昭和50年代は、テレビから発信される娯楽が大いに流行した時代です。レコード業界では、“アイドル”という定義で、若者向けのジャンルを確立しましたが、テレビや雑誌等、他のメディアでも、発信する対象を若者に方向転換した時代だったのかも知れません。
この大きな流れは、様々な変化をレコード業界にもらたしました。今回はその流れで生まれた作品に注目したいと思います。
歌手ではない漫才師のザ・ぼんちさんが歌う「恋のぼんちシート」です。
昭和56年元旦に発売されたこの作品は、1月末から3月初めにかけてヒットしました。
異なる業種の方が歌うレコードがヒットする現象は古くから存在し、この勢力が拡張したのはアイドルの登場が大きな影響を与えていると思います。昭和50年代以降は、プロの歌手ではない作品が、かなり目立つようになりました。
この現象は若者向けのポップスだけではなく、歌謡曲系の作品でも発生しました。歌謡曲は年齢層が異なるジャンルですが、こちらはカラオケの普及によるものと考えられます。
こういったレコードがヒットする背景には、当時の日本では、“聴く”ではなく、“歌う”需要が再び求められた事によるものだと考えます。
海外では、“プロの歌手の作品を歌うというのはおこがましい”、という価値観が存在するようですが、日本の文化では、プロの作品を歌うという行為に抵抗は無く、プロ・アマの線引きは全く感じられません。
昭和以前の歴史は勉強不足ですが、江戸時代の芝居小屋というのは、西洋でいうミュージカル的な舞台やコンサートのステージを鑑賞する、という認識ではなく、見世物であり、プロと素人の距離が近かったのかもしれません。演者の社会的地位が海外とは異なる事に由来しているのだと感じます。
そういった経緯で、日本人にはプロの技術を真似るのが好きな国民性を持っている、と捉えています。
「恋のぼんちシート」がヒットチャートに登場したのは、テレビ業界で誕生した漫才ブームの存在があります。
約3カ月に1度のペースで放送された『THE MANZAI』という番組が、昭和55年~57年の間にテレビに登場し、出演者は若者に大きな支持を得ました。ザ・ぼんちさんは昭和55年の7月に放送された回から出演されたようです。
「恋のぼんちシート」のレコード発売が5か月後ですので、ザ・ぼんちさんは、当時の視聴者に相当なインパクトを与えた漫才師だったと推測されます。
この作品の何が面白いかというと、歌のようで歌では無いからです。どちらかというと、オープニングや間奏に交わされる2人の会話が印象に残ります。
この会話は、作品をプロデュースされた近田春夫さんによる脚本ではなく、ザ・ぼんちさんがネタ作りの打合せをして出来上がったものだと感じます。
歌だからといって、無理をしていると感じが無く、会話の間というか、呼吸が合っているというか、本業の持ち味が生きている、と感じるからです。
このレコードには歌詞が掲載されておりません。歌詞カードにも、「山本さん!このレコードには歌詞がついてないんですか?」「そ~うなんですよ!川崎さん。このレコードはA地点からC地点へ行く間になんと歌詞が消えたんですね!!」と記載されています…。
歌詞を掲載しないレコードは、コミックソングでは一般的な手法のようです。あのねのねさんの「赤とんぼの唄」(昭和48年)、平野雅昭さんの「演歌チャンチャカチャン」(昭和53年)も歌詞は掲載されていません。
おそらく、お笑いの専門家が最も注意を払うであろう、その時その時で変化する舞台の雰囲気に応じてアドリブを加える事を尊重し、吹き込んだら同じ事しか言わないレコードには、あえて歌詞を掲載しない、と考えます。
バンドプロデューサーの分析では、「恋のぼんちシート」はC#(嬰ハ長調)。漫才と同様にテンポの速い作品で、歌と漫才が融合しており、歌から2人のセリフに変わった際も、全く違和感を覚えない作品です。
本業での個性が、レコードでもきちんと表現されていると感じる作品です。
曲情報
発売元:フォーライフレコード
品番:7K-11
A面
「恋のぼんちシート」
英題:LOVE IS THE BONCHISHEET
B面
「オーバーチュア・海」
英題:PRELUDE DE DEA
昭和56年1月1日発売特急便扱昭和55年12月12日録音吉本興業承認済
特集 ザ・ぼんち
恋のぼんちシート
オーバーチュア・海
I LOVE NEW BONCHI
山本さんV.S.川崎さん
研究 ポチのゆくえ
巻末特集 王様の耳はロバの耳
特別企画 ぼんちのアレ!!
参考資料
「恋のぼんちシート」レコードジャケット
『オリコンチャート・ブック アーティスト編全シングル作品』オリコン
「you大樹」オリコン
「バンドプロデューサー5」