どんどん行かない「どんどん節」?
「さいこどんどん」は明治19年、20年頃に流行しました。
"さいこ"と見聞きすると"サイコ(サイコパス)"を連想しがちですが「さあ行こうどんどん」で「さいこどんどん」と思われます。
明治大正には「どんどん節」が何種類か流行しています。
"どんどん"のオノマトペからご想像される通り、たいていは前向きさや威勢の良さを歌っていますが「さいこどんどん」を聴いてもその勢いを感じません。
タイトルだけ見れば「レッツゴー!(さあ行こうどんどん)」ですが、【なぜか聴き手に前向きさを感じさせない曖昧さ】が「さいこどんどん」の面白さと感じます。
注)【三味線】藤本秀統の動画
日本の音楽は西洋と考え方が違う
「さいこどんどん」は音の響きでも【フワフワした感じ】があります。
「君が代」を聴いてなんとなく不思議な響きを感じるかもしれませんが、それと同じで耳が西洋音階に慣れてしまっているからのようです。
「さいこどんどん」は陰旋法、「君が代」は陽旋法。
日本特有の音階が聴き手に浮遊感を生む理由と思います。
『世界音楽全集 第19巻』の「さいこどんどん」の楽譜には下図のような謎の注釈が書かれています。
※陰旋音階=陰旋法のようです。
【音楽は主音で終わるが基本】ですが、昔の日本の音階はドレミではなく上図の「宮」と書かれているミが宮音(主音)になります。
聴いていて「なんとなく短調かな?」と思うのは、陰旋法と西洋の短音階を比較すると、2度の音が違うだけだからかもしれません(下図)。
音楽について勉強中ですが「1つの音が違うだけじゃないか」という話ではなさそうです。
音階が異なるだけで違和感が生まれる・・・音楽は奥が深いです。
個人的に「さいこどんどん」は【聴いた印象が違和感多め】ですが、明治時代の流行歌には外にも独特の響きを感じる作品があります。
”ズイトコキャイワイデモ”は清元「座頭」から?
4年前の明治15年に「さいこどんどん」の原型が誕生していたようです。
明治15年7月に出版された『絃場必携歌曲集 : 一名・芸妓之生命 後』の巻末に「サイコドンドン 二上り」が掲載されています。
<明治15年の「さいこどんどん」>
♪よせば能かった 舌切りすずめ
♪ちょいとなめたが コラヤアヤ 身のつまり
♪サイコドンドン
・・・現代に伝わっている「ズイトコキャイワイデモ」の文句も無く、物足りなさを感じる歌詞です。
明治15年の時点では「これから『さいこどんどん』が最新の流行歌になるかも?!」の赤丸急上昇の期待が込められて歌詞が掲載されたのかな?と妄想します。
明治19年9月に『はやり歌さいこどんどん 新板』が出版されています。
この書籍には現代に歌い継がれている歌詞も掲載されています。
<明治19年の「さいこどんどん」>
♪愛の千話ぶみナア 鼠にひかれ
♪猫をたのんで 取りにやる
♪チョイトコキャ エカテモ カマコトナイ
♪さいこどん〱〱
♪ササさいこどん〱
注)『はやり歌さいこどんどん 新板』(下図)より
後世に残った「♪鬼が金札取りに来る」の歌詞も掲載され、他の歌詞に「♪ズイトコキャ」が記載されています。
この「ズイトコキャイワイデモ」の意味が分かりませんでしたが、清元「座頭」の歌詞に登場する文句だったようです。
清元國惠太夫さんのサイトに掲載されている「座頭」の歌詞に「ずいとこきゃいっかな構うことはねぇ」という文句があります。(座頭(ざとう) | 清元曲辞典| 清元國惠太夫 OFFICIAL WEBSITE)
「(「座頭」の)作詞者は鶴屋南北の弟子・勝井源八」と書かれていますね・・・こちらも未知の世界、興味深いです。
明治15年から明治19年の間に、「座頭」の一節を取り入れたきっかけがあったのだろうと思います。
明治時代はテレビやラジオが無くても郵便(新聞・雑誌への投書)や鉄道など情報交換の手段が発展した時代です。
人や情報の行き来が活発になったことで【どこかの民謡が全国の流行歌になる】だけでなく、情報量が豊かになった分、「さいこどんどん」のように【異なる芸能とコラボする流行歌】が生まれやすくなった時代?と想像します。
そう考えると音楽に限らずネットでコラボしたりする令和も、発想が明治時代と根本は変わってないような気持ちになります。
参考文献
世界音楽全集 第19巻 - 国立国会図書館デジタルコレクション
絃場必携歌曲集 : 一名・芸妓之生命 後 - 国立国会図書館デジタルコレクション