流行時期(いつ流行った?)
荒木一郎さんの「いとしのマックス(マックス・ア・ゴーゴー)」は、昭和42年(1967年)にヒットしました。
『レコードマンスリー』の“全国のレコード店がえらんだ今月のベスト・セラーズ”のヒットチャートによると、昭和42年の7、8月に最も流行したようです。
学生の方々が夏休みになる時期にヒットしていたようです。
集計日付 | 順位 |
昭和42年5月 | 29位 |
昭和42年6月 | 10位 |
昭和42年7月 | 5位 |
昭和42年8月 | 5位 |
昭和42年9月 | 9位 |
注)荒木一郎 - トピックの動画
同時期に流行った作品
昭和42年はグループサウンズ(GS)がブームとなった年です。「いとしのマックス」は、そのブームが最高潮になった時期にヒットしていたと考えられます。
美空ひばりさんの「真赤な太陽」や、ジャニーズさんの「太陽のあいつ」と、グループサウンズのジャンルではない方々もGS調の作品を発表されていた時期です。
このブームを巻き起こしたのは、ジャッキー吉川とブルー・コメッツさんの「ブルー・シャトウ」と考えられますが、この時期には「マリアの泉」がヒットしていました。
ザ・タイガースさんの「シーサイド・バウンド」や、ザ・カーナビーツさんの「好きさ好きさ好きさ」もヒットしていました。
作品について
荒木一郎さんは、ヒットチャート史上初めてのシンガー・ソングライターです。昭和41年(1966年)に自作曲であるフォークソングの「空に星があるように」がヒットし、レコード大賞新人賞を受賞されています。
翌年初めに「今夜は踊ろう」がヒットしています。こちらも、描いている心情に素朴さを感じるため、フォークソングに該当する作品であると感じます。
連続してヒットを記録されているため、多くのファンがおられた事が推測されます。
2曲とも作詞作曲をご自身でされているため、「バラが咲いた」ような世界観を表現するフォーク歌手だと思っていたら、次に登場したのが「いとしのマックス」です。
「いとしのマックス」は、それまでの荒木一郎さんの音楽性とは異なります。
英文がサビの歌詞に登場する点は「今夜は踊ろう」に通じるものがありますが、それ以外が異なります。
花や星といった自然の存在に自分の心情を投影するような詞が、当時支持されたフォークソングの世界観と捉えていますが、「いとしのマックス」は、他のジャンルでよく用いられるテーマである、自分が恋焦がれている女性への想いが歌われています。
それも、テンポが早く、グループサウンズの作品であるかのような曲調です。
異なる音楽表現をされる方が、当時の流行を表現した事がこの作品の特徴です。
“ゴーゴー”って何?
「いとしのマックス」のレコードジャケットには、「マックス・ア・ゴーゴー」という副題が記載されています。「~ア・ゴーゴー」とは、当時のディスコで流行していた踊り方の名称のようです。
ヒット曲では、ベンチャーズさんの「パラダイス・ア・ゴー・ゴー」(昭和40年)やエミー・ジャクソンさんの「涙のゴーゴー」(昭和41年)がありますので、「いとしのマックス」が流行していた時期には、幅広く浸透していた言葉だと思われます。
ダンスにはステップがつきものですが、どうやらゴーゴーにはステップが存在せず、それぞれが思い思いに自由に踊るスタイルのことをゴーゴーと定義していたようです。
疑問
ブームは熱狂的なものですので、勢いがあれば時流に乗る事ができる、という空気感が生まれます。
細かい事は気にならなくなりますが、ただひとつ気になるのは、マックスという名前は女性の名前ではあまり耳にしたことがありません。
実は、荒木一郎さんは、当時のGSの熱狂ぶりを客観的に眺めていて、流行の波に乗る姿勢を見せながらも、わざと恋人の名前に男性の名前であるマックスを、歌詞中の恋愛対象の女性の名前に用いたのではないか?と考えていまいます。
バンドプロデューサーの分析では、「いとしのマックス」はC#マイナー(嬰ハ短調)です。
曲情報
1967年 年間13位(歌謡曲部門)
レコード
発売元:日本ビクター株式会社
品番:SV-564
A面
「いとしのマックス/マックス・ア・ゴーゴー」
英題:ITOSHI NO MACKS / MACKS A GO GO
作詞:荒木一郎
作曲:荒木一郎
編曲:寺岡真三
歌:荒木一郎
演奏時間:2分37秒
B面
「美わしのシンデレラ」
英題:URUWASHI NO CINDERELLA
作詞:荒木一郎
作曲:荒木一郎
編曲:近藤進
歌:荒木一郎
演奏時間:2分23秒
東海テレビ制作「ミュージック・カレンダー」4月の歌
参考資料
「いとしのマックス」レコードジャケット
『レコードマンスリー』日本レコード振興
『全音歌謡曲全集16』全音楽譜出版社
「バンドプロデューサー」