「テネシー・ワルツ」を日本風に
神楽坂はん子さんの「ゲイシャ・ワルツ」は、1952年に日本コロムビアさんから発売されました。(EP盤は1957年9月に発売されています。)
後年に発売されたレコードでは、漢字で「芸者ワルツ」と表記されているようです。なぜ漢字に変わったのか、経緯はよく分かりません。
「ゲイシャ・ワルツ」が発売された年は、キングレコードさんが発売した江利チエミさんの「テネシー・ワルツ」がヒットしています。
当時、「テネシー・ワルツ」はとても人気があったようです。その勢いに触発されて、日本コロムビアさんは「ゲイシャ・ワルツ」を製作されたそうです。
注)YouTube に使用を許可しているライセンス所持者 Nippon Columbia Co., Ltd.(COLUMBIA の代理); Muserk Rights Management
「テネシー・ワルツ」と「ゲイシャ・ワルツ」、それぞれの盤がどのくらいヒットしたかは、記録が見つからないため分かりません。
日本コロムビアの和洋折衷歌謡
江利チエミさんの「テネシー・ワルツ」のヒットは、当時の日本コロムビアさんに大きな衝撃を与えたのだろうと思います。
そして、なぜか"日本の文化を交えたワルツを製作する"という結論に至った展開は、とても興味深いです♪
1952年は、4月に発効されたサンフランシスコ講和条約で日本主権が回復した年です。
日本コロムビアさんで、「GHQの占領も終わった事だし、久しぶりに自由に作品を作ろう!」と盛り上がっていたのかも知れません。
美空ひばりさんの「お祭りマンボ」も、「ゲイシャ・ワルツ」と同じ1952年8月に発売されています。
"流行りの海外のリズムを歌謡曲に取り入れる"という発想は画期的ですが、タイトルからして強引で、思い切った企画であると感じます…(^^;A。
戦後間もない頃に登場するアメリカ文化
敗戦後しばらくの間、日本の流行歌には、アメリカ文化を連想させる作品がいくつかヒットしています。
<(個人的に)アメリカ文化を感じるヒット曲>
曲名 | 歌手名 | 発売年 | 作詩 | 作曲 |
東京ブギウギ | 笠置シズ子 | 1948 | 鈴木勝 | 服部良一 |
三味線ブギウギ | 市丸 | 1949 | 佐伯孝夫 | 服部良一 |
銀座カンカン娘 | 高峰秀子 | 1949 | 佐伯孝夫 | 服部良一 |
桑港のチャイナタウン | 渡辺はま子 | 1950 | 佐伯孝夫 | 佐々木俊一 |
ダンスパーティーの夜 | 林伊佐緒 | 1950 | 和田孝夫 | 林伊佐緒 |
ミネソタの卵売り | 暁テル子 | 1951 | 佐伯孝夫 | 利根一郎 |
東京シューシャインボーイ | 暁テル子 | 1951 | 井田誠一 | 佐野鋤 |
タイトルでも分かりますが、なじみのないアメリカの都市名や英単語が用いられています。
これらの曲に登場する英語や地名は、当時の日本人が共感できるフレーズだったとは思えません。
個人的な感想ですが、何となく当時の世の中の空気を感じられない作品です。どちらかと言うと、日本よりもアメリカの文化・価値観に寄せた作品であると感じてしまいます。
戦時中の軍国主義の検閲と同様に、GHQ占領下の検閲が存在していたから、アメリカ好みの作品が日本人によって製作されていたのかな?と解釈しています…(^^;A。
上記の表では、笠置シズ子さんや暁テル子さんの作品は、コミックソングという認識で当時の人達に支持されていたかもしれませんね。
しかし、このような作品は1952年以降、姿を消します。
"西洋文化を取り入れた作品"という定義では「ゲイシャ・ワルツ」も同じですが、音楽の質的には、和洋折衷でも"和"の要素が勝っていると感じます。
戦後、このような和の要素が強い歌謡曲が登場し始めるのも1952年です。主権回復と同時に、ヒット曲も従来の表現が行われるようになったのだろう、と感じるヒット曲です。
曲情報
発売元:日本コロムビア株式会社
品番:A1470
A面
「ゲイシャワルツ」
作詞:西條八十
作曲:古賀政男
日本コロムビア・オーケストラ
B面
「だから今夜は酔はせてネ」
作詞:西條八十
作曲:古賀政男
日本コロムビア・オーケストラ
参考資料
「ゲイシャ・ワルツ」レコードジャケット(EP再発盤)
『歌謡曲おもしろこぼれ話』長田暁二 現代教養文庫
『新版 日本流行歌史(中)1938~1959』社会思想社
『SPレコード60,000曲総目録』アテネ書房