ヒット曲けんきゅうしつ

なぜヒットする?は証明できないと思います。誤字はちょっとずつ修正します。

「横須賀Baby」T.C.R.横浜銀蝿R.S.(昭和56年)

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流行時期(いつ流行った?)

 T.C.R.横浜銀蝿R.S.さんの「横須賀Baby」は、昭和56年(1981年)にヒットしました。

 

 「横須賀Baby」はデビュー曲です。1980年9月下旬発売されましたが、最も人気を集めたのは半年後、1981年3月下旬です。

 

 セカンドシングル「ツッパリHigh School Rock'n Roll(登校編)」(1981)がヒットしていた時期になります。

 

 

 正式なグループ名はTHE CRAZY RIDER 横浜銀蠅 ROLLING SPECIALです。オリコンでは、頭文字を取った"T.C.R.横浜銀蠅R.S."が採用されています。

 

 


横須賀Baby / TCR横浜銀蝿RS

注)YouTube に使用を許可しているライセンス所持者 KING RECORD CO., LTD.(KING RECORDS の代理)

 

 

 オリコンランキングでは、トップ10入りはしていません。

 

 1980年代前後はテレビ番組とヒット曲が密接な関係にあり、視聴者の投票による『ザ・ベストテン』のランキングも存在しますが、こちらでもランクインしておりません。 (個人的には、一番良い曲と感じているのですが…(>_<)。)

 

 

"ツッパリ"の生き様を描いた曲

 横浜銀蠅さんは表現した音楽やルックス、グループ名、どれを取っても時代を象徴する存在であると感じます。

 

 1980年代の若者に人気を集めた"不良"の代名詞です。大人からすれば、「良くない」という意味で"不良"と表現しますが、自分たちは”ツッパリ”と表現しています。

 

 近藤真彦さんの曲にも登場する"ツッパリ"は、当時の若者の流行語です。良い悪いで決めつける大人の価値観に対して、"違和感のある事には違う"と指摘する自分たちの事を、ユーモアも交えて言い表した、良い表現と思います。

 

 

 歌では、何らかの理由で別れを決意する心情が描かれています。慣れ親しんだ街を離れる決意と、その街での様々な想い出について多く綴られています。

 

 想い出と言っても土地に対する愛着はほとんど触れられていません。ご当地で歌われるのは、"ディスコティックサンタナ"と"どぶ板通り"です。当時を知る地元の方でなければ分からないようなスポットで、ツッパリが集まる場所だったようです。

 

 歌詞では数少ない理解者である友人(ダチ公)について多く語られる印象を受けます。

 

 主人公が最も大切にしているものは"友情"である事がよく分かる歌詞です。

 

 1960年代に舟木一夫さんの歌で描かれた主題と同一であると思います。…1980年代になって、若者を取り巻く環境もかなり変化した、とも想像できます。

 

 

若者が減った?理解者が減った?1980年代の日本

 若者が世間に背く態度や行動を見せた時、必ず否定や批判はされます。

 

 "世間"を"会社"に置き換えれば、流行りドラマのような感じになりますが、今も昔も、若手に対する理解者は少ないものです。

 

 1970年代後半から、「言いたい事が理解されない、否定されるという状況で、心が追いつめられた孤独な若者」が主人公になる作品が登場し始めます。

 

 非行がテーマの作品です。杉田二郎さんの「ANAK(息子)」(1978)が第1号と思われます。

 当時、社会問題と扱われていたようで、レコードに限らず、ドラマや小説でも反抗する若者を題材にした作品が人気を集めています。

 

 純粋さを持って良し悪しの判断を考える若い世代は、行動を起こす事があります。安保闘争(1960年、1970年)が象徴的ですが、当時は政治に対する異議や反戦を訴えるデモに参加する行動につながっていたと思われます。

 

 しかし経済成長を経た1980年代の日本は、物質的に豊かとなった事で、若者が世の中と闘う意識は薄れたようです。

 

 昔であれば、似たような境遇の若者が他にもいて、お互いを慰め励まし出来たのでしょうが、この年代からは、そういった存在が少なくなった、と推測されます。

 

 

80年代前半、若者に支持された”ツッパリ”

 世間から「良くない。」と思われる存在として見られながら、あえてそういった目で見る人たちを遠ざけるようなファッション(リーゼントやスカジャン)を身にまとい、当事者として心情を表現した横浜銀蠅さんに支持が集まったのは興味深いです。

 

 横浜銀蠅さんだけでなく、他の歌手もツッパリの自己表現を取り入れた作品を発表し、波及した点が面白いです。

 

 "実は、同じ気持ちの若者がたくさん存在していた"、と証明しているように感じるからです。

 

 1982年には、子猫に特攻服を着せた”なめ猫”がブームとなったりしています。

(何でもカワイイ化する日本の若者文化は、最近のものだと思っていましたが、この時期にすでに存在していますね…(^^;A。)

 

 

 1980年代後半に、「六本木純情派」(1986)で描かれるような本当に行き場を失った孤独な若者が描かれ始めます…。尾崎豊さんや長渕剛さんが人気を得始める時期です。

 

 

"人気者"になると、他の作品も売れてしまう

 それまで無名だった歌手が、何かの楽曲で人気を集めると、他の作品も人気を集める事があります。

 

 「ツッパリHigh School Rock'n Roll(登校編)」がヒットしたから、前作の「横須賀Baby」も売れる。

 

 「…それは当然だろう。」と思いますが、この現象が目立ち始めるのは1980年代に入ってからです。

 

 

 「ルビーの指環」(1981)がヒットした寺尾聰さんや、チェッカーズさんは、今でも語り継がれるような、印象的な記録をヒットチャートに残されています。

 

 「この曲が売れたから他の曲も売れた」とか、「ベストテンに何曲もランクインした」と言ったエピソードです。

 

 

 「聴き手が、"曲"ではなく"歌手"に関心を持ち始めたのかな?」と考えてしまいますが、違うと思います。世の中が変わっても、人の心は容易に変わりません。

 

 私は「レコードが高価なものでは無い時代になった。」、「興味を持ったグループのレコードが、店にいけば売っている時代になった。」と解釈しています。

 

 消費者に充分供給できる生産体制が整い始めた時代になった事を示していると思います。それに伴い、ヒットチャートがおかしくなり始める時代も始まります…。

 

 

曲情報

 発売元:キングレコード株式会社

 品番:KO7S-36

 

 A面

  「横須賀Baby」

  作詩・作曲・編曲:横浜銀蠅

  演奏時間:2分55秒

 

 B面

  「ぶっちぎりRock'n Roll」

  作詩・作曲:タミヤヨシユキ

  編曲:横浜銀蠅

  演奏時間:2分2秒

 

  TAKU(Bass)

  嵐(Drums)

  翔(Vo., Guitar)

  JOHNNY(Lead Guitar)

 

 

参考資料

 「横須賀Baby」レコードジャケット

 『ザ・ベストテン』ソニー・マガジンズ

 「You大樹」オリコン