ヒット曲けんきゅうしつ

なぜヒットする?は証明できないと思います。戦前戦中をけんきゅうちゅう。

「忘れちゃいやョ」渡辺はま子(昭和11年)

初めて発売禁止となったヒット曲?

 渡辺はま子さんの「忘れちゃいやョ」は、レコードが発売された昭和11年(1936年)にヒットしたと推測されます。

 

 3月に発売されましたが、6月下旬に内務省より発売禁止の処分を受けているからです。

 

 レコードに対する処分では放送禁止製造禁止となった作品は他にもあったようです。

 

 「忘れちゃいやョ」の場合は、"リアルタイムでヒットしている作品が発売禁止となった事"で注目が集まったそうです。

 

 


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 レコード流行歌は昭和のはじめ、1920年代後半に誕生した新しい産業です。

 

 1936年の時点で、"多くの人に知られる事となり、悪影響を及ぼす可能性のある作品は看過できない"と認識されるくらい、大きな市場へと成長していたのだろう、と想像しています。

 

 

発売禁止の理由は"エロ・グロ・ナンセンス"?

 昭和初期にエロ・グロ・ナンセンスというフレーズが流行語となったようです。

 

 あまりピンと来ない流行語ですが、レコード音楽では、聴き手にエロを感じさせる作品が企画されていたように見受けられます。

 

 「忘れちゃいやョ」はエロに該当すると判断され、治安警察法に基づき、発売元のビクターさんに対して、

 

娼婦ノ嬌態ヲ眼前ニ見ルゴトキ官能的歌唱デアル

 と発売禁止に至る理由を指摘し、

 

自発的ニ原盤ヲ破棄

という指導を行ったそうです。

 

 ラジオ放送や交通インフラの発展などで、多くの人々が同時に共有できるものが増え、大衆の存在が大きくなった事から、統制する必要があると判断したのだろう、と想像しています。

 

 

 意外に感じますが、この時代は内務省の強制力は強く無かったようです。

 

 治安警察法では、「原盤を破棄しなさい」という命令ではなく「自主的にビクターさんが原盤を破棄すべきです」という、コロナ禍の緊急事態宣言のようなニュアンスで表記されています。

 

 戦後に、オリジナル原盤による復刻CDが発売されていますので、ビクターさんは破棄しなかったのではないか?と思われます。

 

 

見せしめで発売禁止に?

 当時、レコードの検閲は発売後に行われていたようで、『「ねぇ」の歌い方が扇情的である。』という理由で発売禁止となりました。

 

 「忘れちゃいやョ」がヒットした事で他社からも類似作が製作され、エロティシズム(当時はエロ感と表記?)を連想させる作品="ねぇ小唄"と総称されていたそうです。

 

 "ハァ小唄"に次ぐ流行を見せた事で、二次創作で誕生した呼称と思われます。

「島の娘」(1933年発売)や「東京音頭」(1933年発売)で絶大な人気を獲得した小唄勝太郎さんの作品が、どちらも〽ハァーという歌い出しだった事から"ハァ小唄"と呼ばれていました。)

 

 

 実は、「忘れちゃいやョ」の作品が問題視されたのではなく、"ねぇ小唄"のブームを作った事が発売禁止の本当の理由のようです。

 

本年五月上旬発行者ニ対シ街頭ノ宣伝演奏ヲ遠慮スベキ様命ジ置キタルモノナル所、其後相当流行スルニ及ビ他社ヨリ続々ト類似作ノ蔟出スル傾向ヲ生ジ、而カモ類似作ニ至リテハ其ノ質ニ於テ劣悪ノモノ多ク黙過シ得ザル事態ヲ示スニ至リ、斯クテ其ノ源ニ遡リテ処置ヲ講ズルノ必要ヲ生ジタルニ因ル。(『日本レコード文化史』岩波現代文庫より抜粋)

 

    行政は、多数の二番煎じの作品が低俗と捉え、その元凶となった「忘れちゃいやョ」に処分の矛先を向けたようです・・・。

 

発禁に対するビクターの反撃?

 個人的な想像ですが、当時ビクターさんは発売禁止(6月)に対して、相当の怒りを覚えられたのではないか?と感じる記録があります。

 

それは、

1.次作に「とんがらかっちゃ駄目よ」を発売(8月)

2.歌詞の一部を削除して吹き込み直した「月が鏡であったなら」を発売(9月)

の2点です。

 

1.「とんがらかっちゃ駄目よ」を発売(8月)

 あまり語られる事がありませんが、この曲の歌い出しは”ねぇ、ねぇ”となっています。

 

 "ねぇ小唄"のブームを作った事で発売禁止となったにも関わらず、処分を受けてから2か月後に、"ねぇ"で歌い始める新曲を発売するなんて・・・。

 

 最も避けるべきフレーズを冒頭から用いる、普通はそのような事はしないと感じますので、当時のビクターさんがケンカ腰だったのではないか?と感じてしまいます。

 

 そして、"都合がよくない時はお互い様です"、"あまり尖ってはいけませんよ"という内容の歌詞は、内務省に向けたメッセージではないか?と感じてしまいます。

 

 

2.改題「月が鏡であったなら」を発売(9月)

 楽曲はほとんど「忘れちゃいやョ」と同じですが、”ねぇ”の歌唱だけを省いた吹き込みでリメイクされています。

 

 まるで、「この曲の"ねぇ"がダメとおっしゃられたので、ご指摘通り省きましたよ!」と言わんばかりのリメイクの粗さを感じてしまいます・・・(^^;A。

 

 "忘れちゃいやョ"の歌唱部分もメロディが変更され、いじらしさを感じる可愛らしい歌唱となっていますが、改題前に比べてエロ感が高まっているような印象があります。

 

 

 おそらく、「黙って処分に従ってしまうと、今後の検閲で悪い前例が出来てしまう。こちらには非が無い事を証明しなければならない」という志を持っておられたから、あえて製作されたのだろう、と想像しています。

 

 

曲情報

 発売元:日本ビクター

 品番:53663

 

 A面

  「忘れちゃいやョ」

  作詞:最上洋

  作曲:細田義勝

  歌唱:渡辺はま子

 

 

 B面

  「ホの字の唄」

  作詞:若蘭子

  作曲:三宅幹夫

  歌唱:小林千代子・徳山璉

 

 

 

参考資料

 「想い出の戦前・戦中歌謡大全集4」CD

 「ニッポン・エロ・グロ・ナンセンス モガ・モボ・ソングの世界」CD

 『日本流行歌史(上)1868~1937』社会思想社

 『SPレコード60,000曲総目録』昭和館 アテネ書房

 『日本の流行歌<歌でつづる大正・昭和>』上山敬三 早川書房

 『日本レコード文化史』倉田善弘 岩波現代文庫