ヒット曲けんきゅうしつ

なぜヒットする?は証明できないと思います。誤字はちょっとずつ修正します。

「愛のくらし」加藤登紀子(昭和48年)

流行時期(いつ流行った?)

 加藤登紀子さんの「愛のくらし」は、昭和48年(1973年)にヒットしました。

 

 レコード発売は2年前の1971年10月で、ヒットするまでに時間がかかった作品です。

 

 1973年9月からヒットし始めた記録が残っています。きっかけは分かりません。

 

<『レコード・マンスリー』の月間売上ランキング推移>

年月 順位
昭和48年09月 21位
昭和48年10月 23位
昭和48年11月 19位
昭和48年12月 23位
昭和49年01月 21位
昭和49年02月 25位

 

 

 


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愛とは後悔して気付くこと

 「愛のくらし」が発売された1971年は、映画『ある愛の詩』『小さな恋のメロディ』がヒットしています。

 

 ヒット曲でも"人を愛する事"の尊さや素晴らしさが讃えられる時期だったと思います。

 

 「また逢う日まで」「さらば恋人」のように"傷ついた心情を描かない作品"も支持されています。

 

 『ある愛の詩』の「愛とは決して後悔しない事」は後世に名を残していますが、「愛のくらし」がヒットしなかった理由を察します(汗)。

 

 

 しかし、「愛のくらし」は現在でも通じる普遍的な感情です。

 

 "別れで傷ついた心理"や"相手の事を想い続ける心理"を描いた作品は、聴き手の心をなぐさめてくれます。恋愛に限らず、生きていれば悔やむ事はたくさんあります。

 

 

アルフレッド・ハウゼ楽団の書き下ろし曲?!

 レコードにはアルフレッド・ハウゼ楽団さんの名が印字されています。

 

 日本のヒットチャートでは、1958年にLP盤『これがコンチネンタル・タンゴ』が記録に残っている有名なドイツの楽団です。

 

 日本の流行歌手のシングル盤のオーケストラに起用する事は、とてもぜいたくな印象を受けます。しかし、ポリドールさんは「あの楽団が!」のようなアピールを全くされていません。

 

 「知床旅情」の大ヒットがあったからこそ実現できた作品かも知れません。後年「百万本のバラ」(1988)もヒットしますが、加藤登紀子さんが表現したい音楽を企画する流れが当時のポリドール社内にあったのだと思います。

 

 アルフレッド・ハウゼさんが作曲された「愛のくらし」には原題が印字されていません。

 

 洋楽の日本語カバー、例えば「別れの朝」(1972)のような作品と思っていましたが、どうも違うようです。加藤登紀子さんのために書き下ろされた作品のようです。

 

 "流行歌手の新曲"にしては、かなり力が入った作品です。

 

 おかげで1971年に発売されたときにヒットしなかったとしても、誰かの心に残り1973年のヒットに結び付いた事は素晴らしい事と思います。

 

 同時に、時流に合わず誰からもすくわれずに消えてしまったレコードは山ほどあるのだろうとも感じます・・・(^^;A。

 

 

曲情報

 発売元:ポリドール株式会社

 品番:DR-1635

 

 A面

  「愛のくらし」

  英題:

  作詞作曲:加藤登紀子,トミー・チルドレン,アルフレッド・ハウゼ

  編曲:馬飼野俊一

  唄:加藤登紀子

  演奏時間:4分4秒

 

  アルフレッド・ハウゼ楽団

 

 

 B面

  「悲しみの島」

  英題:

  作詞作曲:加藤登紀子.トミー・チルドレン,アルフレッド・ハウゼ

  編曲:馬飼野俊一

  唄:加藤登紀子

  演奏時間:3分42秒

 

  アルフレッド・ハウゼ楽団

 

 

  ディレクター:福住哲弥

  ミクサー:杉田伸雄

  カバー・デザイン:廣野展生

  フォト:武藤義

 

 

参考資料

 「愛のくらし」レコードジャケット

 『レコード・マンスリー』日本レコード振興株式会社

 『オリコンチャート・ブック アーティスト編全シングル作品』オリコン