ヒット曲けんきゅうしつ

なぜヒットする?は証明できないと思います。戦前戦中をけんきゅうちゅう。

「刃傷松の廊下」真山一郎(昭和36年、昭和37年)

流行時期(いつ流行った?)

 真山一郎(まやまいちろう)さんの「刃傷松の廊下」は、昭和36年(1961年)から翌年にかけてヒットしました。

 

 『ミュージックマンスリー』の月間ランキングによると、12月から翌年2月にかけてヒットしています。

 

<『ミュージックマンスリー』歌謡曲・月間ランキング推移>

年月 順位
昭和36年12月 19位
昭和37年01月 12位
昭和37年02月 18位

 

 最も人気が高まったのは1962年1月と思われます。

 

 


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注1)Release - Topicの動画(Provided to YouTube by King Records)

注2)ヒット当時の音源とは異なります

 

 

歌謡浪曲がブームになった頃

 「忠太郎月夜」(1959)から三波春夫さんは長谷川伸さんの『一本刀土俵入』や『沓掛時次郎』を題材にした歌謡浪曲で人気を集めています。

 

 ヒットした記録を見つけておりませんが天津羽衣さんの「お吉物語」(1960年発売)や鉄砲光三郎さんの「王将物語」(1961年)も発売されています。

 

 様々な歌手によって歌謡浪曲がレコード化され、ブームが起きていたのだろうと推測します。

 

 「刃傷松の廊下」のヒットは、この流れが存在していた事も理由のひとつと捉えています。

 

 

歌謡浪曲は台詞が魅力

 歌謡浪曲の音楽表現は、"歌唱よりもセリフが重要"と思っています。

 

 まるで役者の演技力で語られるセリフのおかげで、聴き手は歌の場面を容易に思い浮かべる事が出来ます。

 

 「刃傷松の廊下」のセリフは大げさに感じるかも知れません。

 

 『実際に、松の廊下で浅野内匠頭(長矩)が吉良上野介を斬り付けた場面をリアルタイムで目撃した人の心理、「これは大変だ!」と大慌てする心理』が描かれていると思います。

 

 梶川に制止され、吉良を討てない長矩の無念も語られています。こちらも本当にそうだったのではないか?と思うくらいの臨場感があります。

 

 

義理人情が描かれる歌謡浪曲

 「刃傷松の廊下」は、日本一有名なかたき討ちである"忠臣蔵"の一場面が描かれています。

 

 三波春夫さんは後に「俵星玄蕃」(正式名称:「長編歌謡浪曲 元禄名槍譜 俵星玄蕃」)(1964年発売)で、赤穂浪士の吉良邸討入りの場面を歌われています。

 

 義理人情を描くには歌謡浪曲の音楽表現とかたき討ちの美談は相性が良いようです。

 

 2022年の大河ドラマ『鎌倉殿の13人』で描かれたかたき討ち"曽我兄弟の仇討ち"を題材にした「曽我物語」(1961)もヒットしています。

 

 「曽我物語」では、兄弟にわざと仇の居場所を教える小舎人五郎丸の情けが歌われています。

 

 

美談の"かたき討ち"

 『鎌倉殿の13人』では曽我兄弟の討入りは、実際は後世に語り継がれる美談ではなかったのでは?と描かれていました。

 

 忠臣蔵も同じような視点で語られる事を見聞きした事があります。

 

 真相は分かりませんが、作品として美談のかたき討ちが誕生した事は、鑑賞する側に"美談を求める心理"が存在していたのだと思います。

 

 作品を鑑賞する事で自らの心が救われる、ヒット曲の大切な要素と思います。

 

 

曲情報

 発売元:キングレコード株式会社

 品番:EB-589

 

 A面

  「刃傷松の廊下」

  作詩:藤間哲郎

  作曲:桜田誠一

  演奏時間:3分24秒

 

  キングオーケストラ

 

 

 B面

  「番場の忠太郎」

  作詩:藤間哲郎

  作曲:桜田誠一

  演奏時間:3分49秒

 

  長谷川伸原作「瞼の母」より

 

  キングオーケストラ

 

 

参考資料

 「刃傷松の廊下」レコードジャケット

 『ミュージック・マンスリー』月刊ミュジック社