流行時期(いつ流行った?)
三島敏夫さんの「松の木小唄」は、昭和40年(1965年)にヒットしました。
ひと足先にヒットしていた二宮ゆき子さんの「まつのき小唄」とは歌詞が異なります。
『ミュージックマンスリー』の月間ランキングによると、2月に発売されたレコードは、3,4月にかけてヒットしています。
<『ミュージックマンスリー』歌謡曲・月間ランキング推移>
年月 | コロムビア 三島敏夫盤 |
キング 二宮ゆき子盤 |
昭和40年01月 | - | 14位 |
昭和40年02月 | 15位 | 4位 |
昭和40年03月 | 4位 | 1位 |
昭和40年04月 | 5位 | 3位 |
昭和40年05月 | 10位 | 4位 |
昭和40年06月 | 圏外 | 7位 |
昭和40年07月 | 圏外 | 13位 |
昭和40年08月 | 圏外 | 14位 |
洋楽では、ビートルズさんの「ロック・アンド・ロール・ミュージック」やベンチャーズさんの「ダイアモンド・ヘッド」がヒットしています。
注)三島孝夫 - トピックの動画(Provided to YouTube by Nippon Columbia)
(・・・三島孝夫?)
歌詞が異なる競作盤
「まつのき小唄」は前年10月から大ヒットしていた「お座敷小唄」に続いて登場しました。作者不詳の作品でドドンパのリズムを採用している事が共通しています。
最初に発売したキング盤が最もヒットしましたが、少し遅れて各社からレコードが発売されています。
テイチクでは「大阪エレジー」のB面(品番:SN-169)、東芝では朝丘雪路さん(TP-1054)、ビクターでは小桜姉妹さん、西田八郎さん(品番:SV-190)の歌唱で企画されています。
"各社競作"と言えますが厳密には違います。
「島育ち」(1963)や「東京五輪音頭」(1964)と異なり、レコード会社によって作詞者が異なるからです。
作曲者不詳のため楽曲の著作権はフリー。そのメロディに各社の作詞家が詞を手掛けたため歌詞が異なります。それぞれ別の作品となります。
これは珍しい事ではありません。日本語のカバー・ポップスや歌声喫茶の人気曲をレコード化する際も似た事が行われています。
流行りに便乗する積極的な姿勢がうかがえます・・・(^^;A。
歌詞に特徴を与えた日本コロムビア盤
不思議な事に「まつのき小唄」は、遅れて発売された三島敏夫さん盤も支持を集めています。
「お座敷小唄」とは異なります。1つのレコードに人気が集中せず、支持が分かれた理由は何だったのでしょう?
考えても分からない事ですが理由は色々と想像できます。
私のなかで最も有力な仮説は、三島敏夫さんの「松の木小唄」が他社とは歌詞が異なるからだと思われます。
他社の盤は本家のキング盤に追従したような類似した歌詞であると感じますが、三島敏夫さんの歌うコロムビア盤は歌詞に個性を感じます。
小林旭さんの俗謡シリーズ(「ズンドコ節」等)の作詞を手掛けられた西沢爽さんだから出来たのかも知れません。別作品と言っても差支えない印象を受けます。
もちろん"男性歌手が女心を歌う"という新しさ、"かつてマヒナスターズさんに在籍していた歌手"という理由も考えられます。
翌年にブームも生み出した「お座敷小唄」
1965年を迎えても「お座敷小唄」はヒットしています。当時の人気ぶりが相当高かった事がうかがえます。
「これは便乗しないと!」と各社が態勢を整えたからか、1965年上半期には歌詞が5,6番まである小唄のような作品、作者不詳の作品が目立ちます。
「アリューシャン小唄」や「網走番外地」、「女心の唄」などが該当します。
小唄ブームが起きていたのだろうと感じます。それだけ「お座敷小唄」の大ヒットは後の流行に影響を与えた作品だったのだろう、とも感じます。
三島敏夫さんの「松の木小唄」もドドンパのリズムで楽曲製作されていますが、3連符の部分で用いられている低音の音色が気になっています。
2番、4番の歌唱で聴こえて来ますが何かを削るような低音、楽器が何なのかずっと謎に思っています。
番号によって変化を与える編曲も凝っていると感じます。
曲情報
発売元:日本コロムビア株式会社
品番:SAS-436
A面
「松の木小唄」
作詩:西沢爽
採譜:三島敏夫
編曲:佐伯亮
演奏時間:2分48秒
コロムビア・オーケストラ
B面
「京の木屋町夢の夜」
作詩:西沢爽
作曲:狛林正一
編曲:佐伯亮
演奏時間:4分8秒
コロムビア女声合唱団
琴 米川敏子
コロムビア・オーケストラ
参考資料
「松の木小唄」レコードジャケット
『ミュージック・マンスリー』月刊ミュジック社