ヒット曲けんきゅうしつ

なぜヒットする?は証明できないと思います。誤字はちょっとずつ修正します。

「La Tribu de Dana」Manau(1998年)

 

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『PANIQUE CELTIQUE』Manau

流行時期(いつ流行った?)

 TOP50(フランスのオリコン的ヒットチャート)のランキングによると、Manauさんの「La Tribu de Dana」は、1998年5月から10月上旬にかけてヒットしています。

 

 6か月のあいだ10位圏内にランクインし続け、6中旬から9月初めにかけて12週間連続で首位となっています。

 

 フランスではその年を代表する流行歌だったと推測されます。

 

 

同時期に日本で流行っていた曲(1998年6月中旬~9月初め)

 the brilliant greenさんの「There will be love there -愛のある場所-」T.M.Revolutionさんの「HOT LIMIT」SPEEDさんの「ALIVE」ラルク・アン・シエルさんの「HONEY」KinKi Kidsさんの「全部抱きしめて」等の作品が首位を獲得しています。

 

 ほぼ週替わりで首位作品が入れ替わっているものの、その年を代表するヒット曲が首位を獲得している印象を受けます。

 

 他にもヒット曲が多いと感じる時期です。Kiroroさんの「未来へ」MISIAさんの「つつみ込むように・・・」TUBEさんの「きっと どこかで」ポケット・ビスケッツさんの「Power」反町隆史さんの「POISON 〜言いたい事も言えないこんな世の中は〜」などがヒットしています。

 

 



Manau - La tribu de Dana

 

 

ワールドミュージックが支持され始めた1998年

 2019年現在は海外のニュースを見聞きしても、あまり「自国以外の人たちを受け入れよう」という価値観は感じません。政治・経済どちらもよく分かっていませんが、世界的に自国の利益を重視する価値観に傾く時代が始まっているようです。

 

 

 フランスの20年ほど前のヒットチャートを見ていると、1998年から2007年頃は、異なる文化の音楽表現を用いた作品が多数ヒットしています。当時は【異文化の価値観を受け入れる心の余裕】があったように感じてしまいます。

 

 2002年にヨーロッパ各国で共通の通貨ユーロを実現した事などを考えると、この時代は「価値観の違う国であっても協力しよう!」という雰囲気が勝っていたのかも知れません。

 

 

 この期間、様々な国の民族音楽を思わせる作品がヒットしましたが、そのなかでフランスのヒット曲でも珍しく自国の文化圏であるケルト音楽を用いた「La Tribu de Dana」がヒットしました。

 

 タイトルを機械翻訳すると“ダナの部族”となります。ダナがどの地域か?何を歌っているのか?も分かりませんが、民族音楽を連想させるタイトルと感じます。

 

 ケルト音楽というと日本ではエンヤさんが有名です。オリコンランキングによると、1997年末ごろから2000年代初めに人気を集めています。

 

 たまたまでしょうが「La Tribu du Dana」は、日本でケルト音楽に関心が高まっていた時期にフランスでヒットしていたようです。

 

 

ケルト音楽とラップの融合

 当時流行していた音楽表現はラップです。そのためフランスでは、民族音楽+ラップの音楽表現が融合したヒット曲が目立ちます。

 

 この組み合わせは日本では他に聴いたことが無く、意外な音楽表現と感じますので、つい作品の世界観の魅力に引き付けられていまいます。

 

 ダナ族という人たちは想像なのか実在したのかは分かりませんが、プロモで所々で登場する中世ヨーロッパを連想させる独特な衣装をまとった人物の姿を見ると、色々と想像がふくらみます。

 

 聴き手の想像力を刺激する作品と感じます。

 

楽曲分析

  「バンドプロデューサー5」の分析では、「La Tribu de Dana」はCマイナー(ハ短調)です。

 

 

参考資料

 TOP50(http://www.chartsinfrance.net/

 「you大樹」オリコン

 『PANIQUE CELTIQUE』CDジャケット

 「バンドプロデューサー5」

「Moi... Lolita」Alizée(2000年)

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流行時期(いつ流行った?)

 TOP50(フランスのオリコン的ヒットチャート)のランキングによると、Alizée(アリゼ)さんの「Moi...Lolita」は、2000年7月から2001年1月にかけてヒットしています。

 

 7か月のあいだ10位圏内にランクインし続けているため、当時かなりヒットしたと推測されます。

 

 本当は首位を獲得できるくらい人気を集めた作品だったと思われますが、TOP50では2位止まりとなっています。

 

 『ロミオとジュリエット』のミュージカルが大変人気となっていたようで、その劇中歌の1つである「Les rois du monde」に首位を阻まれています。

 

 長期間人気を獲得した作品ですが、9月~12月末にかけて2、3位と順位が高くなっているため、この期間が最も流行していたと思われます。

 

 

同時期に日本で流行っていた曲(2000年9月~12月末)

 SMAPさんの「らいおんハート」ポルノグラフィティさんの「サウダージ」MISIAさんの「Everything」が首位を獲得しています。

 

 他には、ECHOESさんの「ZOO」aikoさんの「ボーイフレンド」鬼束ちひろさんの「月光」矢井田瞳さんの「my sweet darlin'」DA PUMPさんの「if...」花*花さんの「さよなら大好きな人」などがヒットしています。

 

 

 


Alizée - Moi... Lolita (Clip Officiel HD)

注)Alizée 公式アーティストチャンネルの動画

 

 

少女から大人に成長する境界線

 この作品の特徴は、それまでの女性アイドルの作品が触れなかった部分、少女から大人に成長するターニングポイントが描かれているように感じます。

 

 歌声や衣装、若さなどで等身大の可愛さをアピールするだけで留まっている作品ではないと感じます。

 

 作品の世界観を演出するためか、ストーリー仕立てのプロモーションビデオも力が入っていると感じます。

 

 歌詞では映像のような場面や展開は書かれていませんが、アリゼさんが年上の男性を虜にする姿や、大人の女性に負けないように化粧をする姿は、私はもう子供じゃないと想う気持ちを秘めていると感じる事ができます。

 

 (…映像の会話が何を話しているのかとても気になりますし、お伝えする事が出来ればいいのですが、私はフランス語分かりません(>_<)!誰か教えてください!)

 

 

 『わたしはロリータ』の解説によると、アリゼさんをプロデュースされたミレーヌ・ファルメールさんは、15年もの間「Moi...Lolita」を歌う歌手を探し続けていたと書かれています。

 

 それだけ、この作品に思い入れがあったのかも知れませんが、15年も温め続けたというのは、聴く側の立場である私には信じられない話です。

 

    「ベストな形で作品を世に出したい!」と想う、音楽を製作する立場の方々の情熱が感じられます。

 

 

日本ではヒットしなかった現代版フレンチポップス

 日本では「Moi...Lolita」が収録されたCDアルバム『わたしはロリータ』が2001年4月下旬に発売されていました。

 

 試しにオリコン年鑑の年間集計を確認してみましたが、ランクインはしていませんでした。

 

 当時は宇多田ヒカルさんと浜崎あゆみさんの人気競争が話題になっており、同日発売の『Distance』『A BEST』のどちらが、多く売り上げるのか?が話題になっていた時期でした。

 

 …曲作りを行うアーティスト性を備えた女性歌手が注目されていたため、残念ながらアリゼさんの日本デビューはタイミングが良くなかったと感じます(>_<)。

 

 

 フレンチ・ポップスは1960年代の日本で支持を集めました。70年代初めにはミッシェル・ポルナレフさんの作品も人気となりましたが、やはり『フレンチ・ポップス=女性アイドルポップス』という固定概念があります。

 

 シルヴィ・バルタンさんやフランス・ギャルさんの作品を連想してしまいます。

 

 後年のフランスで人気となったアイドルではヴァネッサ・パラディさんが有名なようです。

 

 「Joe Le Taxi」(1987年)はフランスでは社会現象の規模で流行したようです。

 

 2000年に登場したアリゼさんの作品は、そういったフレンチ・ポップスの路線を連想させてくれます。

 

 そのため、個人的に日本でももう少しくらい支持を集める事が出来たのではないか?と感じます。

 

 

楽曲分析

  「バンドプロデューサー5」の分析では、「Moi...Lolita」はBマイナー(ロ短調)です。

 

参考資料

 TOP50(http://www.chartsinfrance.net/

 「you大樹」オリコン

 「Moi... Lolita」CDジャケット

 『わたしはロリータ(Gourmandises)』CDジャケット

 「バンドプロデューサー5」

「Despacito」Luis Fonsi ft. Daddy Yankee(2017年)

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流行時期(いつ流行った?)

 Luis Fonsi(ルイス・フォンシ)さんの「Despacito ft. Daddy Yankee」(邦題:デスパシート)は、2017年にフランスでも大ヒットしました。

 

 TOP50(フランスのオリコン的存在のヒットチャート)のランキングによると、2017年3月末に6位にランクインし、9月末までの半年間にわたってベストテンにランクインし続けています。

 

 1週間だけ2位に落ちるものの、5月初めから9月初めまでの18週間にわたって首位を獲得し続けた驚異的なヒット曲です。

 

 (日本の首位最長記録は17週間、ピンキーとキラーズさんの「恋の季節」(1968年)です。)

 

 

その頃、日本では…

 この時期のオリコンランキングでは数週間も続けて1位を獲得できる作品が存在しないだけでなく、毎週上位の作品が入れ替わっており流行したと感じる作品はほとんど見受けられません。

 

 乃木坂46さんの「インフルエンサー」欅坂46さんの「不協和音」がヒットしていたと言えそうです。

 

 moraの音楽配信ランキングでは、倉木麻衣さんの「渡月橋~君 想ふ~」DAOKO×米津玄師さんの「打上花火」がヒットしています。

 

 


Luis Fonsi - Despacito (Official Music Video) ft. Daddy Yankee

注)Luis Fonsi 公式アーティストチャンネルの動画

 

 

多くの国でヒットしたYouTube再生回数歴代1位曲(2019年12月現在)

 この作品は今のところYouTubeで再生された回数の歴代1位の65億回を超える再生回数を達成しています。

 

 誰でも出来る動画投稿ですが、やはりプロのミュージシャンの作品のミュージックビデオが再生回数の上位にランクインする傾向があるように感じます。

 

 

 世界中の人がインターネットを介して閲覧できるYouTubeでの再生回数。

 

 10億回を超えるには複数の国でヒットしなければ実現する事は難しい事と感じます。1つの国では母数に限界があるためです。

 

 日本では米津玄師さんの複数の作品が数億を超えていますが、10億にはまだまだ時間が掛かりそうです。

 

 

<「Despacito」の各国のヒットの軌跡> 

最高順位 週数
スペイン 1位 25週
スイス 1位 20週
ブルガリア 1位 19週
ポルトガル 1位 18週
フランス 1位 18週
デンマーク 1位 17週
ドイツ 1位 17週
オーストリア 1位 16週
スウェーデン 1位 16週
アメリカ 1位 16週
カナダ 1位 16週
ベルギー 1位 12週
オーストラリア 1位 3週
アイルランド 1位 1週
イギリス 4位 1週

※参考サイト:SNEPランキング(https://acharts.co/song/104152

 

 この作品はフランスのみならず多くの国でヒットしています。

 

 スペインでは半年近い25週間も1位を記録したようです。

 

 他の国でも10週間以上1位を獲得するヒットとなっており、昨今の日本のヒットチャートでは有り得ないくらいのロングヒットを記録しています。

 

 

 アメリカやイギリス(おそらく英語圏)ではジャスティン・ビーバーさんが歌唱に加わった盤が人気を集めています。(イギリスではそれほどヒットしていないのも興味深いです。)

 

 ジャスティン・ビーバーさんは2016年にピコ太郎さんの「ペンパイナッポーアッポーペン」に関心を持っていましたが、翌2017年は、この作品の虜になったようです。

 

 

数十年に1度、世界規模で大流行するスペイン・ポップス

 「デスパシート」はフランスの作品ではありません。スペイン語圏のプエルトリコのルイス・フォンシさんの作品です。歌詞もスペイン語です。

 

 フランスでは、隣接するイタリアやイギリス、スペインのヒット曲が人気になる傾向がありますが、スペインはヒットチャート的にはかなり興味深い国です。

 

 なぜなら、スペインの音楽は「突然、ある作品の人気に火が付き、多くの国にその流行が広まる」という、【とてつもない多くの人たちの巻き込むエネルギーを秘めた作品が生まれる国】と感じるからです。

 

 ヒットチャートの記録の無い時代では「ベサメ・ムーチョ」が有名かも知れません。

 

 1980年代はフリオ・イグレシアスさんの「黒い瞳のナタリー」が人気となりましたが、1996年にはロス・デル・リオさんの「恋のマカレナ」がビルボードチャートの年間1位を獲得したりしています。

 

 

 作品ごとに支持される国に違いはありますが、【歌詞の意味も分からないのに、遠く離れた国の人たちを虜にできる魅力】をスペインの音楽は備えていると感じます。

 

 大規模な支持を集めるヒット曲が登場した事で、各国でスペインの音楽に対する人気が定着するか?と思えば、そうでもありません。

 

 単にその作品に対してだけ人気が集中する現象も興味深いです。

 

 次はどのような作品が登場するのか、ひそかに楽しみにしています。

 

 

楽曲分析

 「バンドプロデューサー5」の分析では、「Despacito」はBマイナー(ロ短調)です。

 

 

参考資料

 TOP50(http://www.chartsinfrance.net/

 SNEP(https://acharts.co/france_singles_top_100

 「you大樹」オリコン

 「mora ~WALKMAN®公式ミュージックストア~」

 「Despacito」CDジャケット

 「バンドプロデューサー5」

「Au nom de la rose」Moos(1999年)

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流行時期(いつ流行った?)

 Moosさんの「Au nom de la rose」は1999年のフランスでヒットしました。

 

 TOP50(フランスのオリコン的存在)のランキングによると、1999年4月から8月初週までベストテンにランクインしています。

 

 5月から7月初週まで9週間連続で1位となっていますので、当時、かなりヒットした作品と推測されます。

 

 Moosさんの作品は他には存じ上げませんが、初登場6位となっているため前評判が高い作品だったようです。

 

 

その頃、日本では…

 ラルク・アン・シエルさんの「HEAVEN'S DRIVE」GLAYさんの「サバイバル」KinKi Kidsさんの「フラワー」などが首位となっています。

 

 坂本龍一さんの「energy flow」も首位を獲得しています。

 

 他には、宇多田ヒカルさんの「First Love」浜崎あゆみさんとつんくさんのデュエット曲「LOVE~Since1999~」がヒットしています。

 

 

 


Moos - au nom de la rose ( Let's GoMusic HD )

 

 

「ある愛の詩」のメロディが用いられた作品

 この作品の特徴は、日本では1971年にヒットした映画『ある愛の詩』の主題曲の旋律がサビの部分で用いられている事です。

 

 フランシス・レイさんが作曲された「ある愛の詩」は演奏のみの作品でしたが、当時はアンディ・ウィリアムスさんが英語詞で歌った盤にも人気が集まっていました。

 

 人気の高さからか日本語で歌い直した盤も発売されています。

 

 1960年代以前から日本では、器楽演奏の洋楽盤でも日本語の歌詞を作ってレコード化する流れがありましたが、あまりヒットした事はありません。

 

 「ある愛の詩」の場合は、演奏するより歌唱があった方が作品の世界観を深く表現できたのかも知れません。

 

 

 この作品はサンプリングではなく、聴いた事のあるフレーズを拝借して新しい作品に仕立て直しています。

 

 初めて聴いたとき「アレ?どこかで聴いた事があるメロディ?」と感じたものの、すぐに曲名が思いつきませんでした。

 

 フランシス・レイさんの旋律が「Au nom de la rose」に違和感なく溶け込んでいる印象を受けます。

 

 原曲を知らなければオリジナル作品と感じてしまうくらいの世界観を持っていますし、原曲を聴いて感じられる切ない気持ちも損なわれていないように感じます。

 

 

既存の作品に対する価値観

 もしかするとフランスでは、既存曲を用いて新しい作品を作る事、曲をリサイクルする事に対して、日本より寛容なのかも知れません。

 

 権利より製作者の意向を尊重する土壌があるのかも知れませんし、音楽は時代を重ねても継承されていくべきだ、という価値観が存在するのかも知れません。

 

 しかし「Au nom de la rose」は、「ある愛の詩」のメロディを用いるにしても、「ここまで書き換えてしまってもいいの?!」と驚いてしまうくらい、別の作品に仕上がっている印象を受けます。

 

 「よく実現できたなぁ。」と感心いたします。仮に日本で似たようなことをしたら、あまり良いように受け止められないかも知れません(^_^;A。

 

 

楽曲分析

 「バンドプロデューサー5」の分析では、「Au nom de la rose」はAマイナー(イ短調)です。

 

 

参考資料

 TOP50(http://www.chartsinfrance.net/

 「you大樹」オリコン

 「Au nom de la rose」CDジャケット

 「バンドプロデューサー5」

「Modern Times」J-Five(2004年)

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流行時期(いつ流行った?)

 J-Fiveさんの「Mordern Times」は、2004年のフランスでヒットしました。

 

 TOP50(フランスのオリコン的存在)によると、2004年3月、4月にかけてヒットしています。

 

 

その頃、日本では…

 平原綾香さんの「Jupiter」一青窈さんの「ハナミズキ」のヒットが落ち着き始めた時期で、DREAMS COME TRUEさんの「やさしいキスをして」大塚愛さんの「さくらんぼ」がヒットしていました。

 

 J-Fiveさんの「Modern Times」は日本では2005年1月に発売されたアルバム『モダン・タイムス』に収録されていますがヒットしていません。

 

 何かのCMソングに用いられたようなので、どこかで耳にされた事があるかも知れません。

 

 

J Five - "Modern Times" - Fête de la Chanson Française 2005

注)La fête de la chanson française 確認済みの動画

 

 

インパクト抜群の“サンプリング”

 【過去に製作された実際の音源を抜粋して新しい作品に用いる事】はサンプリングと呼ばれるテクニックです。

 

 誰かの作品を別の歌手が新たに吹き込むカバーではなく【切り取り&貼り付け】の手法です。そのため著作権や原作者の意志が関わってくる音楽表現です。

 

 1990年代から見かけられるようになった表現技巧です。

 

 日本でサンプリングを用いた作品は、Z団さんの「江ノ島」(1993年)や、EAST END × YURIさんの「DA.YO.NE」(1995年)が先駆けと思われます。

 

 サンプリングは2000年代にも登場します。

 

 ゲームソフト『スーパーマリオブラザーズ』のBGMを用いたトンガリキッズさんの「B-DASH」(2005年)です。

 

 大抵のサンプリング作品は2,30年前の音源を採用していますが、「Modern Times」は約70年前の音源を採用しています。

 

 1930年代に公開されたチャールズ・チャップリンさんの映画『モダン・タイムス』で使用された音源です。

 

 CD解説によると、映画の劇中に即興で歌われたメロディには「ティティナ」というタイトルが付いているようです。

 

 MVにも映像を用いているので公認?と思っています。

 

 

現代に勝る過去の音源

 「ティティナ」を大胆にコピー&ペーストした「Modern Times」は主役がJ-Fiveさんではなく、チャップリンさんになっていると感じます。

 

 チャップリンさんの歌唱になると他の音が無くなり、当時の音源だけが再生されるためそのように感じるのかも知れません。

 

 チャップリンさんの歌唱が始まる前にJ-Fiveさんが場を盛り上げる前座の役割を果たしている構図を思い描いてしまいます。

 

 

 サンプリングの作品はたくさんありますが、聴いていて【過去の音源を尊重している作品】はあまり見受けられません。

 

 J-Fiveさんがチャップリンさんに敬意を持っておられる事も感じます。

 

 完璧主義者で名高いチャップリンさん自身もJ-Fiveさんの「Modern Times」の仕上がりにおそらく納得されているであろうと感じる完成度を感じます。

 

 日本人の私は「もっとヒットしても良かったのではないか?」と感じますが、本国フランスのランキング推移を見ると、ヒットしたものの話題性でとどまり短命にランキングから姿を消している印象を受けます。

 

 

楽曲分析

 「バンドプロデューサー5」の分析では、「Modern Times」はEマイナー(ホ短調)です。

 

 

参考資料

 TOP50(http://www.chartsinfrance.net/

 『Sweet Little Nothing』CDジャケット

  「バンドプロデューサー5」

「パートタイム・ラバー」スティービー・ワンダー(昭和60年)

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流行時期(いつ流行った?)

  スティービー・ワンダー(Stevie Wonder)さんの「パートタイム・ラバー」(PART-TIME LOVER)は、昭和60年(1985年)にヒットしました。

 

 オリコンランキングによると、10月初旬に発売されたレコードは、11月中旬~12月初めにかけてヒットしました。

 

 

同時期に流行った曲(昭和60年11月中旬~12月はじめ)

  小林明子さんの「恋におちて」小泉今日子さんの「なんてったってアイドル」が首位となっています。

 

 チェッカーズさんの「神様ヘルプ!」薬師丸ひろ子さんの「『野蛮人のように』より-ステキな恋の忘れ方-」レベッカさんの「フレンズ」がヒットしています。

 

 若者向けの音楽が、完全に流行の主役となり、そのなかで様々なジャンルの音楽が生まれ始めた時期であると感じます。

 

 


Stevie Wonder - Part-Time Lover

 

 

洋楽のシングル盤ヒット

  「パートタイム・ラバー」は80年代の洋楽らしさを感じます。例えが良くないかも知れませんが、聴いた印象が“良い感じのBGM”という存在に変化しているように感じられるからです。

 

 

 現在では、洋楽はアルバムチャートでの存在感が大きいです。昔のヒットチャートでは、シングル盤も定期的にヒットしていましたが、1970年代から減少傾向となり、ヒットの規模も縮小し始めました。

 翌1986~1989年は、洋楽シングル盤ヒットが1曲も誕生していません。洋楽のカバーで人気となった作品でも、原曲がヒットしませんでした。

 

 おそらく、日本のヒット曲のサウンドがポップス化した事が最大の要因であると感じます。日本人が作曲した作品でも、聴き手の欲求を満たせるようなサウンドを表現できるようになったからかも知れません。

 

 そして、レコード会社も「洋楽はもうシングルでは売れないみたいだし、アルバムで発売する事にしよう。」と判断されたように感じます。

 

 

無機質な打ち込みの16ビート

 “おしゃれなBGM”という印象を醸し出しているのがシンセサイザーの存在です。私は実物を見たことはありませんが、1970年代から登場したこの楽器はとても興味深い存在です。

 楽器と同時にコンピュータの側面を持つため、人間が演奏できない音色を出す事が可能になるからです。

 

 「パートタイム・ラバー」で言うと、終始刻み続けられる16ビートのリズムです。規則的に繰り返されるこのリズムは、とても人が演奏できるものでは無いと感じます。

 

 音色でも無機質さを感じる事ができます。1970年代のシンセサイザーは、温かみを感じますが、技術が進歩したのか1980年代には金属音のような冷たさを感じる音色で用いられるように変化したと感じます。

 

 マイケル・ジャクソンさんの『スリラー』(昭和58、9年)が登場した時期に変化している気がします。マイケル・ジャクソンさんをプロデュースされたクインシー・ジョーンズさんの「愛のコリーダ」(昭和56年)では、まだ温かみのある音色だと感じます。

 

 シンセサイザーはクールな響きを出すと同時に、無機質な繰り返しも出来るため、「スリラー」や「ゴーストバスターズ」のような、生命を持たないゾンビやゴーストを連想させる作品も誕生したのかな?と考えています(^_^;A。

 

 

楽曲分析

 「パートタイム・ラバー」はB♭マイナー(変ロ短調)です。

 

 スティービー・ワンダーさんもシンセサイザーの特性を理解されているようで、メロディも同じ繰り返しをすることを意識されているように感じます。コード進行もⅠmから順番に下降する進行が繰り返されています。

 ただ、同じメロディでもリズムを少し変化させるアレンジがされています。

 

 サビになると1オクターブ上の高さで歌われています。聴き手の立場では単純に“雰囲気の良い曲”と感じますが、それを表現するために多くのテクニックが用いられていると感じます。

 

 スティービー・ワンダーさんはリズムに合わせてアドリブの歌唱をされており、「パートタイム・ラバー」を簡単に歌いこなされている印象を受けてしまいます。

 しかし実際に楽譜を見ると、感じていたよりもボーカルの音域が広く、メロディのリズムも難しいので、改めて表現力の高さを感じます。

 なかなか聞き飽きない理由はこういったところにあるのだろう、と感じます。

 

 

曲情報

 発売元:ビクター音楽産業株式会社

 品番:VIPX-1820

 

 A面

  「パートタイム・ラバー」

  原題:PART-TIME LOVER

 

  TDK カセットテープAR TV-CF使用曲

 

 B面

  「パートタイム・ラバー(インストルメンタル)」

 

   原題:PART-TIME LOVER INSTRUMENTAL

 

 ARRANGER AND PRODUCED BY STEVIE WONDER

 Photography : Bobby Holland 

 

参考資料

 「パートタイム・ラバー」レコードジャケット

 「パートタイム・ラバー」ヤマハぷりんと楽譜

 「you大樹」オリコン

 「バンドプロデューサー5」

「禁じられた遊び」か「愛のロマンス」か?

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「愛のロマンス(禁じられた遊び)」ヴィセンテ・ゴメス

流行時期(いつ流行った?)

 フランス映画『禁じられた遊び』で度々登場するギターの旋律は、ナルシソ・イエペスさんが演奏されています。当時発売されたレコードの曲名が、映画のタイトルと同じでしたので、日本では「禁じられた遊び」というタイトルで広まったようです。

 

 日本では『禁じられた遊び』がリバイバルで上映された、昭和37年(1962年)にヒットしています。

 

 

<ナルシソ・イエペスさんの演奏>


Narciso Yepes : " Jeux interdits " ( 1952 )

 

 

 元々は古くから歌われていた民謡を、スペインのギター奏者であるヴィセンテ・ゴメスさんが編曲された作品です。

 1941年(昭和16年)に公開されたアメリカ映画『血と砂』で初めて演奏されており、その時のタイトルが「愛のロマンス」でした。

 

 時系列で考えると、この作品は「愛のロマンス」が正確なタイトルと考えられます。

 

 

 1962年には、ナルシソ・イエペスさんの盤もヴィセンテ・ゴメスさんの盤もヒットしています。

 

 

日本ではどちらがヒットした?

 当時のレコード情報誌『ミュージック・マンスリー』に掲載されているランキングによると、下記の表のような推移となっています。

 

 ヴィセンテ・ゴメスさんの盤は昭和34年6月に発売され、ナルシソ・イエペスさんの盤は3年後の昭和37年8月に発売されています。

 

集計日付

ヴィセンテ・ゴメス盤

(テイチク)

ナルシソ・イエペス盤

(キング)

昭和37年5月 17位 -
昭和37年6月 圏外 -
昭和37年7月 12位 -
昭和37年8月 4位 圏外
昭和37年9月 1位 圏外
昭和37年10月 4位 8位
昭和37年11月 8位 9位
昭和37年12月 圏外 6位
昭和38年1月 11位 19位
昭和38年2月 12位 8位
昭和38年3月 16位 15位
昭和38年4月 16位 19位
昭和38年5月 19位 18位
昭和38年6月 圏外 13位
昭和38年7月 20位 圏外

 

 

 ランキングの推移を見ると、当時の日本では、ヴィセンテ・ゴメスさんのレコードの方が人気が高かったように感じます。

 

 

予想外に人気を集めた作品?

 『禁じられた遊び』がリバイバル上映されたのが、1962年の何月か?は定かではありません。

 ヴィセンテ・ゴメスさんのレコードが突然売れ始めた事を考えると、5月以前ではないかと推測されます。

 

 

 映画が予想外の人気となった事を知ってから、本家のサウンドトラック盤であるナルシソ・イエペスさんのレコードが数カ月遅れて発売されているように感じます。

 

 映画で聴こえて来たメロディが心に残ったので、当時、レコード店に向かった方が多かったと思います。しかし、サウンドトラック盤が発売されていなかったため、やむを得ずヴィセンテ・ゴメスさんの盤を購入された方も多かったのかな?と考えたりもします。

 

 また、ヴィセンテ・ゴメスさん盤のレコードジャケットには、映画の主人公と思われる男の子と女の子の写真が印刷されていますので、勘違いして購入された方もおられるかも知れません(>_<)。

 加えて、ジャケットでは「禁じられた遊び(愛のロマンス)」と表記しているため、レコード会社の方が、映画の人気に便乗したジャケットにしたのかも知れません。

 

 

<ヴィセンテ・ゴメスさんの演奏>


www.youtube.com

注)Vicente Martinez Gomez - トピックの動画

 

 

 ヴィセンテ・ゴメスさんの演奏は、映画で流れていた音色よりも繊細で、やはりスペイン音楽特有の情熱的なギターの演奏となっています。

 

 同じメロディでも奏者が変わるだけでこんなに印象が変わってしまうところが、音楽の面白いところだと感じます。

 

 

同時期に流行った曲(昭和37年8月~11月)

 歌謡曲では、村田英雄さんの「王将」橋幸夫さんと吉永小百合さんのデュエット曲「いつでも夢を」が首位となっています。

 

 青春歌謡という言葉が当時存在したかどうか分かりませんが、北原謙二さんの「若いふたり」和田弘とマヒナスターズさんが吉永小百合さんと組んだ「寒い朝」と、若手歌手が歌う作品が多くなっているように感じます。

 

 その他には、西田佐知子さんの「アカシアの雨が止むとき」ハナ肇とクレイジー・キャッツさんの「ハイそれまでョ」ジェリー藤尾さんの「遠くへ行きたい」がヒットしています。

 

 洋楽では、ケニー・ボールと彼のジャズメンさんの「モスコーの夜はふけて」コレット・テンピア楽団さんの「太陽はひとりぼっち」が首位となっています。 

 

 シェリー・フェブレーさんの「ジョニー・エンジェル」コニー・フランシスさんの「ヴァケイション」パット・ブーンさんの「スピーディ・ゴンザレス」と、明るいメロディのアメリカン・ポップスが多くヒットしています。

 

 

 

楽曲分析

  ナルシソ・イエペスさん盤は、Eマイナー(ホ短調)から始まり、同主調のEメジャー(ホ長調)で終止しています。

 

 ヴィセンテ・ゴメスさん盤は、 E♭マイナー(変ホ短調)です。途中で同主調のE♭メジャー(変ホ長調)に変わる部分があります。

 

 

 シンプルなメロディが何度も繰り返されているため、記憶に残りやすいと感じますが、なかなか聴き飽きない不思議なメロディと感じます。

 

 

 曲情報

 ヴィセンテ・ゴメス盤

  発売元:テイチク株式会社

  レーベル:デッカレコード(DECCA RECORDS)

  品番:DS-133

  A面

   「愛のロマンス(禁じられた遊び)」

   原題:ROMANCE DE AMOR - Romanza

   演奏時間:2分50秒

 

  B面

   「セヴィリャーナスとパナデロス(血と砂)」

   原題:SEVILLANAS Y PANADEROS

   演奏時間:2分58秒

 

 

 ナルシソ・イエペス盤

  発売元:キングレコード株式会社

  レーベル:ロンドンレコード(LONDON RECORDS)

  品番:LED-260

  A面

   「禁じられた遊び 第一部」

   原題:JEUX INTERDITS 1st part

 

  B面

   「禁じられた遊び 第二部」

   原題:JEUX INTERDITS 2nd part

 

   昭映フィルム提供フランス映画「禁じられた遊び」主題曲

 

 

   1952年ヴェニス国際映画祭グランプリ/仏映画フェミナ賞/米アカデミイ賞外国映画賞/28年キネマ旬報ベストテン1位/文部省特選

 

   ルネ・クレマン監督・仏シルヴェル映画・昭映フィルム配給

 

参考資料

 「愛のロマンス(禁じられた遊び)」レコードジャケット

 「禁じられた遊び」レコードジャケット

 『洋楽シングルカタログ テイチク編』オールデイーズ

 『洋楽シングルカタログ キング編』オールデイーズ

 『ミュージック・マンスリー』月刊ミュジック社

 「バンドプロデューサー5」

「キサス・キサス・キサス」ナット・キング・コール(昭和34年)

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流行時期(いつ流行った?)

 ナット・キング・コール(Nat "King" Cole)さんの「キサス・キサス・キサス」(QUIZAS, QUIZAS, QUIZAS)は、昭和34年(1959年)にヒットしました。

 

 『ダンスと音楽』のランキング(下表)によると、昭和34年1月に発売されたレコードはロングセラーとなっています。

 4月から翌年2月にかけて、1年近くの間、ベストテンにランクインしています。

 

集計日付 順位
昭和34年2月 11位
昭和34年3月 12位
昭和34年4月 5位
昭和34年5月 7位
昭和34年6月 3位
昭和34年7月 2位
昭和34年8月 4位
昭和34年9月 2位
昭和34年10月 4位
昭和34年11月 7位
昭和34年12月 9位
昭和35年1月 8位
昭和35年2月 10位
昭和35年3月 19位

 

 6月に3位、7月に2位となっていますので、最もヒットしたのはこの時期かも知れません。

 

 

 レコードジャケットの解説では、「キング」をわざわざ「“キング”」と表現したり、「今までのナット・コール・ファンは」と記載されていますので、昔はナット・コールさんと呼ばれていたようです。

 いつから“キング”が付くようになったのかは分かりません。

 

 


Quizás, quizás, quizás - Nat King Cole

 

 

同時期に流行った曲(昭和34年6月、7月)

 ピーナッツ・ハッコーとボブ・クロスビーのボブ・キャッツさんの「プティット・フルール(小さな花)」が首位となっています。

 また、リカルド・サントス楽団さんの盤も人気となっています。

 この曲は日本で大人気だったらしく、ザ・ピーナッツさんが「可愛い花」というタイトルで日本語カバーした作品でデビューされています。

 

 ディーン・マーティンさんの「ライフルと愛馬」ニール・セダカさんの「恋の日記」がヒットしています。  

 

スペイン語のヒット曲

 スペイン語で歌われる「キサス・キサス・キサス」は、当時の新曲ではありません。歌詞カードの解説には「ラテンの名曲といわれ、今まで多くの歌手によって歌われています」と記載されています。

 

 

 日本はもちろん、アメリカでもスペイン語の曲がヒットする事は稀です。しかし、ヒットするときは爆発的な人気を得る、という不思議な特徴があります。

 

 「キサス・キサス・キサス」も1年ちかくヒットしていますので、当時ものすごく流行ったのだろうと推測できます。

 

 日本では昭和57、8年のフリオ・イグレシアスさんの「黒い瞳のナタリー」が最後かも知れませんが、アメリカでは「恋のマカレナ」(1996)や、「デスパシート」(2017)と、その年を代表する規模のヒット曲が生まれています。

 

 文化の違う人たちが聴いても「良い曲だね!」と感じさせる楽曲を作れるのはすごい事だと感じます。

 

 

楽曲分析

 「キサス・キサス・キサス」はDマイナー(ニ短調)です。サビでは同主調のDメジャー(ニ長調)に転調します。

 

 コールさんの歌唱も印象的で、歌い始めのAメロでは、低音が印象に残ります。転調するBメロでは、突然高音のメロディに変化してリズムも難しくなります。そして、再び低音のAメロに戻ります。

 ダイナミックな変化を感じる動きですが、巧みに歌いこなされていると感じます。

 

 

  イントロの部分は、Aメロよりも2度低いCマイナー(ハ短調)のようです。耳に残りやすい箇所をあえて変化させて、聴き手に「なんとなく不思議な感じ。」という印象を与えているようです。

 

 「キサス・キサス・キサス」は旋律的短音階で作られていますが、音楽的な変化を付けやすい(転調しやすい)音階かも知れません。

 サビ後のAメロで聴こえてくるピアノの音色も印象的で、美しいメロディが印象に残る作品です。

 

 

 曲情報

 発売元:東芝音楽工業株式会社

 レーベル:キャピトルレコード

 品番:7P-115

 A面

  「テキエロ・ディヒステ」

  原題:TE QUIERO, DIJISTE(Magic Is The Moonlight)

  演奏時間:2分48秒

 

 B面

  「キサス・キサス・キサス」

  原題:QUIZAS, QUIZAS, QUIZAS(Perhaps, Perhaps, Perhaps)

  演奏時間:2分43秒

 

参考資料

 「キサス・キサス・キサス」レコードジャケット

 『洋楽シングルカタログ 東芝編』オールデイーズ

 『ダンスと音楽』ダンスと音楽社

 『ラテン&フォルクローレ名曲全集』ドレミ楽譜出版社

 「バンドプロデューサー5」

「燃えよドラゴン」ラロ・シフリン(昭和49年)

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流行時期(いつ流行った?)

 ラロ・シフリンさんの「燃えよドラゴン」は、昭和49年(1974年)にヒットしました。

 同名映画『燃えよドラゴン(ENTER THE DRAGON)』の主題曲です。

 

 

 昭和48年12月末に発売されたレコードは、翌年3月ごろに最も高い順位を記録していますので、おそらくその頃にヒットしたのだと思われます。

 

 最高順位は20位以下ですが、ロングセラーとなっているため、多くの人たちの記憶に残っている作品と思われます。

 

 

同時期に流行った作品(昭和49年3月)

 小坂明子さんの「あなた」殿さまキングスさんの「なみだの操」が首位となっています。

 

 フィンガー5さんがブームとなっていたようで、「恋のダイヤル6700」「学園天国」がヒットしています。

 

 歌謡曲では渡哲也さんの「くちなしの花」がヒットしています。

 

 


Enter The Dragon(1973)-Main Theme

 

 

西洋が描く東洋のイメージ

 『燃えよドラゴン』は主役が「サンフランシスコ生まれ、香港育ちの中国人俳優」であるブルース・リーさんのヒーロー・アクション映画です。カラテを武器に悪の巨大組織に立ち向かう姿が描かれています。

 そのため映画の主題曲も、東洋をイメージした曲調となっています。

 

 東洋らしさは、聴こえてくる楽器の音色で感じられます。メインの楽器はシンセサイザーですが、背後に吹き込まれている“西洋人がイメージするカラテのおたけび”や“拍子木で刻まれるリズム”が、東洋らしさを演出できていると感じられます。

 

 私は中国に行ったことがありませんが、日本人が空想する中国の音楽も、この作品に近いかもしれません。当時の中国のヒット曲も存じ上げませんが、多分、違うと思われます…。

 

 勝手に描く他国のイメージ、この作品でも、作曲された方が知らぬ間に身に着けた中国に対するステレオタイプで音楽が製作されたのではないか、と根拠のない想像をしていますが、聴き手にとっても、頭で描く中国音楽の固定概念と一致する雰囲気を持つ曲調のように感じます。

 聴き手に対して、「そうそう、こんな感じ!」というイメージを膨らませるように働きかけているように感じます。この共感が支持された理由かな?と考えます。

 

 

聴き手の気分を盛り上げる演奏曲

 この時代、歌唱が無い映画主題曲がヒットする事は珍しくはありません。ただし、「白い恋人たち」(昭和44年)や「ある愛の詩」(昭和46年)、「ゴッド・ファーザー」(昭和47年)等、オーケストラが演奏する美しいメロディの作品ばかりでした。

 

 「燃えよドラゴン」は、アクション映画の主題曲で、聴き手の気分を高揚させるメロディが特徴です。こういったタイプの作品がヒットしたのは珍しい事だと感じます。

 

 ヒーローものの映画主題曲で考えると、ジョン・バリー楽団さんの「007のテーマ」(昭和39年)を聴いた時の印象に似ています。

 また、数年後にビル・コンティさんの「ロッキー主題曲」(昭和52年)がヒットしますが、こちらもオーケストラの演奏ながら、聴き手の気持ちを熱くさせてくれる演奏曲です。

 

 エレキギターやシンセサイザーといった、新しい電子楽器の登場で、このタイプの作品が誕生する事になったのかも知れません。

 

 

楽曲分析

 私の「バンドプロデューサー5」の分析では、「燃えよドラゴン」はGマイナー(ト短調)です。自信はありません。

 

 今のところ、使われている音階がよく分かりません。東洋的な音階なのかもしれません。判明しましたら追記致します…。

 

 

 曲の途中から聞こえてくる、ファミコンの音のような謎のピョンピョン跳ねるようなシンセサイザーの音色は、エマーソン・レイク&パーマーさんの『展覧会の絵』に似た印象を受けます。

 

 「燃えよドラゴン」は、70年代の音楽に大きな影響を与えた楽器・シンセサイザーが出せる音色を取り入れた作品、という性質も備えており、シンセサイザー登場初期の前衛的な試みが楽しめる作品でもあると感じます。

 

 

曲情報

 発売元:ワーナー・パイオニア株式会社

 品番:P-1264W

 

 ワーナー映画が正月に贈る最大の娯楽巨編!話題騒然!アメリカで猛烈な興収記録を作ったオリエンタル・アクションブームの最高作。<ブリット>等数々の名作を生む巨匠ラロ・シフリンのヒット・メロディ

 

 A面

  「燃えよドラゴン」

  原題:THEME FROM ENTER THE DRAGON

  作曲・指揮:ラロ・シフリン

  演奏時間:2分23秒

 

 B面

  「ビッグ・バトル」

  原題:THE BIG BATTLE

  作曲・指揮:ラロ・シフリン

  演奏時間:3分31秒

 

参考資料

 「燃えよドラゴン」レコードジャケット

 「you大樹」オリコン

 『永遠のポップス2』全音楽譜出版社

 「バンドプロデューサー5」

「ハートブレーク・ホテル」エルヴィス・プレスリー(昭和31年)

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流行時期(いつ流行った?)

  エルヴィス・プレスリーさんの「ハートブレーク・ホテル」は、昭和31年(1956年)にヒットしました。

※現在では、“ハートブレーク”ではなく“ハートブレイク”と表記されますが、当時は“ハートブレーク”でした。

 

 音楽雑誌『ダンスと音楽』のSP盤(蓄音器で再生する78回転盤)のヒットチャートでは、昭和31年の8月~11月にかけて5位圏内にラインクインしています。おそらく、この時期に最も流行したと推測されます。

 

 EP盤(電気式蓄音器で再生する45回転盤)は7月に発売されていますが、当時普及し始めた頃だったようです。

 『ダンスと音楽』がEP盤を集計を始めるのは翌年以降のため、EP盤の流行規模は不明です。

 

集計日付 SP盤の順位 EP盤の順位
昭和31年06月 9位
昭和31年07月 7位
昭和31年08月 2位
昭和31年09月 3位
昭和31年10月 4位
昭和31年11月 3位
昭和31年12月 6位
昭和32年01月 8位 4位
昭和32年02月 10位 7位
昭和32年03月 15位 圏外

※『ダンスと音楽』のランキング推移

 

同時期に流行った作品

 『ダンスと音楽』は、洋楽盤のランキングしか掲載しておりませんので、どのような歌謡曲が流行っていたかは分かりません。

 

 スリー・サンズさんの「誇り高き男」ドリス・デイさんの「ケ・セラ・セラ」パーシー・フェイス楽団さんの「シンシアのワルツ」などがヒットしています。

 ヴィクター・ヤング楽団さんの「エデンの東」もロングセラーとなっています。

 

 前年(昭和30年)に登場したロックン・ロールの流行が続いており、ジーン・ヴィンセントさんの「ビー・バップ・ア・ルーラ」も、下位の順位ですが人気を得ています。

 

 街頭テレビが人気で、家庭に普及していない時代のため、映画やラジオから流れる音楽が流行の発信源になっていたようです。

 


Elvis Presley - Heartbreak Hotel (Audio)

 

ロックン・ロールとして紹介されていない作品

 エルヴィス・プレスリーさんが歌うこの作品が、ロックン・ロール人気の火付け役になったと捉えています。

 

 しかし、「ハートブレーク・ホテル」の歌詞カードの解説には、ロックン・ロールやロカビリーという単語は登場しません。

 

 エルヴィス・プレスリーさんの事を、

 『ウエスターン・ミュージック界に彗星のように登場』、

 『亡きハンク・ウイリアムスの跡を襲う有望な新人』と紹介しています。

 

 作品についても、

 『リズム・アンド・ブルースの雰囲気を新しくとり入れウェスターン・ミュージック界に新鮮な魅力を導入』と表現しています。 

 

 

 現在ではロックン・ロールに該当する作品と定義されているため、 

  R&B + カントリー = ロックン・ロール

 という事になりそうです。

 

 

日本語カバー盤

 小坂一也とワゴン・マスターズさんが、1番は英語、2番以降は日本語訳でカバーされています。レコードには「56.10」と印字されていますので、10月に発売されたと思われます。

 そして、この年の紅白歌合戦に出場し、「ハートブレーク・ホテル」を歌唱されています。

 

 小坂一也さんは洋楽を日本語カバーで歌う歌手として活躍されていました。担当するジャンルはカントリー系の作品が多かったため、その流れでこの作品を日本語カバーする事になったのだと思われます。

 

 カントリーの日本語カバー歌手として活躍されていたため、2年後に登場するロカビリー歌手とは音楽性が異なるかも知れません。

 

 ハートブレーク・ホテル(傷心のホテル)は、恋人の女性にフラれた男の子が1人で泊まる場所として描かれています。

 主人公が失恋の悲しみに暮れるためにそこへ向かう様子が歌われています。

 

 最後の5番は、「もしも、あなた(曲を聴いている人)が失恋で同じ悲しみに暮れているとしたら、その悲しみを胸に抱いて生きるのか、立ち直れないくらい傷ついているから死を選ぶのか。それはあなたの好きなようにしたら良い。」という意味になっています。

 

 日本の歌謡曲では表現されなかった価値観が突然出てくるため印象に残りました。日本語カバーは、海外の価値観を日本にもたらす役割を持っているように感じました。

 

楽曲分析

 「バンドプロデューサー5」の分析では、エルヴィス・プレスリーさん盤も小坂一也さん盤も、E♭メジャーです。

 

 4分の4拍子ですが、1拍が3連符になっていたり、ターッタとなっていたりするメロディラインが特徴だと感じます。一本調子でなく変化の激しい点がリズム・アンド・ブルースの特徴なのでしょうか。

 

 また、伴奏の演奏が必要最小限に削っていると感じるくらい、聴こえてくる音が少なく、間奏のピアノや最後のウッドベースの音色も印象に残る作品です。

 

曲情報

 エルヴィス・プレスリーさん盤(EP盤)

 

  発売元:日本ビクター株式会社

  品番:ES-5042

  A面

   「ハートブレーク・ホテル」

   原題:HEARTBREAK HOTEL

 

  B面

   「たゞひとりの男」

   原題:I WAS THE ONE

 

 小坂一也とワゴン・マスターズさん盤(EP盤)

 

  発売元:日本コロムビア株式会社

  品番:SB-6

  A面

   「ハートブレーク・ホテル(傷心のホテル)」

   原題:HEARTBREAK HOTEL

   訳詞:服部レイモンド

   作詞・作曲:アックストーン、ダーデン、プレスリー

   編曲:服部レイモンド

   歌:小坂一也とワゴン・マスターズ

 

  B面

   「サヨナラの唄」

   原題:THE JAPANESE FAREWELL SONG

   作詞:奥山靉

   作曲:モルガン

   編曲:馬渡誠一

   歌:旗照夫

 

   コロムビア女声合唱団

   コロムビア・オーケストラ

 

参考資料

 「ハートブレーク・ホテル」エルヴィス・プレスリー レコードジャケット

 「ハートブレーク・ホテル」小坂一也とワゴン・マスターズ レコードジャケット

 『洋楽シングルカタログ RCA編』オールデイーズ

 『ダンスと音楽』ダンスと音楽社

 『永遠のポップス①』全音楽譜出版社

 「バンドプロデューサー5」

「夢みるシャンソン人形」フランス・ギャル(昭和40年)

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流行時期(いつ流行った?)

  フランス・ギャルさんの「夢みるシャンソン人形」(原題:POUPÉE DE CIRE, POUPÉE DE SON[訳:蝋の人形、歌う人形])は、昭和40年(1965年)にヒットしました。フランス語のヒット曲です。

 

 当時の音楽雑誌に掲載されていたランキングによると、9月から11月にかけてヒットしています。

 

 フランス・ギャルさんご自身が日本語で歌唱された盤も同時期に登場しています。

※この時代は、海外の方がわざわざ日本語で吹き込んでくれる事は珍しい事ではありません。

 

集計日付 順位
昭和40年8月 8位
昭和40年9月 1位
昭和40年10月 1位
昭和40年11月 3位
昭和40年12月 7位

※『ミュージックマンスリー』洋楽ポピュラーのランキング推移

 

同時期に流行った曲(1965年9月~11月)

  この時期の洋楽では、「キャラバン」「クルーエルシー」と、この年にブームとなったベンチャーズ旋風が続いている印象があります。ビートルズさんは「ヘルプ!」がヒットしています。

 その他では、クロード・チアリさんの「夜霧のしのび逢い」や『サウンド・オブ・ミュージック』の劇中歌「ドレミの歌」がヒットしています。映画関連の作品です。

 

 歌謡曲のランキングでは、和田弘とマヒナスターズ、田代美代子さんの「愛して愛して愛しちゃったのよ」の人気が群を抜いており首位となっています。その他では、石原裕次郎さんの「二人の世界」舟木一夫さんの「高原のお嬢さん」などがヒットしています。

 


France Gall - Poupée de cire, poupée de son (1965) Stéréo HQ

 

ユーロビジョンって何?

 レコードジャケットに印字されている宣伝文句に「ユーロビジョン・ソング・コンテスト優勝曲」と印字されています。

 

 歌詞カードの解説によると、ユーロビジョン=『西欧を結ぶTV放送網』の事です。テレビジョンになぞらえたネーミングのようです。

 

そして、このTVを通じて、『西欧各国から代表曲一つを提出、夫々の国の代表歌手が出場して歌を競い、審査員が投票によって優勝曲を決める』大会が年に1度開催され、そのイベントがユーロビジョン・ソング・コンテストと呼ばれているようです。

 

 第1回は1956年と、グラミー賞よりわずかに早く始まり、現在も続く歴史のあるイベントのようです。

 

ユーロビジョン・ソング・コンテスト公式サイト:https://eurovision.tv/events

※開催国を軸にしているため、分かりにくいサイトですが、1965年でイタリアのナポリで開催されたコンテストで、「夢みるシャンソン人形」がグランプリとなっています。フランス代表ではなく、ルクセンブルク代表の作品だったようです。

 

メロディが印象に残る作品

 歌唱している言語はフランス語で、私は知識が無いため、歌詞に共感する事は出来ません。しかし、良い曲だなぁ、と感じます。おそらく、この作品に共感する気持ちが生まれるのは歌詞以外と感じます。

 

 私が感じたのは、聴きなれない言語で歌われる覚えやすいメロディです。

 

 楽譜を見ると、歌い出しのメロディは、四分音符でド・ド・シ・ラ・ソ・ファ・ミ・ミと、シンプルにドレミファソラシドの音を段階的に下げているだけです。

 

 しかし、ボーカルが出せる最も高い音からメロディが始まっている点は珍しいと思います。歌が始まると同時に聴き手の心をつかむ手法なのかも知れません。この作品を聴いて最も印象に残るのは、このフレーズですので・・・。

 

日本では定着しなかったユーロビジョン優勝曲

 公式サイトで歴代の優勝曲を見ても、日本ではなじみがなく、知らない作品ばかりです。

 しかし、当時の日本ではもちろん無名の音楽祭で、ユーロビジョン優勝曲の知名度を上げようとしてか、レコードジャケットの宣伝文句に採用されたのだと思います。

 

 それは前年、1964年のユーロビジョン優勝曲であるイタリアのジリオラ・チンクェッティさんの「夢みる想い」(原題:NON HO L'ETA(PER AMARTI)[訳:あなたを愛することは若すぎる])が大ヒットしたからと推測されます。

 「夢みる想い」は、レコードジャケットの解説では、イタリア国内の音楽祭であるサン・レモ音楽祭優勝曲として紹介されていました。おそらく、後々ユーロビジョンで優勝したようです。

 

 どちらも邦題が「夢みる」で始まるタイトルである事は興味深いです。“ヨーロッパの作品で、若手の女性歌手が歌った曲”という共通点がありますが、日本ではそのステレオタイプというか、レッテルを貼ったのだろうと推測されます。

 

 残念ながら、ユーロビジョン優勝曲がヒットしたのはこの2年間のみです。翌年の優勝者が男性だったからでしょうか。

 ちなみに、後年「別れの朝」の原曲となる作品を発表されるウド・ユルゲンスさんが優勝しています。

 

楽曲分析

 「バンドプロデューサー5」の分析では、「夢みるシャンソン人形」はFマイナー(ヘ短調)です。

 

 同じメロディが繰り返される作品ですので、曲の後半に半音上げる等の盛り上がりをしても良いのではないか?と感じますが、聴き手に伝えるために、あえて移調を避けて分かりやすさを重視した作品であると感じます。 

 もしかしたら、ユーロビジョン・ソング・コンテストでは、メロディではなく歌詞の内容が評価されたのかも知れません。

 

曲情報

 発売元:日本ビクター株式会社

 品番:FL-1173

 A面

  「夢見るシャンソン人形」

  原題:POUPÉE DE CIRE, POUPÉE DE SON

 

 B面

  「ジャズる心」

  原題:LE COEUR QUI JAZZE

 

 1965年度ユーロビジョン・ソング・コンテスト優勝曲

 

 フランスの新星フランス・ギャルの優勝曲、

 ヨーロッパで大ヒット中!!

 

参考資料

 「夢見るシャンソン人形」レコードジャケット

 「夢見る想い」レコードジャケット

 『ミュージックマンスリー』月刊ミュジック社

 『永遠のポップス2』全音楽譜出版社

 「バンドプロデューサー5」

 

今週のお題「わたしの自由研究」

「ケアレス・ウィスパー」ワム!(昭和59年)

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流行時期(いつ流行った?)

 ワム!(Wham!)さんの「ケアレス・ウィスパー(CARELESS WHISPER)」は昭和59年(1984年)にヒットしました。8月末に発売され、オリコンランキングによると12月に最もヒットしています。

 レコードジャケットには、「フューチャリング ジョージ・マイケル」と記載されています。この作品でボーカルを務めておられる方です。

 

 ウィスパーはあまり聴きなれない英単語ですが、レコードジャケットの対訳では「軽率な告げ口」という意味で表現されています。親友が主人公に告げた言動が物語の始まりだったようです。

 

同時期に流行った曲(1984年12月)

 シングル盤では洋楽がヒットしづらくなり始めた時期ですが、テリー・デサリオさんの「オーバーナイト・サクセス」もヒットしています。

 

 この年は、チェッカーズさんがブレイクした年で、12月には「ジュリアに傷心」が首位となっています。

 1980年代はアイドルブームが印象に残りますが、この時期には中森明菜さんの「飾りじゃないのよ涙は」菊池桃子さんの「雪にかいたLOVE LETTER」松田聖子さんの「ハートのイヤリング」がランクインしています。

 

 女性アイドルの活躍が目立ちますが、男性がボーカルの作品で人気となっていたのは安全地帯さんの「恋の予感」井上陽水さんの「いっそセレナーデ」です。

 

 西城秀樹さんが「抱きしめてジルバ」というタイトルで日本語カバーされた盤もこの時期に登場しています。

 郷ひろみさんも「どこまでアバンチュール」のB面に日本語カバーを吹き込んでおられます。日本でも人気が高かった作品のようです。

 

 


George Michael - Careless Whisper (Official Video)

 

メロディが印象に残る作品

 「ケアレス・ウィスパー」はメロディが良いと感じる作品です。イントロで流れるサックスのソロ演奏を耳にした時点で、曲の続きを聴きたくなります。

 

 B面がインストールメンタルになっておりますので、製作された方も美しいメロディをセールスポイントにしていたのかも知れません。

 

 「印象的なイントロに何か秘密があるのかな?」と思って、楽譜を見ても特徴が見出せません。1小節ずつ、Dm Gm7 B♭ Amで繰り返されており、凝っている感じはしません。

 メロディも、同じかたまりをちょっとずつ音の高さを下げているだけです。これだけで聴き手の心をつかめるのは音楽の興味深いところです。

 

 

 イントロがシンプルだったので、「私でも鍵盤で弾けるかな?」と思ったのですが、それ以降がすごく難しかったです。

 わざと区切り位置をずらすようなメロディ、シンコペーションというのでしょうか、リズム感の無い私は弾けませんでした。16分音符がたくさん出て来る作品でずらされたら、お手上げです。

 

 「ケアレス・ウィスパー」のおシャレな雰囲気は、16ビートのリズムを意識したジョージ・マイケルさんの歌唱によって支えられていると感じました。 

 聴くだけでは、バラードによくあるゆっくりしたテンポの作品ですので、楽譜を見るまでは16ビートとは思っていませんでした。

 

 曲を聴いて「良い曲!」と感じるか、特に何も感じないかの違いは、何だろう?と考えていますが、リズムも重要な要素と感じます。

 もし決められた拍どおりに歌唱していたら、いくらメロディが良くても味気ない作品になってしまうと思いますので。

 

楽曲分析

 「バンドプロデューサー5」の分析では、「ケアレス・ウィスパー」はDm(ニ短調)です。テンポ(BPM)は75です。

 

曲情報

 発売元:株式会社EPIC・ソニー

 品番:07・5P-304

 A面

  「ケアレス・ウィスパー」

  原題:CARELESS WHISPER

  解説:ミュージック・ライフ編集長 東郷かおる子

  訳:沼崎敦子

 

 B面

  「ケアレス・ウィスパー(インストゥルメンタル)」

  原題:CARELESS WHISPER(INSTRUMENTAL)

 

 悲しいサヨナラ・・・・・・

 そう、もう君はいない

 ワム!の新録ラヴ・バラード・ナンバー

 

 THIS RECORD IS DEDICATED TO MY MOTHER AND FATHER

 

 WRITTEN BY GEORGE MICHAEL AND ANDREW RIDGELEY IN 1981

 ARRANGED AND PRODUCED BY GEORGE MICHAEL

 

参考資料

 「ケアレス・ウィスパー」レコードジャケット

 「抱きしめてジルバ」レコードジャケット

 「you大樹」オリコン

 『全音歌謡曲大全集6』全音楽譜出版社

 「バンドプロデューサー5」

「うつろな愛」カーリー・サイモン(昭和48年)

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流行時期(いつ流行った?)

 カーリー・サイモンさんの「うつろな愛」(原題:YOU'RE SO VAIN)は昭和48年にヒットしました。

 

 当時のオリコンランキングによると、ベストテンにはランクインしておりませんが、昭和48年の3月下旬から5月初めにかけてヒットしていたようです。

 


Carly Simon - You're So Vain

 

 

同時期にヒットしていた曲

 この作品がヒットしていた当時は、ガロさんの「学生街の喫茶店」天地真理さんの「若葉のささやき」が首位となっていました。そのほか、郷ひろみさんの「愛への出発」大信田礼子さんの「同棲時代」がランクインしています。

 洋楽では、アルバート・ハモンドさんの「カリフォルニアの青い空」もヒットしていました。

 

 宮史郎とぴんからトリオさんの「女のねがい」もヒットしていますが、作品数で考えると、若者向けのフォークやアイドルが全盛時代になっていると感じるランキングです。

 

 

1970年代は洋楽シングル盤の衰退期

 “日本人が作曲したポップスがヒットする現象”は、1960年代後半に起きたフォークソングやグループサウンズのブームがきっかけに発生し、後の日本の音楽業界に定着しました。

 “ポップス=海外の音楽”という価値観は1960年代後半までです。

 

 ポップスに対するこの価値観の変化によって、洋楽のシングル盤ヒットの作品数や流行の規模は、かなり縮小しました。

 

 

 音楽を製作する側、表現する側は、戦前から海外の音楽文化を取り入れていましたが、この現象を支えたのは、製作されたレコードを購入する側、聴き手の価値観に変化が起きたからだと考えます。

 

 “日本人が海外の音楽表現を模倣した作品を発表する事”に、何の抵抗も感じなくなる世代が登場したのが、この年代に生まれた価値観だと感じます。

 

 

既聴感のあるサウンド

 「うつろな愛」は洋楽シングル盤にとっては逆境の時代に発売されたためか、小規模のヒット作として記録されているように感じます。しかし、規模が小さいながらも半年間ランクインしたロングセラー作品です。

 

 しかし、音楽について素人の私でも、「どこかで聴いた事があるようなメロディだなぁ。」と感じる作品です。

 

 その理由が音楽でよく見聞きするコード進行なのかな?と考えていましたが、この作品の場合は使用している音階に理由があるようです。

 

 この作品は、ほぼ26抜き短音階でメロディが作られています。長音階ならば、47抜き長音階の「ドレミ〇ソラ〇」の音で作られている作品です。4つめのファと7つめのシを用いない音階です。

 

 この音階は、日本の演歌でも海外のポップスでもよく見かける音階です。音が少ない分、耳に残りやすいメロディになります。

 この47抜き音階を悲しみを帯びた短調に転用した作品は、同じくらいあってもいいのに、なぜかあまり見かけません。

 

 音楽知識を持たない人たち、それほど意識していなくても聞こえてくるメロディが覚えやすい事は、流行するきっかけになります。

 

 「うつろな愛」を初めて聞いた時に、どこかで聴いた事があるように感じる理由は、26抜き短音階のメロディのシンプルさであると考えます。

 

 

楽曲分析

 「バンドプロデューサー5」の分析では、D♭メジャーです。前半はB♭マイナーですが、サビの部分で並行調に転調して、D♭メジャーで終止しているようです。

 

 レコードを売るためのメロディという印象を受けてしまう作品ですが、なかなか聴き飽きず、印象に残る作品です。聴いていて心地よいと感じるのは、歌唱やリズムの取り方で工夫がされているからだと思います。

 

 

曲情報

 発売元:ビクター音楽産業株式会社

 品番:JET-2159

 A面

  「うつろな愛」

  原題:YOU'RE SO VAIN

  演奏時間:4分17秒

 

 B面

  「フォンド・オブ・ロビン」

  原題:HIS FRIENDS ARE MORE THAN FOND OF ROBIN

  演奏時間:3分

 

参考資料

 「うつろな愛」レコードジャケット

 「You大樹」オリコン

 「バンドプロデューサー5」

   

「1.2.3.4.ギミー・サム・モア」D.D.サウンド(昭和53年)

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流行時期(いつ流行った?)

 D.D.サウンドさんの「1.2.3.4.ギミー・サム・モア」は、1970年代後半のディスコブーム期に登場しました。1970年代のディスコ・サウンドの作品です。

 

 ちょうど数々のディスコサウンドを用いた映画、『サタデー・ナイト・フィーバー』がヒットしていた1978年8月に最も流行しました。

 1978年の夏休みの時期、ディスコサウンドが最高潮となっていた時期です。

 

 


DD Sound - 1, 2, 3, 4, Gimme Some More 1978

 

 この作品は、オリコンランキングでは20位にも届いていないため、それほどヒットはしていません。しかし規模が小さいながらもロングセラーとなっていますので、もしかしたら、当時どこかで耳にされた事のある作品かも知れません。

 

聴いて楽しいディスコ・サウンド

 洋楽のシングル盤がランキングから姿を消し始めた1970年代の日本では、このディスコブームを機に様々な洋盤が登場しました。

 

 当時のレコード会社は、ディスコ調の作品なら何処からでも輸入したようです。中古レコード店で、この年代のディスコサウンドのシングル盤が、ソウルやファンクのジャンルにたくさん陳列されています。

 

 そのほとんどが、知らない曲ばかりです。それらのレコードは「きっと、当時のディスコで、BGMとして使われていたのだろう。」と思います。

 

 ディスコサウンドは、後年の評価がそれほど高くないと感じる音楽ジャンルです。どこかで見聞きした記憶では、次から次へと新譜を発売した、という意味で、他のジャンルに比べて消費が激しかったようです。

 

 従来は、レコード会社がターゲットにするのは個人です。個人が聴くためのレコードであるのに対し、ディスコサウンドは、みんなで踊るためのレコードという役割を担っているため、評価が難しいところがあると思います。

 

 数あるディスコ盤のなかで支持を集めた「1.2.3.4.ギミー・サム・モア」は、踊るためのBGM作品にとどまらず、「聴いていても心地良い曲だ」と感じさせる要素があったのだと思われます。

 

 

ヨーロッパ発のヒット曲

 歌詞は英語ですが、ヨーロッパの作品です。具体的な国名はジャケットの解説には記載されていませんが、やはりアメリカの音楽とはちょっと違う印象を受けます。

 

 聴こえてくる音の割合に違いがあるかも知れません。歌なので、ボーカルがメインのはずです。

 

 曲を聴いた後、脳内でメロディが再生される事がありますが、アメリカの作品が、ボーカルが6で、演奏が4くらいの割合で印象に残ると仮定したら、ヨーロッパの作品は演奏もボーカルと同等、5:5の関係になっているように感じます。

 

 ボーカルの歌うパートだけでなく、間奏や息継ぎの間の合いの手も印象に残ります。このような作品は、「歌手は何と言っているんだろう」とか、「歌詞を聞き取ろう」という姿勢で聴く気が起きません。

 

 それは、D.D.サウンドさんが奏でる演奏によるものだと考えられます。歌詞カードの解説によると、このグループのメンバーは16人で構成されているようです。

 

 様々な楽器を担当される方がおり、小規模ながらも電子楽器を用いる等して、オーケストラに近い音の多様さを備えた作品です。

 

 ボーカルが入っているものの、大人数で構成されたバンドが演奏した「1.2.3.4.ギミー・サム・モア」は、「ハッスル」(昭和50年)や「ソウル・ドラキュラ」(昭和51年)のようにディスコのイージーリスニングでも通用するサウンドを表現しているように感じます。

 

 

 「バンドプロデューサー5」の分析では、Aメジャー(イ長調)です。

 

 

曲情報

 発売元:日本フォノグラム株式会社

 品番:SFL-2290

 A面

  「1.2.3.4.ギミー・サム・モア」

  原題:1,2,3,4, GIMME SOME MORE

  演奏時間:3分31秒

 

 B面

  「ブギー・ベース」

  原題:BOOGIE BASS

  演奏時間:4分18秒

 

参考資料

 「1.2.3.4.ギミー・サム・モア」レコードジャケット

 『オリコンチャート・ブック アーティスト編全シングル作品』オリコン

 「バンドプロデューサー5」

「朝日のあたる家」アニマルズ(昭和39年)

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流行時期(いつ流行った?)

 当時、レコード店の販促冊子『ミュージックマンスリー』に掲載されていた月間ランキングによると、アニマルズさんの「朝日のあたる家」は、昭和39年の11、12月にかけてヒットしたようです。

 

集計日付 順位
昭和39年10月 18位
昭和39年11月 2位
昭和39年12月 2位
昭和40年1月 4位
昭和40年2月 11位

※『ミュージックマンスリー』洋楽ランキングの推移

 

 

 


The House of the Rising Sun

注)The Animals 公式アーティストチャンネルの動画

 

 

 東京五輪の開催後に登場したグループ

 昭和39年(1964年)は、日本では東京オリンピックが開催された年です。昔は、東京オリンピックの開会式が行われた10月10日を体育の日として祝日に制定されていましたが、アニマルズさんの「朝日のあたる家」がヒットし始めたのは翌月の11月です。

 

 【東京オリンピックの開催後】という事は、ヒットチャートの歴史では、【ビートルズさんの登場後】と表現する事もできます。

 

 オリコンが始まったのが1968年なので、1960年代の正確な記録が残っていない日本では、昭和39年に登場したビートルズさんの人気が、伝説化されているように感じます。

 

 しかし、アニマルズさんの「朝日のあたる家」も、後の日本の流行歌に大きな影響を与えた作品であると捉えています。

 

 

後世の歌謡曲に影響を与えた「朝日のあたる家」

 私が「朝日のあたる家」の表現力に感動したのは、全力で歌唱するボーカルです。

 

 レコードジャケットの表紙には「(コーラス)アニマルズ」と印字されていますが、この作品を聴いて、『ビートルズさんの作品と同じように、コーラスのハーモニーが素晴らしい』と感じた方はおられないと思います。

 

 当時レコードを購入された方は、「1人の男性ボーカルが、自分が発声できる音域で精一杯歌唱する歌声」に心を揺さぶられた事と思います。

 

 楽譜で確認すると、歌い出しの最低音と、サビの最高音の差がちょうど2オクターブになっています。

 

 曲を聴いた方にとっては、サビが最も印象に残っていると思います。この歌唱を“絶叫”と表現すると違和感があるかも知れません。

 表現する側のアニマルズさんが、作品で描こうとしている想いを表現するために、全力で出せる音域で歌唱したフレーズが多くの人たちの心に届いた事と思います。

 

 ビートルズさんも表現しなかった“叫び”を表現している事が、「朝日のあたる家」の個性であると感じます。

 聴き手の心のうちに秘めた感情に届くような歌唱であると感じます。

 

 この曲がヒットするまで、感情をむき出しにするヒット曲は登場しませんでしたが、翌年に登場する美樹克彦さんや、2年後に登場する布施明さんの作品に影響を与えたのではないか?と考えています。 

 

楽曲分析

 バンドプロデューサー5の分析では、「朝日のあたる家」はAマイナー(イ短調)です。♪ツツツタタタの、ロッカバラード(スローロック)も、日本人が好むリズムのため支持を集めたのかも知れません。

 

曲情報

1964年 年間24位(洋楽)、1965年 年間34位(洋楽)

 

 

レコード

 発売元:東芝音楽工業株式会社

 品番:OR-1146

 A面

  「朝日のあたる家」

  原題:THE HOUSE OF RISING SUN

  演奏時間:4分26秒

 

 B面

  「トーキン・アバウト・ユー」

  原題:TALKIN' ABOUT YOU

  演奏時間:1分51秒

 

参考資料

 「朝日のあたる家」レコードジャケット

 『ミュージックマンスリー』月刊ミュジック社

 『永遠のポップス①』全音楽譜出版社

 「バンドプロデューサー5」