流行時期(いつ流行った?)
長渕剛さんの「GOOD-BYE青春」は、昭和58年(1983年)にヒットしました。
オリコンランキングによると、9月に発売されたレコードは、10月下旬から11月下旬にかけてヒットしています。
注)Tsuyoshi Nagabuchi 公式アーティストチャンネルの動画
同時期に流行った曲(昭和58年10月下旬~11月下旬)
杏里さんの「キャッツ・アイ」や松田聖子さんの「SWEET MEMORIES」が首位となっています。
男性アイドルの人気も高く、シブがき隊さんの「挑発∞」や近藤真彦さんの「ロイヤル・ストレート・フラッシュ」、田原俊彦さんの「エル・オー・ヴィ・愛・N・G」がヒットしています。
秋元康さんの作詞?
「GOOD-BYE 青春」は、秋元康さんが作詞されています。秋元康さんにとっては、この年の初めにヒットした稲垣潤一さんの「ドラマティック・レイン」が初ヒット曲です。「GOOD-BYE青春」は2作目のヒット曲になります。
しかし、歌詞カードには「秋元康 作詩 長渕剛 補作詩・作曲」と印刷されています。そのため、完全に一人で仕上げたのではなく、歌詞の骨格は秋元康さんが描き、長渕剛さんがその世界を広げるような歌詞に仕上げたような印象を受けます。共同作業で製作された印象を受けます。
秋元康さんが、シンガーソングライターの長渕剛さんの作品で作詞をされたきっかけは、この曲がTBSテレビドラマ「家族ゲーム」のテーマ曲として企画された作品だったからかも知れません。
長渕剛さんの楽曲をドラマ主題歌に起用するのではなく、ドラマのイメージに合った作品を表現できる歌い手は長渕剛さんが最適と判断して、ドラマ製作陣からアプローチされて生まれた作品かも知れません。
後年、作詞家としてヒット曲の世界で活躍される秋元康さんですが、携わった作品でたまに垣間見える「誰かが悪いというわけではない。(誰のせいでもない)」というフレーズがこの作品で登場しています。
声を変えた長渕剛さん
長渕剛さんは、昭和55年(1980年)に「順子」が大ヒットしています。この時期の声は、線の細いきれいな印象を受けます。それが7年後の昭和62年の「ろくなもんじゃねぇ」の頃には、つぶれたような男性的な歌声に変化しています。
「GOOD-BYE青春」の時点で、独特の歌声に変化している事が分かります。
最近のアーティストの方では見かける事が無くなりましたが、長渕剛さんは自らが表現したい音楽とご自身の歌声が合わないと感じて、わざと声をつぶされたと見聞きした事があります。
たしかに「GOOD-BYE青春」で描かれる心の葛藤は、「順子」の歌声ではきれいすぎるので、当時の歌声のままでは表現しきれない心情が描かれていると感じます。
秋元康さんの作詞になっていますが、この作品の価値観は、後年の長渕剛さんの作品で描かれる、想いが伝わらない相手に対して激しくこみ上げる感情をわずかに感じる事ができます。
楽曲分析
「GOOD-BYE青春」はG♯マイナー(嬰ト短調)です。
楽譜を見るととても分かりやすいですが、歌い出しのメロディは自然的短音階を1音ずつ順番に下がっていくメロディになっています。
シンプルなメロディで耳に残りやすいですが、たたみかけるように歌われる歌詞も同時に印象に残る作品になっています。
ただ、歌詞が印象に残るといっても断片的なフレーズです。歌詞は主人公の内面を掘り下げるような具体的な表現がされておらず、ニュアンスで伝えようとする作風のためです。フィーリングは感じますが、後年の長渕剛さんの作品で感じられるような深い共感はあまり得られないように感じます。
曲情報
発売元:東芝EMI株式会社
品番:ETP-17538
A面
「GOOD-BYE青春」
作詩:秋元康
補作詩・作曲:長渕剛
編曲:瀬尾一三
演奏時間:3分24秒
B面
「-100°の冷たい街」
作詩・作曲:長渕剛
編曲:瀬尾一三、長渕剛
演奏時間:4分50秒
参考資料
「GOOD-BYE青春」レコードジャケット
「you大樹」オリコン
『全音歌謡曲大全集6』全音楽譜出版社
「バンドプロデューサー5」