流行時期(いつ流行った?)
青山ミチさんの 「ミッチー音頭」は昭和38年にヒットしました。当時の音楽情報誌『ミュージックマンスリー』の月間ランキングによると、最もヒットしたのは、昭和38年6月のようです。
<『ミュージックマンスリー』歌謡曲部門のランキング推移>
集計日付 | 順位 |
昭和38年4月 | 18位 |
昭和38年5月 | 14位 |
昭和38年6月 | 11位 |
昭和38年7月 | 19位 |
最高順位が11位であるため、それほどヒットしていないかも知れません。しかし、タイトルを見ただけで、一度聴いただけで印象に残る作品であるため、当時を知っておられる方々にとっては、記憶に残った作品と思われます。
「〇〇音頭」
タイトルの「ミッチー音頭」のミッチーは、歌っている青山ミチさんの愛称と思われます。自身の愛称を冠した作品が企画されるという事は、当時はかなりの人気者だったと推測されます。
「〇〇音頭」と、同じ様なタイトル作を企画したのは、坂本九さんの「九ちゃん音頭」(昭和36年)とオバQの「オバQ音頭」(昭和41年)だけです。
10数年後に「デンセンマンの電線音頭」(昭和52年)も登場しますが、これはパロディで作られた作品と思われます。
どちらも、若い世代に支持され、国民的な人気を得ていたアイドルだったから受け入れられてヒットしたと思います。
しかし、青山ミチさんの作品で『ミュージックマンスリー』のランキングに登場したのは「ミッチー音頭」のみで、九ちゃんやオバQに匹敵する活躍の痕跡を見つける事ができません。
テレビ番組でご活躍されていたのかも知れませんが、当時を知らない私にとっては、「ミッチー音頭」が突然ヒットチャートに登場した印象を受けてしまい、"どうして人気を集める事が出来たのか?"が分からない作品になっています。
パンチの効いた歌唱
「ミッチー音頭」を聴いて印象に残るのは、青山ミチさんの歌唱です。よく通る声の質、声量のある発声が特徴です。
青山ミチさんは新鮮さを感じる歌手と思いますが、当時、すでに似たような歌唱表現をされる弘田三枝子さんが活躍されていました。
青山ミチさんは、弘田三枝子さんと同じ洋楽の日本語吹き込みであるカヴァー・ポップス歌手として活躍されており、『ミュージュック・ライフ』のランキングでは、「ヴァケイション」や「恋はスバヤク」がランクインしています。
しかし、「ヴァケーション」は弘田三枝子さん盤が最も支持を集めており、「恋はスバヤク」は、集計対象の定義が限定されたランキングであるため、当時ヒットしたかどうかの判断材料としては信ぴょう性に欠けるため、どちらもヒットしていないと思われます。
「ミッチー音頭」の個性
「ミッチー音頭」は『ミュージュック・ライフ』のランキングに掲載されていますが、途中で“この作品はポップス作品とは言えない”という理由で、ランキングの集計対象外の作品として扱われたような印象を受けます。
カヴァー・ポップスの世界では、弘田三枝子さんが活躍されていましたので、青山ミチさんが同じ作品を日本語カバーしても支持を得にくかったと思います。
その事を考慮した日本グラモフォンさんが、「洋楽の日本語カバーでは、適わないからオリジナル作品を作ってみたらどうだろう?」と企画されたのかも知れません。
この時期にヒットした弘田三枝子さんの作品は、全て洋楽のカバーで、オリジナル曲は「人形の家」(昭和44年)まで登場しませんでした。
似たような音楽表現をするライバル企業の歌手がしていなかった事を企画した事で、青山ミチさんにとって初のヒット曲が誕生したように推測されます。
そして、自社の歌手の売り出しを前面にアピールするために、歌手の愛称をタイトルに用いたのかも知れません。
日本人が作曲した作品であるため、洋楽カバーに比べて歌謡曲っぽいサウンドに感じますが、青山ミチさんの歌唱が活きていると感じる作品です。
「バンドプロデューサー5」の分析では、「ミッチー音頭」はEメジャー(ホ長調)です。
曲情報
発売元:日本グラモフォン株式会社
品番:DJ-1334
A面
「ミッチー音頭」
作詞:岩瀬ひろし
作曲:伊部晴美
編曲:伊部晴美
演奏時間:3分19秒
コーラス:ナイト・ビーツ
前田憲男とウェストライナーズ
B面
「いたずらなミッチー」
作詞:若山かほる
作曲:伊部晴美
編曲:伊部晴美
演奏時間:3分1秒
コーラス:ナイト・ビーツ
前田憲男とウェストライナーズ
参考資料
「ミッチー音頭」レコードジャケット
『ミュージックマンスリー』月刊ミュジック社</p
『ミュージュック・ライフ 東京で1番売れていたレコード 1958~1966』澤山博之 監修・著
「バンドプロデューサー5」