世の中の流行を題材にして製作した時代?
徳山璉(とくやま たまき)さんの「ルンペン節」は、昭和6年(1931年)に発売されました。
"ルンペン"は前年に誕生した流行語のようで、現在でいう"ホームレス"に近い意味を持つ言葉です。
この時期に発売されたレコードには、【当時流行していた現象を題材にした作品】が目立ちます。
<当時の流行を題材にした(と思われる作品)>
当時の流行 | 曲名 | 歌手 | 発売年 |
緊縮 | 緊縮小唄 | 二三吉 | 1929 |
モガ・モボ | 洒落男 | 榎本健一 | 1929 |
OK | ザッツ・オーケー | 河原喜久恵 | 1930 |
女給 | 女給の唄 | 羽衣歌子 | 1930 |
おそらく「ルンペン節」もこの流れをきっかけに製作されたと推測されます。
注)ライセンス JVCKENWOOD Victor Entertainment Corp.; Muserk Rights Management、その他 1 件の楽曲著作権管理団体
「なぜ、世の中の流行りを題材にした作品が多数作られたのか?」と疑問が生まれますが、「東京行進曲」(1929年発売)が予想外にヒットしたからだと思われます。
歌詞中の"小田急で逃げる"というフレーズが聴き手に受けたようで、「小田急る(おだきゅる)」という流行語が生まれたようです。(「駆け落ちする」という意味です。)
【歌から流行語が生まれ、流行から歌を製作する】、"歌は世につれ"と形容される価値観が生まれたのは、この現象がきっかけかも知れません。
"ルンペン"は扱いにくい言葉では・・・
1923年の関東大震災から復興を目指している時期に発生した1929年の世界恐慌で、不景気に拍車がかかった時期と推測されます。
1929年には"大学は出たけれど"という流行語が生まれていますが、世界恐慌が発生する前に生まれていたようです。(意味は"新卒でも就職できない"というネガティブな言葉です。)
失業して生活がままならない境遇を連想させる"ルンペン"もネガティブさを感じる言葉ですが、なぜか「ルンペン節」は気楽な主人公で聴き手に不安を感じさせません。
イャーハッハッハ!と腹の底から大笑いするフレーズが印象に残りますが、謎の明るさで描かれたのはチャップリンさんの喜劇映画のおかげと想像しています。
逆境を強い心で生きるチャップリンさんをイメージして製作されたのだろう、と解釈しています。
歌詞に「プロの天国 木賃ホテル」というフレーズがありますが、【プロ】は"プロレタリアートの略(ブルジョワの対義語?)=ひどい環境で働く労働者"の意味と思われます。
映画やレコードより小説が先に題材にしているようです。井伏鱒二さんの『蟹工船』が代表的なプロレタリア文学です。
現代でもブラック企業や上級国民という格差を象徴する言葉が生まれているので、プロとブルジョワの100年前も似たような世相だったのかも知れません。
歌唱力より演技力?
「ルンペン節」は大笑いする歌唱だけでなく、酔った様子を演じる歌唱も印象的です。
この"感情的な歌唱"はレコード業界では画期的な試みだったと思います。
現代でも歌唱力が重視で、感情を表に出した曲は珍しいです。
(最近では「うっせぇわ」(2021年)の「はぁー!」と力を込めて怒りの感情を表現する歌い方や、「Habit」(2022年)の「言っちゃいけない事言うけど」と前置きして自虐的に笑う歌い方が思い浮かびますが、コロナ禍の特殊な事例と感じています。)
感情を前面に出すのは『アナと雪の女王』の「生まれてはじめて」(2014年)などのミュージカルが得意と思います。
どちらかというと「ルンペン節」はミュージカルに近いと感じます。
ミュージカルと言うと、1929年に宝塚歌劇団の『モン巴里』が人気となり、花組スター連の同名レコードが発売されています。
流行を採用したのではないか?と思います。
実は風刺も込められている?
「ルンペン節」に対して、当時は「タイトルとか、あの歌唱ってどうなの?」と感じられた人々もおられたかも知れません。
しかし聴き手は「気楽にいこうよ」ではなく、「もうやってられません!」という"やけくその感情"として受け止められたのではないか?と想像しています。
そう感じるのは歌詞の終わりが「ノンキだね」で終わっている事です。
"ノンキダネ"で終わる歌で連想するのは1918年(大正7年)に発表された添田唖蝉坊(そえだ あぜんぼう)さんの「ノンキ節」です。
おそらくこの作品を意識していると思います。
「ノンキ節」は風刺の効いた作品で、2023年でも理解できる歌詞は2番です。
貧乏でこそあれ日本人はエライ それに第一辛抱強い 天井知らずに物価は騰がっても 湯なり粥なりすすって生きている ア ノンキだね
「ルンペン節」が後世に名を残したのは、当時の流行語のエロ・グロ・ナンセンスのなかでナンセンスな作品として受け止められたからではないか?と想像しています。
高度経済成長期のクレイジー・キャッツさんの作品にも通じる気がします。
参考資料
『日本流行歌史(上)1868~1937』社会思想社