流行時期(いつ流行った?)
青江三奈さんの「恍惚のブルース」は昭和41年にヒットしました。『ミュージックマンスリー』のランキングによると、7月から流行し始めたようです。
集計日付 | 順位 |
昭和41年6月 | 16位 |
昭和41年7月 | 8位 |
昭和41年8月 | 7位 |
昭和41年9月 | 5位 |
昭和41年10月 | 9位 |
昭和41年11月 | 不明 |
昭和41年12月 | 不明 |
※昭和42年以降は『ミュージックマンスリー』が雑誌内容を変更し、ランキング掲載が無くなりました。そのため、順位は不明です。
青江三奈さんの全盛期は2年後から
「恍惚のブルース」は、青江三奈さんのデビュー曲です。何かの書籍で放送禁止になったと書かれていたような記憶がありますが、作品に対して制約を与えられた事は何もなかったようです。
同年の紅白歌合戦に「恍惚のブルース」で初出場されていました。
しかし、ビクターさんから同時期に「女のためいき」でデビューした森進一さんとは違い、青江三奈さんには翌年には続くヒット曲が生まれませんでした。
オリコンが始まった2年後の昭和43年以降が、青江三奈さんの全盛期です。「伊勢佐木町ブルース」(昭和43年)や「池袋の夜」(昭和44年)、「国際線待合室」(昭和45年)などのヒットが記録に残っています。
ハスキーな歌声を持つ歌手という定義で、お二人が“ためいき路線”と呼ばれていたようです。
しかし、レコード会社が命名したのか、聴き手があだ名を付けたのかは不明です。おそらく、レコード会社の宣伝文句だと思われます。
「恍惚のブルース」と“ブルー”
「恍惚のブルース」の歌詞には、特徴的な“ブルー”という単語が登場します。
歌謡曲の作詞家である川内康範さんと、ポップス系のソングライターの浜口庫之助さんが製作された盤であるため、歌謡曲で用いられることの無い新しいフレーズとして作品に盛り込んだと考えられます。
ビクターさんは、「恍惚のブルース」の歌詞中に登場したブルーシルクやブルーパールというフレーズに新しさを感じた事に注目したようで、2作目は「ブルー・ブルース」という作品を発売されています。
もしかしたら、日本コロムビアさん所属のブルーコメッツさんが“青い~”で推していたので対抗意識を持っていたのかも知れません。
私の想像ですが、「我々も青(ブルー)で行きましょう!〇〇ブルースが流行っているし、“ブルー”で韻も踏んでいるタイトルだったら注目されて、ヒットは間違いないでしょう!」と盛り上がっていたのかも知れません。
ヒットはしませんでした。
「恍惚のブルース」の魅力
歌詞を小説を読むときの思考で考えれば、おそらく性的な表現を暗に示しているようだろう、と解釈できます。それだけ川内康範さんの作詞は、とてもあいまいにして表現されています。
そのため「恍惚のブルース」を聴いても、そのような印象は受けません。
個人的な考えですが、当時の人たちは、かすれ気味な女性歌手の歌声で、「何か珍しい声の人が歌謡曲を歌ってるなぁ~」と思っていたら、聴きなれない“ブルー”というフレーズが登場して、「ん?」と気になってしまった程度の印象だったのではないか?と思います。それだけ歌詞の内容が入って来ません。
歌詞の特徴は、同年にヒットした美川憲一さんの「柳ヶ瀬ブルース」に似ているように感じます。こちらも“柳ヶ瀬”、“火の鳥”、“エメラルド”と、歌謡曲では見聞きしなかった単語が多く登場しています。
「柳ヶ瀬ブルース」と「恍惚のブルース」は同時期にヒットしていましたが、この時期は、聴きなれない単語を歌詞に用いる事が流行りだったのか、何かの作品のヒットをきっかけに、そういった表現をするように他社が追随したのかは分かりません。
青江三奈さんのハスキーな歌声が、聴き手にとってはなじみが薄く、歌詞を聴き取りにくくさせて、作品の描く雰囲気に対して支持が集まったのではないか?と考えます。
バンドプロデューサーの分析では、「恍惚のブルース」はF#メジャー(嬰へ長調)です。
曲情報
発売元:日本ビクター株式会社
品番:SV-416
A面
「恍惚のブルース」
作詞:川内 康範
作曲:浜口 庫之助
編曲:寺岡 真三
演奏時間:3分37秒
川内康範原作 週刊現代連載「恍惚」より
B面
「ひと知れぬ愛」
作詞:川内 康範
作曲:浜口 庫之助
編曲:寺岡 真三
演奏時間:4分
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参考資料
「恍惚のブルース」レコードジャケット
『ミュージックマンスリー』月刊ミュジック社
「バンドプロデューサー5」