人気浪曲師・二代目吉田奈良丸
「奈良丸くずし(ならまるくずし)」は、大正2、3年(1913、1914年)頃に流行しました。
タイトルの「奈良丸」は人名で、浪曲師の二代目吉田奈良丸(よしだ ならまる)さんの事です。
「〇〇くずし」は「一般の人でも歌えるように、本家を簡単なバージョンにアレンジする意味」と思います。
おそらく奈良丸さんの浪花節は、ついつい模倣したくなるような節回しだったのだろうと想像します。
注)美空ひばり 公式YouTubeチャンネル 公式アーティストチャンネルの動画
「奈良丸くずし」は、現代では赤穂浪士の討ち入りの歌詞で歌い継がれています。
♪松の廊下の 入り口で
♪上野(こうずけ)待ったと 斬りつけりゃ
♪加古川本蔵(かこがわほんぞう)が 抱きとめる
♪武士の情けじゃ そこ放せ
♪笹や笹笹 笹や笹
♪大高源吾は 橋の上
♪水の流れと 人の身は
♪明日待たるる 宝船
♪山と川との 合言葉
♪引かば返さぬ 桑の弓
♪四十七士が 月雪の
♪なかや命の 捨てどころ
大正時代に流行した頃、二番の「笹や笹笹~」が有名で「笹や節」と表記する書籍があります。
『近世俚謡歌曲集』には(大正節ともいふ、浪花節隆盛期の影響をうけたる曲)と補足が記載されています。
「大正節」のタイトルは、明治ではなく大正になってから流行した事を証明している印象です。
明治後期から大正初めの浪花節ブーム
「奈良丸くずし」が流行した時期は、すでに浪花節(浪曲)がブームになっていました。
「奈良丸くずし」の前に、初代三河屋円車(みかわや えんしゃ)さんの「どんどん節」も流行しています。
(大正時代では「浪曲」ではなく「浪花節」と表記するのが一般的だったようです。)
浪花節ブームのきっかけは、吉田奈良丸さんや三河屋円車さんよりも前に活躍していた桃中軒雲右衛門(とうちゅうけん くもえもん)さんです。
浪曲の心情を強調する表現技巧がわざわいしてか、文化として認められるのに時間が掛かったようです。
浪花節を他の演芸と同じように認められるくらい昇華したのが桃中軒雲右衛門さんです。
新しい表現が世間に受け入れられるまでに時間が掛かるのは、昭和・平成での漫画・アニメや令和のボカロに似ていて、明治の浪曲も認められるまで長く苦しい時期があったのだろうと思います。
(・・・余談ですが、浪曲出身の流行歌手である村田英雄さんの師匠が酒井雲さん、その酒井雲さんの師匠が桃中軒雲右衛門さんになります。)
浪花節の立役者である雲右衛門さんで「雲右衛門くずし」が生まれなかった理由は、単純に普通の人が真似できない声質や歌唱力の持ち主だったからだろうと想像しています。
浪花節ブームは東京で?
浪花節というと大阪を連想してしまいますが、まだラジオ放送が無かった大正時代の東京で浪花節ブームが起きていたように想像します。
吉田奈良丸さんには面白いエピソードがあります。
東京進出する際に「日本一の吉田奈良丸が東京に!」と宣伝したために、「じゃあ私は日本二と言いたいのですか?」と同業者のひんしゅくを買った事が話題となりました。
奈良丸さんサイドは「自称ではなく、推しの方にそうお褒め頂いて肩書にしています。無下に撤回もできません」という立場を取ったそうです。
桃中軒雲右衛門も東京で活躍されており、奈良丸さんの騒動が話題となるくらい、浪花節が東京でブームとなっていた事が伺えます。
「ラッパ節」から「奈良丸くずし」へ
明治時代の流行歌には、【過去の流行歌が変形して、新しい流行歌に生まれ変わるパターン】があります。
「かんかんのう」が「梅が枝の手水鉢」になって、「法界節」から「さのさ」になって「むらさき節」に・・・と記述された文献を見た事があります。
(個人的に「梅が枝の手水鉢」から「法界節」は飛躍しすぎな気もします。「かんかんのう」から「法界節」なら理解できます。)
それと同じ事が「奈良丸くずし」でも記述されています。
「抜刀隊の歌」が「ノルマントン号沈没の歌」になって、「ラッパ節」から「奈良丸くずし」になって「青島節」に・・・の流れです。
この変遷は突然変化するのではなく、試行錯誤が行われた結果の可能性が高いです。
実は「ラッパ節」と「奈良丸くずし」の間にも、流行らなかった「スタタ節」という作品があります。
「ラッパ節」は♪トコトットットのオノマトペで、
「スタタ節」は♪タタタスタタのオノマトペに変わっています。
"トコトコ歩く"から"スタスタ歩く"に変化している点が興味深いです。
なぜそのような事をしたのか?
実は「大高源吾」の歌詞は「ラッパ節」の頃に誕生しています。
大正人A「でも、討ち入り前日の冬の橋の上でトコトットットでは合わないよね」
大正人B「たしかに。トコトコよりスタスタだよね」
大正人C「最近は浪花節も流行ってるし『赤穂義士伝』のフレーズも足してもっと雰囲気出してみようよ」
のような試行錯誤が行われた結果、「奈良丸くずし」のメロディにたどり着いたのだろうと推測しています。
参考文献
『流行唄変遷史』藤沢衛彦(1914年)
『流行歌明治大正史』添田唖蝉坊(1933年)
『近世俚謡歌曲集』東京上野音楽会 編 盛林堂(1915年)