『ダンスと音楽』のヒットチャートによると、ジョー・スタッフォードさんの「霧のロンドン」は、日本では昭和32年(1957年)にヒットしました。SP盤のランキングでは、4月から6月にかけて2位を記録しています。
『ダンスと音楽』SP盤ランキング推移
集計月 | 順位 |
昭和32年3月 | 5位 |
昭和32年4月 | 2位 |
昭和32年5月 | 2位 |
昭和32年6月 | 2位 |
昭和32年7月 | 3位 |
昭和32年8月 | 5位 |
昭和32年9月 | 9位 |
昭和32年10月 | 16位 |
この時代の洋楽のヒット曲は、曲名がレコード発売当時の表記で確定されていない事が多いです。「霧のロンドン」というタイトルで発表されたこの作品も、現在では「霧のロンドン・ブリッジ」というタイトルで浸透しているようです。
原題が「ON LONDON BRIDGE」ですので、「霧のロンドン・ブリッジ」の方が内容に一致しており、良いと思います。
商品名ともいえる曲名が、後の世で訂正・変更される事は意外に感じます。当時のレコード会社は、海外の新曲を大急ぎで商品化していたために、曲名の和訳がおろそかになっていたのだろう、とも感じます。
「オン・ロンドン・ブリッジ」と、カナ表記のままにせず、なぜか“ブリッジ”を省いて“霧の”を加えて「霧のロンドン」とする、微妙なさじ加減が面白く感じます。ロンドンと言えば、橋ではなく霧の都というイメージがあったのでしょうか。
聴き手にとっては、ラジオやテレビから流れてくるメロディが耳に残ったとしても、よほど好きでない限り、自分から調べて知る事はありません。「あの歌の曲名ってなんだっけ?」程度ですので、別に後々曲名が変わっても問題はありません。
「霧のロンドン(霧のロンドン・ブリッジ)」は、初めて聞いた時に、「当時ヒットしたのだろうなぁ。」と感じる作品です。
イントロの男声コーラスを聴いた時点で、作品が表現する世界を感じる事ができますが、それよりもリズムがタータ、タータとスイングしているからかもしれません。楽しい気持ちにさせてくれるリズムです。
聴いているだけでは英語詞の意味も分かりませんので、何を歌っているのか知りませんし、歌いだしのメロディが耳に残えるのはなぜか、それを何故良いと感じるのか?を説明できません。しかし、聴く人の気持ちを惹きつける魅力を持つ作品であると感じます。
バンドプロデューサーの分析では、「霧のロンドン(霧のロンドン・ブリッジ)」はA♭メジャー(変イ長調)、終盤は半音上がってAメジャーになります。音楽的な事は調性しか分析出来ていませんが、新しい事が判明すれば、内容を加筆していきます。
曲情報
発売元:コロムビア・レコード
品番:LL-51
A面
「霧のロンドン」
英題:ON LONDON BRIDGE
唄:ジョー・スタッフォード
JO STAFFORD with PAUL WESTON & his Music From Hollywood
B面
「お気に召すまゝ」
英題:YOU DON'T OWE ME A THING
唄:ジョニー・レイ
参考資料
「霧のロンドン」レコードジャケット
『ダンスと音楽』ダンスと音楽社
「バンドプロデューサー5」