ヒット曲けんきゅうしつ

なぜヒットする?は証明できないと思います。誤字はちょっとずつ修正します。

「アカシアの雨がやむとき」西田佐知子(昭和37年)

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流行時期(いつ流行った?)

 西田佐知子さんの「アカシアの雨がやむとき」は、昭和37年(1962年)にヒットしました。

 

 この作品は1960年に発売されていますが、ランキングに登場したのは1961年8月になっています。

 

 『ミュージックマンスリー』の月間売上ランキングによると、下記の売上推移を記録しています。

 

年月 順位
昭和36年08月 19位
昭和36年09月 14位
昭和36年10月 圏外
昭和36年11月 圏外
昭和36年12月 圏外
昭和37年01月 圏外
昭和37年02月 19位
昭和37年03月 8位
昭和37年04月 7位
昭和37年05月 6位
昭和37年06月 2位
昭和37年07月 3位
昭和37年08月 4位
昭和37年09月 2位
昭和37年10月 4位
昭和37年11月 3位
昭和37年12月 3位
昭和38年01月 7位
昭和38年02月 3位
昭和38年03月 14位
昭和38年04月 11位
昭和38年05月 15位
昭和38年06月 14位

 

 …19ヶ月もランクインしています(^^;A。

 

 


アカシアの雨がやむとき ♪西田佐知子

注)YouTube に使用を許可しているライセンス所持者 UMG(Universal Music LLC の代理); UMPG Publishing、その他 2 件の楽曲著作権管理団体

 

60年安保闘争の直後にはヒットしていない?

 「アカシアの雨がやむとき」は、1960年に日米安全保障条約の採決を阻止できなかったデモ参加者の落胆の心情を代弁するような内容だったため、当時愛唱されてヒットした、というエピソードを見聞きします。

 

 上記の動画でも関連付けされていますが、実際には1960年にこの曲が売れた記録や、デモ参加者へ取材した声の記録は見つけられていません…(>_<)。

 

 

 ヒットチャートで考えると、「アカシアの雨がやむとき」が初めてランクインしているのは、1961年8月です。安保条約が成立した1960年6月の1年2か月後です。

 

 この時点では、西田佐知子さんはまだヒット曲に巡り合えていません。「コーヒ・ルンバ」(1961)がヒットする直前です。

 

 おそらく「コーヒー・ルンバ」より先に、同名ドラマ主題歌の「刑事物語」(1961)をきっかけにして、西田佐知子さんや「アカシアの雨がやむとき」の存在が知られ始めたのではないか?と考えます。

 

 1960年に放送された『刑事物語』については情報が少ないため、歌詞カードの解説を添付致します(下図)。

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「刑事物語」西田佐知子の歌詞カード解説

 

 翌1962年2月に再びチャートインして、ロングセラーが始まりますが、このきっかけは、「コーヒ・ルンバ」で西田佐知子さんが紅白歌合戦に初出場した事だろうと推測されます。

 

 

稀に見るロングセラー作品

  「アカシアの雨がやむとき」は、19ヶ月間のあいだヒットチャートにランクインしており、おそらく『ミュージックマンスリー』のランキングに登場した作品のなかでは最長記録ではないか?と思われます。

 

 同時期に村田英雄さんの「王将」が大ヒットしていなければ首位も獲得していたかも知れません。

 

 通常、ロングセラー作品は順位がそれほど高くない位置で長期間売れ続けます。「アカシアの雨がやむとき」のように、ランキング上位で長期間登場し続けた作品はあまり記録に残っていません。

 

 配信ランキングで記録した米津玄師さんの「Lemon」(2018、2019)や、オリコンでの都はるみさんの「北の宿から」(1976)くらいしか思いつきません。

 

 いずれも、作品の良さがあっての事ですが、その時期に他に似た作品が存在しない事や話題性が高かった事、評判が評判を呼ぶ形で支持層をぐんぐんと伸ばす要因になっていると感じます。

 

 流行の規模の大きさから、様々な年齢層に支持されたのだろうと思います。

 

 1つの曲に対してこれほど人気が集まるのは大変稀で、「アカシアの雨がやむとき」は、1962年の世の中の雰囲気で求められていた音楽だったのだろうと感じます。

 

 

何が多くの人の心に響いた?

印象に残りにくい作品

 正直に申し上げると、「アカシアの雨がやむとき」にこれだけ長い間、多くの支持が集まった理由は、私は分かりません。

 

 街角やテレビで何気なく曲を耳にする人に向けた流行音楽は、ワンフレーズでも印象に残らせよう!とする性質があると考えていますが、この作品にはそういった演出が見当たりません。

 しいて言えば、冒頭のトランペットの独奏でしょうか。

 

 この作品は、何度も聴かないと曲の良さを理解できないような、"曲の全体を聴いて鑑賞するタイプの作品"です。当時の流行では存在しなかった音楽表現、というより流行音楽の世界では避けられがちな音楽表現と感じます。

 

 

詩的に表現された歌詞

 私が気になったのは、"アカシアの雨"という比喩と、歌詞で”死にたい”という表現が登場している点です。

 

 主人公が「死にたい」と意思表示する作品は、当時のヒット曲ではあまり見かけません。どれだけネガティブな表現をしたとしても、明日も知れない命と、さすらい続ける人物像までです。

 

 しかし、この曲を聴いた後で、主人公の悲観的な心情に共感する気持ちはあまり芽生えてきません。それはイメージで詞が描かれているからだと思います。

 

 タイトルで前置きされている"アカシアの雨"という表現を見た時点で、実際の雨ではなく、"雨のように降り注ぐたくさんの花びら"をイメージします。

 

 恋に破れた女性は、その花吹雪のなかで”死にたい”と歌っていますので、通常の流行歌にあるような現実的な描写では無く、映画のシーンのような空想の世界を描いていると捉えてしまいます。

 

 最終的に、アカシアの雨がやんだとき、鳩になって?恋人を探しに行くという描写で終わります。

 

 詩のような歌詞なので意味を解釈する事が難しいですが、私は主人公の心の中のネガティブな気持ちが無くなり、生まれ変わった瞬間を表現している、と捉えて"希望"を歌っているように感じます。

 

 安保闘争から時間が経ち、当時の落胆から立ち直ろうとする心理に寄りそっているような歌詞と解釈もできますが…やはり60年安保と、この曲が結びついて語られる理由はよく分かりません(>_<)。誰が言い始めたのでしょう?

 

 

楽曲分析

 「バンドプロデューサー5」の分析では、「アカシアの雨がやむとき」はE♭メジャー(変ホ長調)です。

 

 用いられている音階は完全なヨナ抜き長音階です。

 

 

ヒット前とヒット後

 作品には全く関係はありませんが、「アカシアの雨がやむとき」は、初回ジャケットとセカンドジャケットで西田佐知子さんの表記が変わっています(下図)。

 

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  左が初回ジャケットで西田佐智子さんと印字されています。この表記の頃はヒット曲に恵まれておりません。

 

 "西田佐知子"さんに表記を変えた経緯は存じ上げませんが、レコード会社的に何らかの理由があったのだと思います。名前も運気を左右しているのかな?と感じてしまいます。

 

 

曲情報

1962年 年間2位(邦楽)

 

 

レコード

 発売元:日本グラモフォン株式会社

 品番:DJ-1062

 

 

 A面

  「アカシアの雨がやむとき」

  作詞:水木かおる

  作編曲:藤原秀行

  歌:西田佐知子(西田佐智子)

 

  ポリドール・オーケストラ

 

 

 B面

  「夜霧のテレビ塔」

  作詞作曲:萩敏郎

  編曲:大倉一太

  歌:原田信夫

 

  ポリドール・オーケストラ

 

 

参考資料

 「アカシアの雨がやむとき」レコードジャケット(1st、2nd)

 「刑事物語」レコードジャケット

 『ミュージックマンスリー』月刊ミュジック社

 『全音歌謡曲大全集3』全音楽譜出版社

 『歌謡曲の構造』小泉文夫

 「バンドプロデューサー5」