ヒット曲けんきゅうしつ

なぜヒットする?は証明できないと思います。誤字はちょっとずつ修正します。

「紀元二千六百年」(昭和15年)

f:id:hitchartjapan:20210714213827j:plain

五輪・万博のダブル開催が企画された年

 西暦1940年は、神武天皇が即位された年から数える暦(紀元・皇紀)では2600年にあたります。

 

 おそらく当時の日本では、西暦2000年を迎えた頃のミレニアム(千年紀)に近いお祝いムードがあったのだろう、と推測されます。

 

 戦争が始まり日常生活が非常時となって2年経過した世の中ですが、11月10日に紀元二千六百年式典NHKアーカイブスのニュース映画『紀元二千六百年輝く世紀の祝典』)という記念行事が行われています。

 

 

 明治以降に初めて迎える紀元の世紀(百年紀)である1940年には、戦争が始まる前から、政府が「特別な年にしよう!」と力を注いでいたようです。

 

 招致活動のおかげで、オリンピックが東京と札幌で開催され、万博も東京で行われる年になりました。

 

 しかし、中国と戦争状態となった1938年の時点で、「諸外国の理解は得られない」、「戦争に注力すべき」という考えからか、どちらも開催を返上しています。

 

 

 複数の国際的なイベントが計画されていた事は、現在でも斬新な事と感じます。

 

 「日本にとって1940年が、どれだけ特別な年であるか?」を示しているように感じます。

 

 

レコードでは「紀元二千六百年」が製作される

 地元の公園の近くで「紀元二千六百年を記念する石碑」を見かけた記憶があります。

 

 この石碑は全国各地に存在するようです。地元の小さな町にも石碑があった事を考えると、当然かも知れません。Googleで画像検索すると各地の石碑がヒットします(Google画像検索「紀元二千六百年 石碑」)。

 

 どうやら後世に語られる事の無い紀元二千六百年式典は、"形式的に行われたものではなく、全国的に祝賀ムードとなる式典だったのではないか?"と想像しています。

 

 令和天皇が即位された頃に似た盛り上がりがあったのかも知れません。

 

 

 流行歌では「紀元二千六百年」が制定され、複数のレコード会社から発売されました。

 

 私が持っているビクター盤には、日本放送協会(現在のNHK)・紀元二千六百年奉祝会が制定した"奉祝国民歌"と印字されています。

 

 


www.youtube.com

注)YouTube に使用を許可しているライセンス所持者 Victor Entertainment, Inc.

 

 

 紀元は、明治政府が制定しています。そのため、江戸時代以前の日本では、多くの人が認識していなかった暦ではないか?という想像もしています…(^^;A。

 

 

純粋な奉祝歌ではない?

 「紀元二千六百年」で歌われる主題は、"長きにわたって受け継がれる天皇家を祝う気持ち"だけのはずです。

 

 もしそうだったならば、令和ブームとなった2019年に、「紀元2700年(令和22年)に向けて、さらなる歴史が刻まれる事を願う」という趣旨で、この作品が顧みられても差し支えないと思うのですが、"無かった事"とされている印象があります。

 

 この理由は、「紀元二千六百年」の歌詞に、当時の戦争の大義である「新しいアジアを築こう!」という趣旨が盛り込まれているからだと解釈しています。

 

 当時の有名曲では"興亜"という言葉で登場する事もあります。

 

 「出征兵士を送る歌」(1939年発売)や「そうだその意気」(1941年発売)、「加藤部隊歌(加藤隼戦闘隊)」(1943年発売)と、現在で言う軍歌に該当する作品で頻繁に登場する印象があります。

 

 戦争の大義名分の為に皇室を利用する時の権力者・・・。歴史ドラマでは、"錦の御旗=正義の象徴"として描かれるシーンがありますが、昭和初期の太平洋戦争の頃も続いていたのでしょうか?

 

 国民の愛国心を奮い起こす目的だったのでしょうが、その企みによって軍国主義と天皇制が結びついてしまったように思います。

 

 残念ながら敗戦後、GHQによって封印され、歌い継がれなくなってしまったと思います。

 

 

空襲が行われるまでの戦時下の世相

 国民生活を国が統制できる国家総動員法が公布された戦時下には、国民に向けた標語が製作されています。

 

 戦争の長期化で物資不足となり、切符制・配給制が始まった頃に「ぜいたくは敵だ!」(1940年)や「欲しがりません勝つまでは」(1942年)という標語が作られています。

 

 後世に語り継がれた標語ですが、おそらく、現在のコロナ禍での「三密を避けましょう」のように、行政が発信したメッセージが注目を集めたのだろう、と考えています。

 

 紀元二千六百年式典が行われた直後の11月15日には、「祝い終ったさあ働こう!」という標語が発表されたようです。

 

 実際に「よし!頑張って働こう!」と思った人がどれくらいいたのか?は不明です。

 

 

 以前にも書きましたが、「紀元二千六百年」は替歌が作られています。

 

 ♪金鵄上がって15銭 栄えある光30銭・・・という歌詞ですが、これは1943年1月に行われた煙草の値上げ価格が歌われています。

 

 数年後も記憶に残るくらいヒットした、という事でしょうか…(^^;A。

 

 後世に語られる事が少ない戦時中ですが、想像していたよりも、日常生活は損なわれていないように感じてしまいます。

 

 

 戦争の悲惨さは義務教育で習いましたが、太平洋戦争末期(1944~1945)に行われた大都市への空襲や広島・長崎への原爆投下という無差別爆撃、本土上陸の沖縄戦で学ぶ事が多かったです。

 

 赤紙(召集令状)も、この戦争末期に多く発行されていたのではないか?と思います。一般人を徴兵しないといけないくらい戦力が弱っていたと推測されるからです。

 

 おそらく1944年に空襲が行われるまでは物資不足が生活を制限する時代で、現在のマスクをしなければ外出できないような窮屈な日常は、当時の世の中の空気に似ているのだろうと想像しています。

 

 

曲情報

 発売元:日本ビクター株式会社

 品番:J-54726

 

 A面

  「紀元二千六百年」

  編曲:深海善次

  歌唱:徳山璉、波岡惣一郎、四家文子、中村淑子

  伴奏:日本ビクター管弦楽団

 

  紀元二千六百年奉祝会・日本放送協会制定

 

 B面

  「紀元二千六百年(行進曲)」

  編曲:深海善次

  演奏:日本ビクター管弦楽団

 

 

参考資料

 「想い出の戦前・戦中歌謡大全集9」CD

 『日本流行歌史(中)1938~1959』社会思想社