ヒット曲けんきゅうしつ

なぜヒットする?は証明できないと思います。誤字はちょっとずつ修正します。

「あの娘と僕(スイム・スイム・スイム)」橋幸夫(昭和40年)

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流行時期(いつ流行った?)

 橋幸夫さんの「あの娘と僕(スイム・スイム・スイム)」は、昭和40年(1965年)にヒットしました。

 

 『ミュージックマンスリー』の月間売上ランキングによると、1965年7月に首位を獲得しています。

 

 初登場の順位も3位で、橋幸夫さんの人気ぶりを感じます。

 

年月 順位
昭和40年06月 3位
昭和40年07月 1位
昭和40年08月 3位
昭和40年09月 13位
昭和40年10月 17位

※『ミュージックマンスリー』今月のベストセラーズ(歌謡曲)より

 

 

 


橋幸夫★あの娘と僕 スイム スイム スイム★

注)YouTube に使用を許可しているライセンス所持者 Believe Music, Victor Entertainment, Inc.(金企鵝唱片音樂帶有限公司 の代理); Muserk Rights Management

 

 

 

”スイム”って何?

 副題に登場する”スイム”は、1965年にビクターさんが売り出したニュー・リズムの名称です。

 初出は同年に発売されたエルヴィス・プレスリーさんの「スイムでいこう!」と思われます。

 

 前年に登場したエレキギターの演奏のみの作品が、”サーフィン・サウンド”と呼ばれるジャンルで広まりました。

 そのエレキが奏でるリズムに合わせて踊るから、”スイム”と呼ばれるようになったと見聞きした事があります。

 

 スイムにリズムパターンがあるのかどうかは不明です。

 

 「あの娘と僕」の場合は、イントロのエレキギターの独奏で、タン・タタ・タタ・タンというリズムが刻まれていますので、これがスイムのリズムになるのかも知れません。

 

 

”ピチ娘”って何?

 歌い出しに登場する”ピチ娘”も気になるフレーズです。

 

 バックコーラスが何度も”ピチピチ娘”と歌うので、略しているのかな?と捉える事もできますが、そうでは無いように感じます。

 

 

 ”ピチ”は、東レさんが発売した新作水着の商品名です。1965年の夏に向けて宣伝をしていたようで、日本ビクターさんの新曲シングル盤とタイアップをしています。

 

 この年、ビクターさんが「”スイム”を流行らせよう」と意気込んでおり、スイム関連の新曲を購入して、抽選に応募すると東レさんの水着が当たるキャンペーンを行っています。

 

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 私が持っている「あの娘と僕」のレコードは初回盤では無いため、この広告が付いていませんが、ジャニーズさんの「ガール・ハッピィ」に付いていました。

 おそらく上図の7枚のレコードには、同じ内容の広告が付いていたのではないか?と思われます。

 

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スイムで行こう ピチで行こう

 「スイム」と並んで夏の人気をさらうものに、水着の「ピチ」がある。このピチは、ピチピチした水着。ピチッと合う水着といった意味。型は、ワンピース、セパレーツビキニといろいろだが、そのどれをとってもみな、伸縮性がありシルエットを美しく見せるのが特長という。スイムのようにリズム感のある水着。

 

 「あの娘と僕」は歌詞中に固有の商品名を連想させるフレーズとして、”ピチ娘”と表現しているように感じます。CMソングの要素を備えている作詩であると感じます。

 

 

楽曲分析

 「バンドプロデューサー5」の分析では、「あの娘と僕」はFマイナー(ヘ短調)です。用いられている音階は自然的短音階です。

 

 また、耳に残りやすいメロディと感じます。おそらく、ドレミファやソファミレと、音符が階段状に上り下りするフレーズになっている事が、覚えやすさを備えている理由と感じます。

 

 

 1960年代に流行したリズムやファッションの中では、スイムやピチは、後世にあまり記憶に残らなかった言葉のように感じます。

 

 しかし、当時の最新の流行を取り入れた企画のおかげで、この時代の雰囲気が音源にパッケージされています。

 

 このタイプの作品は、その時代でしか消費されない音楽かも知れません。しかし、当時の空気を感じる事ができます。流行歌の性質を備えた作品と感じます。

 

 

ヒット曲のその後 

 この年のレコード大賞は、日本コロムビアの美空ひばりさんの「柔」と、日本ビクターの橋幸夫さんの「あの娘と僕」のどちらを大賞に選ぶか?で、票が割れたようです。

 

 結果は、「柔」がレコード大賞となり、日本ビクターさんが企画賞として”橋幸夫が歌った一連のリズム歌謡”を受賞しています。

 

 後世に語り継がれている噂は、ビクターさんが1965年のレコード大賞をコロムビアさんに譲る代わりに、翌年のレコード大賞は橋幸夫さんにする約束を交わしたという話です。

 

 実際に、翌1966年は橋幸夫さんの「霧氷」がレコード大賞に選ばれており、当時を知る方々には、「それほどヒットしていないのに?」と違和感を与えた選考となっています。

 

 …1960年代中頃には、すでにレコード大賞が業界の争いを生むほど、権威を持つ賞に成長していたのかな?とモヤモヤしてしまう話です(^_^;A。

 

 

曲情報

1965年 年間11位(邦楽)

 

 

レコード

 発売元:日本ビクター株式会社

 品番:SV-248

 

 

 A面

  「あの娘と僕(スイム・スイム・スイム)」

  作詩:佐伯孝夫

  作編曲:吉田正

  演奏時間:2分53秒

 

  ビクター・オーケストラ

 

 

 B面

  「涙の小窓」

  作詩:佐伯孝夫

  作編曲:吉田正

  演奏時間:3分48秒

 

  ビクター・オーケストラ

 

 

参考資料

 「あの娘と僕(スイム・スイム・スイム)」レコードジャケット

 「ガール・ハッピィ」レコードジャケット

 「スイムでいこう!」レコードジャケット

 『ミュージックマンスリー』月刊ミュジック社

 『全音歌謡曲全集14』全音楽譜出版社

 『歌謡曲の構造』小泉文夫

 「バンドプロデューサー5」