ヒット曲けんきゅうしつ

なぜヒットする?は証明できないと思います。戦前戦中をけんきゅうちゅう。

「ヘイ・ポーラ」田辺靖雄・梓みちよ(昭和38年)

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流行時期(いつ流行った?)

 田辺靖雄、梓みちよさんの「ヘイ・ポーラ」は、昭和38年(1963年)にヒットしています。

 

 洋楽の最新盤を和訳し、日本人で演奏・表現し直したカバー・ポップスの作品です。

 

年月 ポールとポーラ盤 田辺靖雄・梓みちよ盤
昭和38年04月 9位 -
昭和38年05月 3位 -
昭和38年06月 3位 -
昭和38年07月 2位 14位
昭和38年08月 2位 5位
昭和38年09月 5位 9位
昭和38年10月 14位 20位

 

 アメリカでも大ヒットしたポールとポーラさんの「ヘイ・ポーラ」は、日本でもヒットしています。そのカバー・ポップス盤が企画されています。

 

 しかし、原曲のヒットからずいぶん遅れてカバーしている印象があります…(^^;A。

 

 レコード業界でも「まさか、『ヘイ・ポーラ』が日本でもこんなに人気を集めるなんて!」と大慌てだったのでしょうか。

 

 


www.youtube.com

注)梓みちよ - トピックの動画

 

 

男女で歌う作品が流行っていた時期

 1960年から「ヘイ・ポーラ」がヒットした1963年までの間は、男女で歌う作品が人気を集めています。

 

 次作「けんかでデイト」も洋盤、カバー盤が共にヒットしています。

 

<1960年代、男女で歌われた主なヒット曲>

流行年 曲名 歌手名
1960 東京ナイトクラブ 松尾和子、フランク永井
1960 誰よりも君を愛す 松尾和子、和田弘とマヒナスターズ
1961 煙草屋の娘 渡辺マリ、佐川ミツオ
1961 銀座の恋の物語 石原裕次郎、牧村旬子
1962 トゥナイト リチャード・ベイマー、ナタリー・ウッド
1962 旅の夜風 高石かつ枝、藤原良
1962 寒い朝 吉永小百合、マヒナスターズ
1962 いつでも夢を 橋幸夫、吉永小百合
1962 幸せを掴んじゃおう 金田星雄、小宮恵子
1963 草笛を吹こうよ 浜田光夫、三条江梨子
1963 若い東京の屋根の下 橋幸夫、吉永小百合
1963 ヘイ・ポーラ ポールとポーラ
1963 島のブルース 三沢あけみ、和田弘とマヒナスターズ
1963 ヘイ・ポーラ 田辺靖雄、梓みちよ
1963 けんかでデイト 田辺靖雄、梓みちよ
1963 夕陽の丘 石原裕次郎、浅丘ルリ子
1963 けんかでデイト ポールとポーラ
1963 星空に両手を 島倉千代子、守屋浩

※歌手名は順不同です。

 

 

 松尾和子さんが相方の「グッド・ナイト/東京ナイトクラブ」(1959発売)のヒットが先駆けと感じます。

 

 そして、この流行が若い世代の作品にも取り入れられるきっかけは、やはり「銀座の恋の物語」(1961)のヒットと推測されます。

 

 男女で歌われる作品ですが、ほとんどの作品は交互に掛け合いをするデュエット・ソングではありません。

 

 男性が1番、女性が2番、二人で3番を歌うようなスタイルが目立ちます。「ヘイ・ポーラ」でも、序盤はこのスタイルが踏襲されています。

 

 男女交際に対する、当時の道徳観が感じられます。

 

 

日米の価値観は共通だった?

 「ヘイ・ポーラ」の、男女が別々に歌うスタイルは原曲も同じです。

 

 日本でもアメリカでも「若い男女が歌う場合、大人のデュエットのような会話形式は好ましくない。」という価値観が存在していたのかな?と感じたりします。

 

 翌1964年はビートルズさんやベンチャーズさんが登場し、洋楽はアーティスト性を備えたバンドが人気を得始める事になります。

 

 日本人が抱く、洋楽に対する価値観が変化し始める時期と捉えています。大きな流行で解釈されていたものが、特定の歌手の個性に焦点が絞られ始めた時期と表現すれば良いのでしょうか。

 

 「ヘイ・ポーラ」は、今ではアメリカン・ポップスオールディーズと呼ばれるジャンルに属する作品ですが、このジャンルの全盛期の後期に登場した作品です。

 

 海外の作品であっても基礎知識が不要で、聴いていて壁を感じる事がない作品と感じています。

 

 

田辺靖雄さんを売り出そうとしていた?

 「ヘイ・ポーラ」には珍しく、歌手の紹介文(下記)が印字されています。

 

 「どうして?」と感じるのですが、田辺靖雄さんに関する情報(下記)が詳細に印刷されており、梓みちよさんの紹介はまったく記載されていません。

 

 梓みちよさんにとっても初ヒットとなった作品と思われますのに…(>_<)。

 

田辺靖雄 だれからでも「ヤッチン」のニックネームで親しまれている田辺靖雄は、昭和20年4月5日岩手県水沢市で生まれました。往年のNHKのヒット番組「陽気な喫茶店」の名司会者 故田辺正晴氏の息子さんです。 37年4月よりのNHK-TV「夢で逢いましょう」に歌と踊りで、芝居で若々しい活躍を見せました。また37年1月の第16回「日劇ウェスタン・カーニヴァル」でステージにさっそうと初登場、甘くソフトな声と迫力のあるパンチとで一躍話題を投げました。映画界でも注目を浴び、すでに「非情の青春」「夢で逢いましょう」「地方記者」「私と私」「河のほとりで」「ハイハイ三人娘」「うちら祇園の舞子はん」にそれぞれ主役的な出演をしています。TVでは「夢で逢いましょう」の他に「素適なデイト」にレギュラー出演し、その他多くの音楽番組に出演しております。スローロックを得意とし、スタンダードからポピュラーまでたくさんのレパートリーを持ち、プレスリー、リッキーネルソン、パットブーンのファンです。身長172cm、体重66kg

 

 梓みちよさんが先行して歌手デビューしていたからかも知れませんし、レコード会社が「梓みちよさんは間違いなく売れる!」と確信していたから、改めて紹介をしなかったのかな?とも思います。

 

 1963年は、若手男性歌手が歌う青春歌謡が人気を集め始めた時期ですので、レコード会社は田辺靖雄さんを"カバー・ポップス系の青春歌謡歌手"として売り出したかったのかな?と解釈したり、色々想像しています…(^^;A。

 

 

曲情報

1963年 年間27位(邦楽)

 

 

レコード

 発売元:キング・レコード株式会社

 品番:EB-7220

 

 A面

  「ヘイ・ポーラ」

  英題:HEY PAULA

  訳詩:みナみ・かズみ

  編曲:東海林修

  演奏時間:3分7秒

 

  オールスターズ・レオン

 

 

 B面

  「黒い瞳に青い空」

  英題:OCCHI NERI E CIELO BLU

  訳詩:あらかは・ひろし

  編曲:東海林修

  演奏時間:2分47秒

 

  レオン・サンフォニエット

  ザ・ヒットパレーダーズ

 

 

参考資料

 「ヘイ・ポーラ」レコードジャケット

 『ミュージック・マンスリー』月刊ミュジック社