流行時期(いつ流行った?)
北島三郎さんの「ブンガチャ節」は、昭和37年(1962年)にヒットしました。
『ミュージックマンスリー』の月間売上ランキングによると、下記の売上推移を記録しています。
年月 | 順位 |
昭和37年06月 | 16位 |
昭和37年07月 | 8位 |
昭和37年08月 | 6位 |
昭和37年09月 | 9位 |
昭和37年10月 | 19位 |
・・・放送禁止に指定された割には、けっこうヒットしている印象を受ける売上推移です(^^;A。
注)北島三郎 - トピックの動画
放送禁止に指定されたデビュー曲
「ブンガチャ節」は北島三郎さんのデビュー曲ですが、同時に放送禁止の指定を受けた事でも知られています。
現在では、そういった指定をするルールは無くなっていますが、1960年代には、誰でも耳にする機会があるテレビやラジオの放送で、「内容が健全ではない作品は放送を控えよう!」という取決めが存在していたようです。
要注意曲と表現されますので、"完全に禁止"ではなく"自粛すべき"というニュアンスだったのかも知れません。
NHKアーカイブスで検索すると、1975年の番組表で一度だけ「ブンガチャ節」が登場しています。
放送禁止になった作品には「網走番外地」や「ヨイトマケの唄」、「悦楽のブルース」などがあります。(なぜか1965年のヒット曲に目立ちます。)
放送禁止に指定される理由は様々ですが、主な理由として、差別的な表現、反社会的な表現、わいせつな表現が挙げられます。
「ブンガチャ節」は発売当時、”わいせつな表現をした作品である。”と判断されたようです。
放送禁止の理由
作品を聴いても、「どこにわいせつな表現があるのか?」と疑問に感じます。語り継がれているのは、小唄の囃し言葉である♪キュッキュキューというフレーズが引っ掛かったというエピソードです。
しかし、こちらも理由を明記した資料は見たことがありませんし、禁止するにしては説得力に欠ける理由なので、少し違うような気がします。
「ブンガチャ節」は、東京の歓楽街、夜の街で歌われていた俗謡と見聞きした事があります。
当時のレコード会社は、巷で歌い継がれている"作者不詳の作品"を発掘してレコード化する動きがあり、おそらくその中でこの作品が見つかったようです。
しかし、原曲の歌詞のままでは明らかに放送出来ない内容であったためか、星野哲郎さんが歌詞を書き直しています。
"恋煩いでお医者さんに診てもらったら、氷枕で風邪を引いてしまった。"というような、小唄特有の愉快な言い回しは、後の「お座敷小唄」(1964)に通じる要素を持っていると感じますが、それでも要注意の指定を受けます。
それは、おそらく当時の大人たちの間に元歌を知っている人がたくさんいた事、レコード化する前から有名な春歌だったからではないか?と感じます。
囃し言葉を元歌のまま使用した事が、要注意の指定を受ける理由になったような気がします。
ちなみにこの俗謡は、東芝さんも商品化しており、別の歌詞で松山恵子さんが「キュッキュ節」というタイトルで吹き込んでいます。
どちらも同じ時期にヒットしていますが、東芝さんのレコードもおそらく放送禁止の指定を受けていたのだろうと思います。
楽曲分析
バンドプロデューサー5の分析では、「ブンガチャ節」はGメジャー(ト長調)です。
用いられている音階は完全なヨナ抜き長音階です。
曲情報
1962年 年間16位(邦楽)
レコード
発売元:日本コロムビア株式会社
品番:SA-896
A面
「ブンガチャ節」
英題:BUNGACHA-BUSHI
作詩:星野哲郎
採譜・編曲:船村徹
演奏時間:3分10秒
コロムビア・オーケストラ
B面
「泣き虫横丁」
英題:NAKIMUSHI YOKOCHO
作詩:星野哲郎
作曲:船村徹
演奏時間:2分40秒
コロムビア・オーケストラ
参考資料
「ブンガチャ節」レコードジャケット
「キュッキュ節」レコードジャケット
『ミュージックマンスリー』月刊ミュジック社
『全音歌謡曲大全集3』全音楽譜出版社
『歌謡曲おもしろこぼれ話』長田暁二
「バンドプロデューサー5」