平成の31年間で著作物使用料89位!
笠置シヅ子さんの「東京ブギウギ」は昭和23年(1948年)に発売されました。
戦後の復興期を象徴する流行歌として語り継がれています。
この曲はブームになったのではないか?と感じます。翌年に発売された「銀座カンカン娘」は、おそらくこの曲がヒットした事で誕生した作品と想像しています。
注)笠置シヅ子 - トピックの動画
ヒット曲には様々なデータが存在しますが、「東京ブギウギ」は平成の31年間で著作権使用料の98位にランクインしています。
「平成」期における著作物使用料分配額TOP100を発表(プレスリリース JASRAC)
なぜか「平成20年から 29年までの国内作品分配額上位50作品」で、突然12位にランクインしていますね。
おそらくアサヒビールさんのクリアアサヒのCMソングとして「東京ブギウギ」が替歌で用いられた事が理由と感じます。
注)アサヒグループ公式チャンネルの動画
・・・今の時代、笠置シヅ子さん盤は、自ら聴こうと思わなければ耳にすることが無い作品と感じます(^^;A。
恥ずかしくなるくらいの底抜けた明るさ
一人で聴くなら何の遠慮もありませんが、この曲を聴いてどう感じられるでしょうか?
もし通勤・通学の電車内で音漏れして周りの人に「東京ブギウギ」を聴いている事を気付かれたとすれば、気恥ずかしさを感じてしまうかも知れません。
この心理は自然な事と感じます。私はこの曲はそういうタイプの作品と捉えています。
流行りを過ぎた曲でも、バラードや洋楽を聴いている事がバレても、別に恥ずかしい気持ちは生まれません。
しかし、「東京ブギウギ」のような底抜けに明るい昔のヒット曲を聴いている事がバレると、なぜか恥ずかしいと感じる気持ちが芽生えます。
「東京ブギウギ」を「LOVEマシーン」や「GOLDFINGER '99」(共に1999)、「マツケンサンバⅡ」(2004)や「羞恥心」(2008)、「フライングゲット」(2011)に置き換えれば伝わりやすいでしょうか。
おそらく「うっせえわ」(2021)も該当する事になるのだろうと思います。
こういったタイプの作品は、"ヒットした時期でなければ共感されない勢い"を備えていると思います。
時代を反映した流行歌と言えるかも知れません。
求められたワクワク感
戦後がどのような時代だったのか?私はいまだによく分かっていません。空襲で焼け野原となった都市が、どれくらいの期間でどれくらいの復興をしたのでしょうか?
ヒット曲で見ると1948年が転換期と思います。「東京ブギウギ」と同年に「憧れのハワイ航路」も発売されます。
敵国だったアメリカの音楽文化や観光地を題材にした作品がヒットし始める時期になります。
日本が主権を回復するサンフランシスコ講和条約(1951年)まで、GHQによる統治が終わるまでの期間には「ダンスパーティーの夜」や「桑港のチャイナタウン」(1950)、「ミネソタの卵売り」(1951)なども発売されています。
おそらくアメリカが自国の価値観の押し付けたのではなく、日本人がアメリカに憧れを抱く心情に変化したのだろう、と推測されます。
それは戦争で家族を失ったとしても、日本とアメリカの国力の差を多くの日本人が理解し「負けるはずだ。」と受け入れる事が出来た時期と解釈しています。
各地の進駐軍は復興を目指す日本人に干渉をしないように心がけていたのかも知れません。
戦時下の日本政府が、国民精神総動員運動で国民生活に干渉したので、GHQは「我々は考え方が違う」という事を時間をかけて理解してもらうためだったのかも知れません。
この価値観の変化に数年の時間が必要だった、という見方も出来ます。
当時の人たちにとっては、「東京ブギウギ」は空元気で明るく振る舞っているだけではなく、「何か世の中に変化が起きている」と実感させるエネルギーを感じ取れる作品だったのではないか?と想像しています。
参考資料
『日本流行歌史(中)1938~1959』社会思想社
(プレスリリース JASRAC)Webサイト