流行時期(いつ流行った?)
森進一さんの「銀座の女」は、昭和45年(1970年)にヒットしました。
「命かれても」(1967)や「年上の女」(1968)、「港町ブルース」(1969)等、数々のヒットを記録し、人気歌手として活躍されていた時期の作品です。
当時のヒットチャートを見ると、『森進一さんが発売する作品は必ずヒットする!』と言っても過言ではない記録が残っています…(^^;A。
同じビクター所属歌手で、二人合わせて"ためいき路線"と名付けられた青江三奈さんの人気とは明確な違いがあります。
森進一さんは、現在で言うアイドルのように、多くのファンから支持を得ていたのだろうと推測されます。
<『レコードマンスリー』(歌謡曲)のランキング推移>
年月 | 順位 |
昭和45年09月 | 17位 |
昭和45年10月 | 1位 |
昭和45年11月 | 4位 |
昭和45年12月 | 10位 |
昭和46年01月 | 23位 |
注)YouTube に使用を許可しているライセンス所持者 JVCKENWOOD Victor Entertainment Corp.; Muserk Rights Management
"夜の東京=銀座"では無くなり始めた頃?
"銀座"は全国に浸透している地名と感じます。"銀座商店街"は各地にあると思いますし、"〇〇銀座"という呼称も地元で身近にあるのでは?と思います。
銀座="何でも揃っている街"というニュアンスで全国に広がったと感じます。そして、銀座=東京を代表する繁華街だった、と解釈しています。
"繁華街だった"と過去形で表現したのは、1960年代後半は"銀座以外の東京の街の名"がヒット曲に登場し始めたからです。
「池袋の夜」(1969)、「新宿の女」(1970)がヒットしていますが、先駆けは、扇ひろ子さんの「新宿ブルース」(1967)と思われます。
黒沢明とロス・プリモスさんが銀座シリーズと呼べる作品を発売していた時期ですが、同時に他の繁華街の名前が登場し始めているのは興味深いです。
「銀座の女」以降、歌詞に銀座が登場しなくなります。
次に登場するのは1980年代中頃です。「俺ら東京さ行ぐだ」や「歌謡曲」と、若者向けの冗談交じりの作品で銀座が扱われるようになります。
ヒット曲の面白いところ
私はこの作品を初めて聴いた時、とても面白い作品だと感じました。思わずニヤニヤしてしまいました♪
理由は、森進一さんが感情を込めて「あぁ~」と歌い、「銀座~」と続く歌唱です。
いくら全国的に有名でも、地名にそこまで感情を込める必要は無いのでは…と感じました。
銀座という地名のためだけに歌唱力を注がずに、他の作品と同じように主人公の心情を描く部分で活かせば良いのに…と思いました(^^;A。
しかし「銀座の女」は、なぜか聴きたくなってしまう作品です。
ヒットする曲は必ず、聴いていて「?」や「!」と感じさせる要素を持っています。
それが、聴き手に「気になるなぁ」、「もう一度聴きたいなぁ。」という心理を芽生えさせます。
「銀座の女」の場合は、歌唱力のある森進一さんが、あえて力を注ぐべきでは無い部分を全力で歌われるから、聴きたくなってしまうのかな?と考えています。
曲情報
発売元:日本ビクター株式会社
品番:SV-1084
渡辺プロダクション制作
A面
「銀座の女」
作詩:川内康範
作編曲:曽根康明
演奏時間:2分56秒
ビクター・オーケストラ
B面
「女の願いよ花になれ」
作詩:川内康範
作編曲:曽根康明
演奏時間:3分27秒
ビクター・オーケストラ
参考資料
「銀座の女」レコードジャケット
『レコード・マンスリー』日本レコード振興株式会社
『オリコンチャート・ブック アーティスト編全シングル作品』オリコン