流行時期(いつ流行った?)
ジャニーズさんの「太陽のあいつ」は、昭和42年(1967年)にヒットしました。
『レコードマンスリー』の月間売上ランキングによると、1967年の7、8月にベストテン入りしています。
年月 | 順位 |
昭和42年05月 | 20位 |
昭和42年06月 | 13位 |
昭和42年07月 | 7位 |
昭和42年08月 | 9位 |
同名ドラマ主題歌
レコードには 『松下電器提供 TBSテレビ「太陽のあいつ」主題歌』と印字されています。1967年4月末から7月にかけて放送されていたようです。
主題歌は放送中に徐々に売上を伸ばしており、ドラマが終盤に向かう頃に最もヒットしている事になります。
TVドラマで曲を知った人が多かったのかも知れません。
(参考サイト:太陽のあいつ - ドラマ詳細データ - ◇テレビドラマデータベース◇)
各話のサブタイトルを見ても、どのような内容のドラマだったのかは推測できません(^_^;A。毎回登場するゲストが替わるので、一話完結のストーリーだったのでしょう。
6月に放送されたであろう第9話で、ジャニーズさんがドラマに出演されています。
ジャニーズ事務所の初ヒット曲
1960年代にアイドルという言葉は浸透していませんが、橋幸夫さん、舟木一夫さん、西郷輝彦さんの御三家やビートルズさんは、新曲が発売されると比較的早くレコードが売れています。
新曲がすぐに売れる事は、購入するファンがたくさんいる人気者である事を示すデータです。
そのため「太陽のあいつ」のレコードの売れ方を考えると、ジャニーズ(初代ジャニーズ)さんは、現在のジャニーズ事務所に所属するアイドルのような存在ではなかったように感じます。
デビュー曲は「若い涙」(1964年)で、『夢で逢いましょう』の1964年8月の歌に採用されています。テレビ番組のタイアップでしたが、ヒットしていません。
「若い涙」の後、「チキン・オブ・ザ・シー」(1965)、「泣いていたジェニー/涙くんさようなら」(1966)等の作品が発売されていますが、ミュージックマンスリーのランキングには入っていません。
ジャニーズ事務所は『ウエスト・サイド物語』をきっかけに1962年に設立されています。
創設当初の1960年代は、所属する方々をテレビ番組に出演させる事に力を入れていたように思われます。
楽曲分析
「バンドプロデューサー5」の分析では、「太陽のあいつ」はDマイナー(ニ短調)です。
これまでの作品は長音階が多いため、初めて聴いた時は違和感がありました。おそらくジャニーズさんの中では異色作と思われます。
「太陽のあいつ」の曲調は、1967年に人気だったグループサウンズのブームを意識していると考えられます。
歌の終わりがDmではなくDmajになっている点が、聴いていて不思議な印象を与えていると感じます。
楽譜ではⅠm→Ⅳm→Ⅱ7→Ⅴ7のコード進行が繰り返し登場しています。複数人で歌っているので、和音を意識したメロディで曲作りされていると感じます。
用いられている音階は自然的短音階です。
歌詞では、「”働き”に町に来た」という表現が登場します。若い世代の作品では”働く”という単語はあまり登場しないので、違和感を覚えました。
ドラマの主人公が新聞記者なので、ドラマの内容に合わせて作詩されたのかも知れません。
「太陽のあいつ」は、岩谷時子さん&いずみたくさんの作品ですが、同年に同じコンビで「太陽野郎」(1967年)という作品も作られています。
「太陽野郎」はNTV『太陽野郎』主題歌で、歌っているのはバニーズ(ギター:寺内タケシ)さんです。
”あいつ”という表現は1960年代によく見かけます。マイナスの意味合いではなく、友情や親しみを備えたニュアンスで用いられている気がします。
"野郎"は”あいつ”を荒っぽく表現した印象ですが、どちらの作品でも、夢と希望を持ち、周りの人たちを明るくさせるような人物像が描かれています。
曲情報
1967年 年間26位(歌謡曲)
レコード
発売元:ビクターレコード
品番:SV-566
A面
「太陽のあいつ」
作詩:岩谷時子
作編曲:いずみ・たく
演奏時間:2分35秒
ビクター・オーケストラ
松下電機提供 TBSテレビ「太陽のあいつ」主題歌
B面
「ロンサム・ガール」
作詩:山上路夫
作編曲:いずみ・たく
演奏時間:2分43秒
ビクター・オーケストラ
参考資料
「太陽のあいつ」レコードジャケット
「太陽野郎」レコードジャケット
『ミュージックマンスリー』月刊ミュジック社
『レコードマンスリー』日本レコード振興
『全音歌謡曲全集16』全音楽譜出版社
『上を向いて歩こう-昭和歌謡の自分史』永六輔 飛鳥新社
『歌謡曲の構造』小泉文夫
「バンドプロデューサー5」