

参考資料

 「恋のメキシカン・ロック」レコードジャケット

 『ミュージックマンスリー』月刊ミュジック社