流行時期(いつ流行った?)
仲雅美さんの「ポーリュシカ・ポーレ」は昭和46年(1971年)にヒットしました。
オリコンランキングによると、8月初旬に発売されたレコードは、9月下旬~12月中旬にかけて、3ヶ月の間ヒットしました。
同時期に流行った曲(昭和46年9月下旬~12月中旬)
小柳ルミ子さんの「わたしの城下町」、湯原昌幸さんの「雨のバラード」、欧陽菲菲さんの「雨の御堂筋」が首位を獲得している時期にヒットしています。
小柳ルミ子さんは「お祭りの夜」もヒットしており、堺正章さんの「涙から明日へ」、南沙織さんの「潮風のメロディ」と若手歌手の作品が目立ち始めた時期です。
演歌・歌謡曲では、五木ひろしさんの「長崎から船に乗って」や内山田洋とクールファイブさんの「港の別れ唄」がヒットしています。
洋楽では、ビー・ジーズさんの「小さな恋のメロディ(メロディ・フェア)」、ミッシェル・ポルナレフさんの「シェリーに口づけ」、チェイスさんの「黒い炎」がヒットしています。
当時人気のドラマ主題歌?
B面の「苦しき夢」には、『TBSテレビ「冬の雲」より』と印字されています。おそらく当時人気だったドラマと推測されます。
検索すると「冬の雲」は映画監督の木下恵介さんのプロダクションが製作されたドラマのようです。(参考URL・木下恵介生誕100年:https://www.cinemaclassics.jp/kinoshita/kinoshita_100th/content/tv.html)
中には、あおい輝彦さんの「二人の世界」が主題歌となっている作品もあり、当時かなり人気を集めていたシリーズと推測されます。
A面の「ポーリュシカ・ポーレ」が実際にドラマで用いられていたかどうか?は分かりませんが、ドラマの人気からレコードもヒットしたようです。
上記のサイトでは、『冬の雲』は8月で放送が終わっています。オリコンと照らし合わせると、どうも番組が終了してからレコードがヒットしているようです。
日本で流行ったロシアの作品
ロシア民謡は日本人にも共感を得やすい作品が多いように感じます。
1950年代末にダーク・ダックスさんの歌う「ロシア民謡集」がヒットしており、1960年代初めに誕生した歌声喫茶で人気となった「山のロザリア」が、スリー・グレイセスさんや井上ひろしさんの盤でヒットしています。
洋楽では、ケニー・ボールと彼のジャズメンさんの「モスコーの夜はふけて」やアル・カイオラ楽団さんの演奏する「カチューシャ」、スプートニクスさんの「霧のカレリア」と、演奏のみの作品でロシア民謡のメロディが用いられた作品が目立ちます。
ロシア民謡は、主に60年代前半に支持を集めている印象があります。それから10年後に「ポーリュシカ・ポーレ」がヒットしています。
この作品は60年代には登場しなかったテンポが早めの作品です。当時の人達は、ロシア民謡のブームが過ぎても、ロシアの音楽に対する関心を持ち続けていたのかも知れない、と考えたりもします。
楽曲分析
「ポーリュシカ・ポーレ」はB♭マイナー(変ロ短調)です。ポーレというのは草原という意味のようです。
タッタカタッタカと馬が草原を走るようなリズムで始まりますが、このリズムが最後まで刻み続けられています。
この作品を聴いて「ロシアの音楽だ」と感じる理由をうまく説明できません。ロシア民謡の特徴である男性コーラスは後半になって盛り上がって来ますが、出だしのフレーズを聴いただけで、日本的ではないメロディを感じます。
使用されている音階は自然的短音階です。和声的短音階になっている部分がわずかにあります。別にロシア特有の音階ではありません。
ただ、コード進行は珍しく、Ⅰm→Ⅴm(ところどころでⅤ7)の繰り返しだけで作られています。このコード進行が、聴き手に「ロシア民謡だ」と感じさせる、民族音楽らしさを引き出しているかも知れません。
イントロも間奏も、同じメロディが延々と繰り返される作品です。そのため、終盤は半音上がっているのかと思ったら、B♭マイナーのままです。
曲の終わりが近づくにつれて、合唱団が雰囲気を盛り上げてきますが、半音上げなくても聴き手を高揚させる演出がされていると感じます。
曲情報
発売元:日本ビクター株式会社
品番:SV-2196
A面
「ポーリュシカ・ポーレ」
作詞:橋本淳
作曲:レフ・コンスタンチノヴィチ・クニペル
編曲:近藤進
ビクター・オーケストラ
B面
「苦しき夢」
作詞:門馬直衛
ドイツ民謡
編曲:馬飼野康二
ビクター・オーケストラ
TBSテレビ「冬の雲」より
参考資料
「ポーリュシカ・ポーレ」レコードジャケット
「you大樹」オリコン
『全音歌謡曲全集20』全音楽譜出版社
「バンドプロデューサー5」