反語のタイトルは時局に逆らう意思の現れ?
1938年5月、政府が国民生活を制限できる国家総動員法が施行されます。
"国民が納得できないまま日常生活を制限せざるを得ない世代"と定義すれば、2020年から現在も続くパンデミックの現代も同じです。
霧島昇(きりしまのぼる)さんの「誰か故郷を想わざる」は、突如価値観が変化した生活が始まった2年後の1940年に発売されています。
注)YouTube に使用を許可しているライセンス所持者 Nippon Columbia Co., Ltd.(Nippon Columbia Co., Ltd. の代理); Muserk Rights Management、その他 1 件の楽曲著作権管理団体
1940年には「あの頃が懐かしい!」という心情を描いた作品が発売されています。
当時、軍事政権は「他国と戦争している最中に、過去を懐かしむような感情を呼び起こす歌は士気が下がる。レコード会社は空気を読んで、勇ましい歌を製作しなければならない。」と考えていたと思います。
しかし、"2年間も耐久を強いられた国民には理解できない心情"は、2022年も1940年も共通していたのではないか?と感じます。
行政の許可を得なければいけなかった1940年
1940年当時に国民を脅かしていたのは、"敵国からの軍事侵攻"ではなく、"自国が強要する物資不足の生活と表現の自由の制限"だったと思います。
レコード会社も検閲を攻略できなければ商売にならないので、行政が認めるボーダーラインを探っていた時代と感じます。
これは私の想像です。そのように感じるのは「誰か故郷を想わざる」は"懐かしむ心理"が主題なのに、曲調が明るめでテンポも速いからです
現在のヒット曲で人気の題材である"男性が元恋人との思い出を懐かしむ心理”は1940年には製作されていません。
代わりに"元恋人を、母や故郷に置き換えた作品"が製作されています。
おそらく政府は「日本男児と言えど、故郷や母親を想う気持ちならば認めざるを得ない。」という感覚だったのでしょう。
「小雨の丘」や「なつかしの歌声」、「高原の旅愁」などが発売されています。
なぜ民間企業のレコード会社が権力者の好まない題材で新商品を作ったのでしょう?
当時の日本を生きる方々の心を慰める事を目的にレコードを製作された方々には、本当に尊敬の感情しか生まれません。
1940年の国民感情は「わしゃ、かなわんよ」
「誰か故郷を思わざる」、タイトルに反語を用いる事も珍しいです。
おそらく検閲をすり抜けるための苦肉の策と解釈しています。(有名な作品ですが、戦後の書籍でも裏話、製作秘話を見つけられていません…。)
窮屈な生活も2年続けば「それほど頑張らなくてもいいのでは?」という感情が生まれていたようです。
喜劇俳優の高勢実乗さんのセリフ「アーノネオッサン、わしゃかなわんよ。」が流行語となった事が根拠です。
下の動画の冒頭で話されています。(1940年11月6日に公開された喜劇映画『孫悟空』(戦後『エノケンの孫悟空』に改題)のワンシーンと思われます。)
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「アーノネオッサン~」のセリフはイントネーションが面白いですね。セリフに続けて歌い始めるのは「満洲娘」(1938年発売)です。
なぜ「満洲娘」を歌い始めるのか・・・。映画でも"他国を侵攻する軍事政権の正当性"を国民に強いる事が求められていたのだろう、と理解できます。
冒頭の「わたしゃ36、まだ独り者」は替歌です。
途中から元歌の歌詞で、インチュウホウ[迎春花]やワンさん[王さん]といった日本人にはなじみの薄い中国語が登場する流行歌です。
高勢実乗さんは、見事にその箇所だけをあいまいに歌唱されていますね♪演者の抵抗を感じます。
11月10日に紀元二千六百年式典(NHKアーカイブスのニュース映画『紀元二千六百年輝く世紀の祝典』)という大規模な記念行事が行われますが、その4日前に『孫悟空』が公開されていた事に驚きです。
何年何月の話か分かりませんが、後々、軍部から「"かなわんよ"とはどういう事だ!」と目をつけられ、「二度と言ってはいけない」と禁止されたようです。
(↑はおそらく1943年と思います。政権が「日本が劣勢だ」と理解した時期に、なぜか精神論を盾に、国民に支持された過去のヒット曲の歌詞に改訂を命令し始める末期です。)
…マスクをしなければ外出できない事、行政が日常生活の制限を要求し続けるコロナ禍も2022年で3年目になります。
"マスクを付けないで外出できる日"はいつになるのでしょう。