流行時期(いつ流行った?)
倉沢淳美さんのデビュー曲「プロフィール」は、昭和59年(1984年)にヒットしました。
オリコンランキングによると3月下旬に発売されたレコードは、初登場が最高順位で4月中にヒットしています。
レコード発売と同時に人気が集まる前評判の高さは、倉沢敦美さんがわらべさんのメンバーで、すでに有名だったからと思われます。
わらべさんは「めだかの兄妹」(1983年)、「もしも明日が・・・」(1984年)が、その年の代表曲となるヒットを残す人気を残しています。
注)ライセンス WMG(WM Japan の代理)
わらべさんは、バラエティ番組『欽ちゃんのどこまでやるの!』から誕生したユニットです。
倉沢敦美さんは三人娘の"のぞみ・かなえ・たまえ"の、かなえ役で「もしも明日が・・・」のジャケットに"萩本かなえ"と役名が印字されています。
"普通の女の子"のデビュー曲
1980年代はテレビ番組から数多くのアイドルが誕生し、流行歌手となった時代です。
山口百恵さんが引退された1980年、田原俊彦さんに続いて、松田聖子さん、近藤真彦さんがデビューし、1982年には中森明菜さんや小泉今日子さんがデビューして、当時の熱狂がヒットチャートに記録されています。
「プロフィール」がヒットした1984年は、すでにトップアイドルが存在し多くアイドルが活躍する時期です。
アイドルの場合、"デビュー曲=代表曲"と感じる事が多いくらい、歌手のイメージに合った楽曲を製作する事に注力されるのが当たり前です。
しかし「プロフィール」はすでに人気アイドルが存在するからか、自らを平凡な女の子と語り、"普通"を売りにして製作されています。
デビュー盤の歌詞カードには隅の方に自己紹介が印刷されたりしますが、それをデビュー曲の歌詞にした発想に新しさを感じます。
こういった作品が企画されるほど、当時のアイドルブームが熱を帯びていたと感じます。
誰がアイドルを推してくれるのか?
"平凡さを個性にしたアイドル"の企画が成功した事は、アイドルを発掘する業界人に衝撃を与えたのではないか?と思います。
"クラスで1番人気ではない女の子"の発想でAKB48さんをプロデュースされた秋元康さんの考え方に近い発想と感じます。
「プロフィール」がヒットした翌1985年には、テレビ番組から生まれたおニャン子クラブさんがレコードデビューされていて気になります。
ヒット曲はいつの時代にも存在し、売上枚数や再生回数などは集計されていますが、【誰が購入しているのか?】のデータは公表されていません。
これはレコード会社も知りたい情報だったようで、私が持っている「プロフィール」には、下図のアンケート用紙が入っています。
<「プロフィール」に同梱されていたアンケート用紙>
まるで大学入試のようなアンケート用紙ですが、設問はとても興味深いです。
「すでに人気アイドルがたくさんいるのに、なぜ『プロフィール』を購入したのか?」は私も知りたいです。
アンケートの設問は、
1.まずは【性別・都道府県・年齢】という基本的な属性
2.今後の楽曲製作の参考にする【購入理由】
3.新曲宣伝に力を入れるための【日常生活でふれる雑誌や番組名】
を知るために構成されている?と感じます。
「プライベートな事を歌ってくれたんだから、購入したあなたも色々教えて下さい!」みたいな勢いで、押しの営業を感じるアンケートですね・・・(^^;A。
自分で切手を買って送る形式で、実際に有効な回答が得られたのかどうかは分かりません。
次曲「ある愛の詩」は作詞・作曲の担当が変わっていますが、このアンケート結果を参考にされたのかどうかも分かりません。
曲情報
ワーナー・パイオニア株式会社
品番:L-1680
A面
「プロフィール」
作詩:売野雅勇
作曲・編曲:井上大輔
演奏時間:4分31秒
B面
「内気なくらい優しくどうぞ」
作詩:売野雅勇
作曲・編曲:井上大輔
演奏時間:4分11秒
参考資料
「プロフィール」レコードジャケット
「もしも明日が・・・」レコードジャケット
『オリコンチャート・ブック アーティスト編全シングル作品』オリコン
「you大樹」オリコン