ヒット曲けんきゅうしつ

なぜヒットする?は証明できないと思います。戦前戦中をけんきゅうちゅう。

「涙をありがとう」西郷輝彦(昭和40年)

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流行時期(いつ流行った?)

 西郷輝彦さんの「涙をありがとう」は、昭和40年(1965年)にヒットしました。

 

 『ミュージックマンスリー』によると、4月に発売されたレコードは、5月~7月にかけてヒットしています(下表)。

 

<「全国のレコード店のえらんだ今月のベスト・セラーズ」ランキング推移>

年月 順位
昭和40年04月 10位
昭和40年05月 3位
昭和40年06月 4位
昭和40年07月 4位
昭和40年08月 10位

 

 


www.youtube.com

注)日本クラウン 演歌・歌謡曲 公式チャンネルの動画

 

 

記憶に残らなかったヒット曲?

 西郷輝彦さんのヒット曲として語り継がれているのは、デビュー曲の「君だけを」(1964)と「星のフラメンコ」(1966)です。

 

 1965年にヒットした「涙をありがとう」は、雑誌のランキングからその年を代表するヒット曲と言っても良いくらいです。

 

 当時をご存知の方は、「兄貴ー!」という叫びを耳にすれば、「何となく、そんな歌が流行っていたような記憶が。」と感じるくらい、流行していたと思います。

 

 記録上は、西郷輝彦さんの代表曲にも該当すると推測されるのですが、後世のテレビの歌番組では、耳にした記憶がありません。カラオケの歌詞本に収録されていたのを見た記憶も無く、私は雑誌ランキングでこの曲の存在を知りました…(^^;A。

 

 "西郷輝彦さんの作品=女学生に恋心を抱く心理を歌う"というイメージが強く、兄弟愛を題材にした「涙をありがとう」は、なかなか思い出せない作品となっているのかも知れません。

 

 

あまり見かけない主題・"兄弟愛"

 「涙をありがとう」は兄を想う弟の心理が描かれています。このテーマが実話である、と何かの記事で見た事があります。

 

 しかし、確証できる文献を見たことはありません。

 

 おそらく、当時のアイドル情報誌『平凡』に、その真相が掲載されているのだろうと推測されます。

 

 このレコードには"雑誌平凡募集「西郷輝彦の唄う歌」当選作"と印字されているからです。

 

 1960年代には"雑誌で歌詞を募集する"という、今でいうタイアップ企画が存在しています。

 

 この作品も一般公募だったようですが、流行歌ではめったに主題になる事の無い"兄弟愛"を表現した作品が当選したのか?は気になります。

 

 

画期的なタイトル

 「涙をありがとう」は、西郷輝彦さんが備える"男らしさ"を別の角度から描いた作品であると感じます。

 

 「君だけを」のヒットで築かれた"初恋を連想させる青春歌謡"と比べても、歌詞で描かれる"心の純粋さ"が共通しているため、違和感がありません。

 

 当時のヒット曲では、"涙=悲しい"という暗黙の価値観が存在しています。そのため、悲しい出来事に対して"ありがとう"という感謝、プラスの心情を結び付けたタイトルが画期的な表現であると感じます。

 

 タイトルだけを見ると「涙に対してありがとう?どうしてだろう?」と感じますが、聴いてみると曲調も明るく、悲しみを乗り越えようとする主人公の前向きな気持ちが描かれている事で納得できます。

 

 別れてからも感謝の気持ちが勝る出会いというのは、なかなかありません。

 

 ヒット曲でもこういった心理を描いた作品は、他にあまり思いつきません。残された弟の「これからも頑張ろう!」という想いも感じる良い作品と感じます。

 

 

曲情報

1965年 年間10位(邦楽)

 

 

レコード

 発売元:クラウンレコード

 品番:CW-275

 

 A面

  「涙をありがとう」

  英題:NAMIDA O ARIGATO

  作詩:関根浩子

  作曲:米山正夫

  編曲:小杉仁三

  演奏時間:4分3秒

 

  クラウン男声合唱団

  クラウン・オーケストラ

 

  雑誌平凡募集「西郷輝彦の唄う歌」当選作

  日活映画「涙をありがとう」主題歌

 

 

 B面

  「君はピンクのカーネーション」

  英題:KIMI WA PINK NO CARNATION

  作詩:米山正夫

  作曲:米山正夫

  編曲:小杉仁三

  演奏時間:3分21秒

 

  クラウン女声合唱団

  クラウン・オーケストラ

 

 

参考資料

 「涙をありがとう」レコードジャケット

 『ミュージック・マンスリー』月刊ミュジック社