「おやまかちゃんりん」って何?
明治時代の流行歌には【歌詞だけが残り、どういうメロディで歌われていたのか分からない作品】がたくさんあります。
明治10年、11年頃に流行した「おやまかちゃんりん」もその1曲です。
♪おやまかちゃんりん 蕎麦屋の風鈴 おとすと罰金
「ん」で終わる韻を踏むだけで、特に意味がなさそうな歌詞です。
「おやまかちゃんりん」も意味が分かりませんが、つい言いたくなる【流行語の性質】を備えていたのだろうと思います。
A「『おやまかちゃんりん』を繰り返すだけ?」
B「じゃあ二回目の『おやまかちゃんりん』を『蕎麦屋の風鈴』に変えよう」
C「『ん』で終わる感じでもう一つ足そう」
という流れで歌詞が出来上がったと想像します。
ブームが過ぎれば誰も歌わない。そしてメロディは忘れられていったのだと思います。
わらべうたとして流行したようで、当時の大人は子供たちが歌う「『おやまかちゃんりん』ってどういう意味だろう?」と「?」だったようです。
近日道路に聞童謡にオヤマカチャンリン蕎麦屋のフウリンとい抑々何の謂ぞや瑣々たる兒戯の唱歌と雖も其原因なき事あらざるべからず『魯文珍報 第13号』和同開珍社(明治10-12)
「もしも品のない言葉だったら歌うのを辞めさせないと!」という親心が働いていたのかも知れません。
「おやまかちゃんりん」どこから流行る?
「もしかしたらこのメロディかも!」と思える秋田民謡「お山コ三里」が現在に残っています。
「仙北お山コ」という作品もあり、こちらの歌詞には
♪お山コ三里は どこからはやる
♪秋田の仙北 角館(かくのだて)
という歌詞で歌われています。
注)小山 豊 - トピックの動画
「お山コ三里」と「仙北お山コ」で分かる事は、
①『お山コ三里』は流行ったことがある
②"おやまこさんり"と"おやまかちゃんりん"の音の響きが似ている
の2点です。
決定的な証拠とは到底言えませんが、当時歌われた「おやまかちゃんりん」のメロディは「お山コ三里」の囃子言葉だったのではないか?と想像しています。
子供が響きを面白がって歌っていただけ?
【歌詞の意味が分からない歌】は江戸時代に流行した「かんかんのう」と同じです。
覚えやすく歌いやすい「お山コ三里」の囃子だけが子供のあいだで広まったのだろうと想像します。
ただし大人は単純な囃子、韻を踏むだけの歌詞では物足りなかったようです。
意味のある言葉と聞き間違えた大人がいたのか、後々「親馬鹿ちゃんりん」という、【悪口をマイルドに表現するような言葉】に変化しています。
隣りの蕎麦屋に放歌するものあり耳を傾けて之れを聞きに 勉強するより善い親持ちやれ親は子を生む金を生む 親馬鹿チャンリン蕎麦屋の風鈴『東京輿論新誌 (168)』嚶鳴社(1884-07)
「勉強するより善い親を持ちやれ」は現在でいう「親ガチャ」に通じるニュアンスですね。明治17年にも存在していたとは・・・(^^;A。
さらに「大山がチャリいう」が訛って「おやまかちゃんりん」になったという説が登場し始めます。
一時俗謡に「オヤマカチャンリン、蕎麦屋の風鈴」と云ふのが流行し、そのオヤマカチャンリンとは『大山がチャリ言ふ』と云ふ所から出たと解せられるが、確かかどうか。『偉人を語る』大久保康夫 編 三笠書房(昭11)
・・・私も安易な発想をひとつ。「容易なこと」=「お茶の子」という慣用句に「さいさい」が付いたのはこの歌が流行ってからではないか?と想像しています。
おやまかちゃんりん、おやまこさんり、おちゃのこさいさい・・・。
「大山がチャリいう」よりマシと思いますがやはり無理がありますね。
「おやまかちゃんりん蕎麦屋の風鈴」は、「権兵衛が種まきゃカラスがほじくる」と同じゴロの良さです。
国会図書館デジタルコレクションで”蕎麦屋の風鈴”を検索すると結構出てきて驚きました。
歌われなくなっても人々の記憶に残り続けていた事がうかがえます。
参考文献
『魯文珍報 第13号』和同開珍社 [編] 和同開珍社(明治10-12)
『東京輿論新誌 (168)』嚶鳴社(1884-07)
『偉人を語る』大久保康夫 編 三笠書房(昭11)