江利チエミさんの「さのさ」は昭和33年に発売されました。「さのさ」はもともと、江戸時代中期に流行した端唄のひとつのようです。
このヒット曲は、なぜか昭和歌謡の歌詞本に掲載される事がほとんど無く、ジャズ歌手の江利チエミさんが、なぜ日本の音楽を題材にしたのか?と、謎めいた特徴があります。
注)江利チエミ - トピックの動画
当時の資料から、この謎を探ろうと思います。
昭和33年に発売された「さのさ」は、その年の紅白歌合戦で歌唱され、翌年にヒットしました。
集計日付 | 順位 |
昭和34年1月 | 4位 |
昭和34年2月 | 3位 |
昭和34年3月 | 3位 |
昭和34年4月 | 2位 |
昭和34年5月 | 4位 |
昭和34年6月 | 3位 |
※『ミュージック・ライフ』日本吹込ポピュラー・レコード部門ランキング推移
昭和34年に再び流行した江戸端唄「さのさ」は、現代風にアレンジがされた新しいサウンドでした。バックで演奏するバンドは東京キューバン・ボーイズさんが担当されています。
江利チエミさんは、昭和27年にヒットしたデビュー曲「テネシー・ワルツ/家へ来なさいよ」以来、洋楽の日本語カバーを数多く吹き込んでおられた実績があるため、12年後の若者向け雑誌の『ミュージック・ライフ』のランキングでもポップス歌手に分類され、「さのさ」も集計対象作品と判断されたようです。
しかし「さのさ」を支持する年齢層は、雑誌がターゲットとする若者層向けでは無いように感じます。その空気を察して、雑誌社は途中で集計対象から外したのではないか?と感じます。
「さのさ」のヒットを受けて、同じ流れで「木遣くずし」が昭和35年に発売されましたが、『ミュージック・ライフ』には「木遣くずし」のヒットの推移は記載されていません。
一方『ミュージック・マンスリー』のランキングでは、「木遣くずし」がランクインしており、同時に「さのさ」が再びランクインしています。
ポップス系の歌手が歌う作品ながら、音楽性は歌謡曲に属する作品だったようです。昭和35年の5月にもランクインしているため、ロングヒットした作品であると思われます。
歌詞カードには“「チエミの民謡集」より”と記載されています。ずっと洋楽を歌ってきた方が、なぜ日本の伝統的な音楽を題材にしたのでしょうか?
ここからは推測ですが、「さのさ」が発売される1年前の昭和32年に、大変支持を得たLP盤「ホリディ・イン・ジャパン」の存在が影響していると考えられます。
リカルド・サントス楽団さんが、様々な国の民族音楽を演奏する作品として、「ホリディ・イン・~」シリーズを発売しており、日本の民謡・唱歌を題材にした「ホリディ・イン・ジャパン」や「ホリディ・イン・ニッポン」が日本ではヒットしました。
「海外のアーティストが日本の音楽を題材にするのなら、我々日本人も舶来の音楽スタイルで、民謡をアレンジをしてみよう!」という事で、キング・レコードの洋楽部門で活躍される方々によって、江利チエミさんの「さのさ」が企画されたのではないか?と考えます。
この流れに乗ったのかどうか、キング・レコードさんではペギー葉山さんの「南国土佐を後にして」も制作されました。
高知県民謡の「よさこい節」が歌の合間に挟まれる歌謡曲です。こちらも同時期にヒットしました。
「さのさ」は江戸時代の流行り唄であるためか、レコードジャケットには作詞・作曲者が記載されておりません。
歌詞を検索できるサイトで、この作品の歌詞を調べると、なぜか2番の歌詞がレコードに記載されている歌詞とは異なり、作詞者の名前も記載されています。
本来は作者不詳の俗謡であるため、JASRACでも信託状況が消滅(著作権切れ)しています。レコードに記載されている歌詞は下記のとおりです。
なんだ なんだ なんだネ
あんな男の 一人や二人
欲しくば上げましょ のしつけて
アーラとは言うものの
ネエ あの人は
初めてあたしが 惚れた人
乱れ髪 乱れ髪
顔に冷たく 二すじ三すじ
かかって淋しい この寝顔
アーラやつれさせたも
ネエ 僕故に
許しておくれよ 捨はせぬ
1番は女性、2番は男性の視点で作詞されているようです。江戸時代に流行った唄のようですが、言葉数が少なくても登場人物の心理が巧みに描かれている所が粋に感じます。江戸時代に多くの人たちによって歌われてゆく間に、歌詞が洗練されたようです。
曲情報
発売元:キング・レコード
品番:EB-129
A面
「さのさ」チエミの民謡集より
英題:SANO-SA
B面
「五木の子守唄」
英題:ITSUKI-NO KOMORIUTA
東京キューバン・ボーイズ
(指揮・見砂 直照)
此のレコードは第13回芸術祭参加作品「チエミの民謡集」におさめられたもので、チエミが新しい意欲に燃えて精魂を傾けた一枚です。
「さのさ」は所謂“江戸情緒”ともいうべくものをたっぷりと盛り込んだ明治時代の流行小唄で、又「五木の子守唄」は申し上げる迄もなく、九州熊本地方に古くから伝はる民謡です。
チエミの巧まざる唱法が、これらの素材を見事に生かし切って、新しい境地の開拓に成功しました。
このレコードは78回転盤(C-1667)と45回転盤(EB-129)の両方で発売しています。
参考資料
「さのさ」レコードジャケット
「南国土佐を後にして」レコードジャケット
『ミュージック・マンスリー』月刊ミュジック社
『ミュージック・ライフ 東京で1番売れていたレコード 1958~1966』株式会社シンコー・ミュージック・エンタテイメント
『ダンスと音楽』ダンスと音楽社
「バンドプロデューサー5」
「JASRAC作品データベース検索」