流行時期(いつ流行った?)
チェリッシュさんの「なのにあなたは京都へゆくの」は、昭和47年(1972年)にヒットしました。
オリコンランキングによると、昭和46年9月初めに発売されたレコードは、年が明けた昭和47年1月にヒットしています。
最高順位はそれほど高くなく、浅く長いロングセラーの流行を記録した作品です。
同時期に流行った曲(昭和47年1月)
欧陽菲菲さんの「雨の御堂筋」、平田隆夫とセルスターズさんの「悪魔がにくい」が首位となっています。
天地真理さんの「水色の恋」、小柳ルミ子さんの「お祭りの夜」と、女性アイドルの作品の存在感が増し始めた時期ですが、この段階ではフォーク系の作品の方が人気のようです。
上条恒彦+六文銭さんの「出発の歌」がヒットし、ペドロ&カプリシャスさんの「別れの朝」がヒットし始めた時期です。
フォーク系の作品ではグループが発表された作品が目立ちます。チェリッシュさんもグループです。
洋楽では、ポップ・トップスさんの「マミー・ブルー」、カーペンターズさんの「スーパースター」がヒットしています。
チェリッシュさんのデビュー曲
チェリッシュさんの作品を聴くと、フォーク系の歌手が表現しようとする世界観を連想します。しかしフォークグループと定義されていません。
それは、この作品以降、筒美京平さんや馬飼野俊一さんといった作曲家の方々が作られた歌で人気になられた事が理由だとに考えられます。
「なのにあなたは京都へゆくの」は、チェリッシュさんのメンバーが作曲されたヒット曲です。この作品はフォークに該当すると考えます。
以後のヒット曲も、チェリッシュさんが表現しようとした世界を下敷きにしているような作品ばかりですので、作品の内容で考える私は、どうしてもフォークグループと解釈してしまいます…。
チェリッシュさんはボーカルの歌声が、グループの最大の個性と捉えています。それは、聴き手に悲しみを感じさせる声質を持っておられる事です。
“悲しみ”といってもシリアスな心理ではなく、少し心が傷ついた時の心情を描くのにピッタリの歌声であるという印象です。
悲しさを歌った作品は色々ありますが、当時の流行歌手には、チェリッシュさんのように、聴き手をセンチメンタルな心情に共感させるような声をお持ちの方はおられません。
長いタイトルも印象的
歌詞では「恋人の私がいる土地を離れて、遠い街へ旅立ってしまう恋人に対する想い」が、1番から3番まで一貫して表現されています。
最初から最後まで、ずっと「私よりも京都を選ぶの?」と繰り返されており、タイトルにまでしておりますので、主人公は恋人の打ち明け話を聞いて、かなりショックを引きずっていると想像できます。
また、恋人が何の理由で京都へ向かうのかは歌われていません。大学に通うための下宿なのか、夢を叶えるためなのか、実は恋心が冷めているからか、理由は聴き手の想像にゆだねられています。
どのような理由であれ、心の奥で「私を選んでほしかった。」と思う主人公の心理、残された恋人の傷ついた心情は聴き手に伝わります。
恋人から「この街を離れて、別の街で生活する事になった。」と告げられた直後の場面が描かれているかも知れません。
相手の気持ちを受け止める余裕もなく、突然の別れの悲しみに傷ついた心を、頭の中で整理しようとする心理も伺えます。
この、ひとりでモヤモヤとする心情を表現する際に、ボーカルの歌声が本当にピッタリだと感じます。
後々、チェリッシュさんの作品を手掛けられた作詞家や作曲家の方々も、「なのにあなたは京都へゆくの」をベースにして、チェリッシュさんが表現できる世界を広げるような作品を意識して製作されたのだろう、と感じます。
楽曲分析ほか
「なのにあなたは京都へゆくの」は、Gマイナー(ト短調)です。
楽曲の内容ではありませんが、チェリッシュさんの歌詞カードは、なぜか黒背景に白文字で歌詞が印刷されています。
「背景を黒で塗りつぶすと、インク代がかさむのでは?」と感じるのですが、チェリッシュさんが表現する音楽が独特の世界観を持っている事、他の歌い手の作品とは異なる事を、視覚的に主張する狙いがあったのかも知れません。
レコード会社が、チェリッシュさんを売り出そうとする戦略だったのかな?と、ぼんやりと考えています。
曲情報
発売元:日本ビクター株式会社
品番:SF-8
A面
「なのにあなたは京都へゆくの」
作詞:脇田なおみ
作曲:藤田哲朗
編曲:馬飼野俊一
演奏時間:3分17秒
B面
「今ならあなたと」
作詞・作曲:奥山敬造
編曲:馬飼野俊一
演奏時間:3分20秒
参考資料
「なのにあなたは京都へゆくの」レコードジャケット
「you大樹」オリコン
「バンドプロデューサー5」