流行時期(いつ流行った?)
緑川アコさんの「カスバの女」は、昭和42年(1967年)にヒットしました。
7月に発売されたレコードは、『レコードマンスリー』のランキングを見ると、多くの人たちの注目を集めたヒット曲ではなく、売上ランキングの下位に長期間ランクインしています。
オリコンチャートで例えると、杉良太郎さんの「すきま風」のように、最高順位は低くても、ロングセラーとなったタイプの流行歌であると考えられます。
集計日付 | 順位 |
昭和42年7月 | 26位 |
昭和42年8月 | 26位 |
昭和42年9月 | 27位 |
昭和42年10月 | 圏外 |
昭和42年11月 | 24位 |
※『レコードマンスリー』歌謡曲部門のランキング推移
過去の作品をカバーしたリバイバル曲
「カスバの女」は、昭和30年(1955年)にエト邦枝さんが吹き込まれた作品です。さすがにこの時期の資料は残っていませんので、流行ったかどうかは分かりません。
しかし、『懐かしの~』と題される流行歌集のCDには収録されている事があるため、ヒットしたのかな?とも感じます。
リバイバルブームも過ぎ去った12年後の昭和42年に、なぜ「カスバの女」がカバーされたのかもよく分かりません。
“あきらめ”の心理が歌われた作品
「カスバの女」は、緑川アコさんにとっては、園まりさんたちと各社競作になった「夢は夜ひらく」(昭和41年)に続く作品です。
女性が歌う盤が人気となった「夢は夜ひらく」ですが、この作品が描いている登場人物の心理が、「カスバの女」に共通する部分があったために、レコードの製作が進められたと感じます。
どちらの曲も、曲調は暗いです。歌詞でも、かなわない望みに対する内向きな気持ちが歌われています。
どちらかと言えば、“どうせ”という言葉が登場する「カスバの女」の方が、傷ついている心理が描かれているように感じます。
のちのち支持される“恨み節”に似た価値観
昭和40年代中頃は、歌謡曲の歌手の間で、「カスバの女」のような“あきらめ”の心理を描いた作品が多数登場します。
もっとも顕著なのは昭和45年(1970年)です。もしかしたら、内山田洋とクール・ファイブさんと、藤圭子さんの活躍が目立ったためにそのような印象を受けてしまうのかも知れませんが、重く暗い心情を描いた作品が人気を集めていました。
昭和42年に各社競作となった「カスバの女」は、時代の空気を先取りした企画作品のように感じます。
当時の人たちには、それほど支持は得られませんでしたが、過去の楽曲から「カスバの女」を選び出した事は世の中の動きを読み取っているように感じます。
“カスバ”って何?
アルジェリアが歌詞に登場しますが、アルジェリアの昔の街並みの事を指しているようです。私は不勉強なので、これ以上の事は分かりません。ただ、作詞された大高ひさをさんは『望郷』という映画を参考に、曲の世界を描かれたようです。
日本にはほとんど縁の無いアフリカのアルジェリアを舞台にした珍しい作品です。
曲で表現されているのは、登場人物にとっても見知らぬ街であるカスバに流れ着き、明日の行方も定かではない境遇に置かれた人物の心理です。自分の力ではどうする事もいない環境に置かれた身であり、希望を失った心情が描かれています。
バンドプロデューサーの分析では、「カスバの女」はF#マイナー(嬰へ短調)です。
曲情報
1967年 年間72位(歌謡曲部門)
レコード
発売元:日本クラウン株式会社
品番:CW-668
A面
「カスバの女」
英題:KASUBA NO ONNA
作詞:大高 ひさを
作曲:久我山 明
編曲:清水 路雄
ハニー・ナイツ
クラウン・オーケストラ
B面
「星降る夜のブルース」
英題:HOSHI FURU YORU NO BLUES
作詞:水島 哲
作曲:叶 弦大
編曲:清水 路雄
クラウン・オーケストラ
参考資料
「カスバの女」レコードジャケット
『レコードマンスリー』日本レコード振興
「バンドプロデューサー」