流行時期(いつ流行った?)
扇ひろ子さんの「新宿ブルース」は、昭和42年(1967年)にヒットしました。
『レコードマンスリー』の月間ランキングによると、3月に発売されたレコードは、4月から7月にかけてヒットしています。
<『レコードマンスリー』歌謡曲・月間ランキング推移>
年月 | 順位 |
昭和42年03月 | 17位 |
昭和42年04月 | 3位 |
昭和42年05月 | 1位 |
昭和42年06月 | 4位 |
昭和42年07月 | 9位 |
昭和42年08月 | 17位 |
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なぜ新宿を選んだか?
前年に「柳ヶ瀬ブルース」がヒットした頃から、”地名+ブルース”というタイトルの作品が目立つようになりました。
「新宿ブルース」もその流行に乗った作品だろうと解釈していました。
しかし、歌詞カードには下図のような注意書きが印字されています・・・。
・・・「適当に地方名を入れてお歌い下さい」って(笑)。
作詩された滝口暉子さんの意志なのか、レコードを企画した部署のアドバイスなのか、まったく謎です。
もしかすると「柳ヶ瀬ブルース」が、全国各地でそのような形で親しまれていたからかも知れません。
特定の地名がタイトルになっていますが、どちらの作品も"歌詞に地元特有の固有名詞が出て来ない"点が共通しています。
地名に重きを置いていないのであれば、新宿ではなくて良かったのに、なぜ新宿が選ばれたのでしょうか?
当時の新宿とヒット曲
新宿が歌詞に登場する作品は1960年代後半に目立ちます。
ヒット年 | 曲名 | 歌手名 |
1967 | 新宿ブルース | 扇ひろ子 |
1968 | 新宿そだち | 大木英夫・津山洋子 |
1969 | 新宿サタデー・ナイト | 青江三奈 |
1969,1970 | 新宿の女 | 藤圭子 |
また、1966年10月に供用開始された新宿駅西口地下広場は、ベトナム戦争に反対する若者が集まる場所となっていたようです。
学生運動が過激化した1969年が最盛期だったようで、広場には7000人の若者が集まる規模に拡大していたようです。(新宿歴史博物館 データベース 写真で見る新宿 | 新宿駅西口フォーク集会 | 3689)
東大紛争(1969年1月)と同様に、機動隊によって排除されたようです(1969年6月)。
学生運動が沈静化したと同時に、ヒット曲から新宿が姿を消した印象があります。
約10年後の1980年代初めには原宿が若者の集まる町になりますが、当時の新宿は若者の活気で特別な存在になっていたのだろう、と想像します。
地名よりブルースの心境
「新宿ブルース」は前年にヒットした竹越ひろ子さんの「東京流れもの」に共通する世界観を持つ作品と感じます。
都会で生きる人間の孤独な心境が綴られているからです。
町名にブルースをくっつけた作品が目立ち始める時期ですが、支持されたのはブルースという単語から連想される心境だと思います。
前向きな心理ではなく、傷ついた過去を思い出し同じ場所に逆戻りしてしまう心理。自分だけでは解消できないわだかまりを抱え続ける境遇。
当時、若者が集まる町をタイトルにした「新宿ブルース」は、この時代の若者(高校生?大学生?)の心理に重なって支持された可能性もあるのではないか?と想像しています。
「東京流れもの」の流れを継ぎつつ、後の青江三奈さん、藤圭子さんが歌いあげる心情につながっているようにも感じます。
レコード会社は若者を意識していたから、タイトルに新宿を選んだのかな?と感じます。
曲情報
発売元:日本コロムビア株式会社
品番:SAS-855
A面
「新宿ブルース」
英題:SHINJUKU BURUSU
作詩:滝口暉子
作曲:和田香苗
演奏時間:3分17秒
コロムビア・オーケストラ
B面
「悪い人よあなた」
英題:WARUIHITO YO ANATA
作詩:南葉二
作曲:和田香苗
演奏時間:3分45秒
コロムビア・オーケストラ
参考資料
「新宿ブルース」レコードジャケット
『レコード・マンスリー』日本レコード振興株式会社