記憶に残りやすい単純なメロディ
"権兵衛が種まきゃカラスがほじくる"というフレーズは割と有名と思いますが、世間に広めたきっかけであろう「ズンベラ節」は流行時期が明確ではありません。
おそらく【特定の時期に大流行しなかった事】が理由に考えられます。
もしヒットチャートがあったならば【トップテン入りしないものの、低い順位で支持され続けたロングセラー】だったのだろうと想像します。
♪権兵衛が種まきゃ カラスがほじくる
♪三度に一度は 追わずばなるまい
♪ズンベラ ズンベラ
注)【三味線】藤本秀統の動画
注)『近世俚謡歌曲集』より
"ごんべがたねまきゃ"の2小節を4回繰り返すだけの歌(上図)。
子供もすぐに覚えて歌えそうです。
タイトルの下に「これにも滑稽なる舞踊あり」と記載されています。
宴会の余興みたいな感じで【踊る際のBGM扱い】という役割も持っているようです。
桑茶政策に対する不満が歌われた?
「ズンベラ節」には不思議な歌詞も残っています。
♪巣をばかられて トンビとカラス
♪これでは東京を たたずばなるまい
♪ズンベラ ズンベラ
・・・なぜ東京を離れないといけないのでしょうか?
維新後、幕府が無くなったので大名屋敷は不要となり、新政府が取り上げました。
大名屋敷は東京のかなりの面積を占めていて管理も大変だったためか、「大名屋敷だった土地を、桑や茶の葉を育てる畑に作り変えましょう!人材募集します!」という桑茶政策が行われました。
しかし耕作は思っていたより上手くいかなかったようで「やっぱり土地が必要になってきました。畑買います!」という事もあり、政策は中止になったようです。
政策によって東京に集まった人たちの「畑が無くなったら東京で生活する事ができないよ・・・」という心理が「ズンベラ節」の替歌で歌われたようです。
明治6年、明治7年頃に流行したとする書籍はこの推測からかも知れません。
(・・・替歌でも、歌詞に「東京」が出て来たのは初めて?!)
桑茶政策の経緯と、【誰かが努力が無駄にする例え】を感じる「ズンベラ節」の歌詞が重なる事が興味深いです。
不満が歌に表れはじめた時期?
明治6年から西南戦争が勃発する明治10年まで、世間では大流行する歌はあまり生まれなかったようです。
維新時のお祭り騒ぎを感じるような明るさが落ち着いて、「ズンベラ節」のような不満を訴える歌が登場します。
♪書生書生と軽蔑するな 明日は太政官のお役人
の「書生節」が有名ですが、
♪ひげを生やして官員ならば ネコやネズミはみな官員
の「官員唄」も記録に残っています。
※「官員唄」は楽譜も残っていないので、どのようなメロディで歌われていたのか分かりません。雑謡とひとくくりにする書籍もありますので流行の規模は大きくなかったと思われます。
・・・武家上がりの官員は一般人に偉そうな態度でふるまっていたようで憎まれ、行き場を失った武家は西郷隆盛を頼って西南戦争に。
欧米の列強国に追いつくために新政府が進めた明治ひと桁時代の近代化はあまりにも急速で、ついていけない人たちの心に様々なひずみを生じさせていたのだろうか?と感じます。
参考文献
『近世俚謡歌曲集』東京上野音楽会 編 盛林堂(1915年)