流行時期(いつ流行った?)
TOP50(フランスのオリコン的ヒットチャート)のランキングによると、J.P. Audin and Diego Modenaさんの「Song Of Ocarina」は、1991年11月初旬から1992年3月末にかけて、5か月の間ヒットしています。
当時は民族音楽を題材にした作品、それも演奏曲は異色だったためか、何週間も連続して首位を獲得するほどの支持は集めていません。
しかし、1月中旬と2月初めに飛び飛びで首位を獲得しています。ランキング推移を見ると、どちらかと言うと1992年の方がヒットの規模が大きいようです。
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同時期に日本で流行っていた曲(1992年1、2月)
大事MANブラザーズバンドさんの「それが大事」やとんねるずさんの「ガラガラヘビがやってくる」、浜田省吾さんの「悲しみは雪のように」が首位を獲得しています。
今井美樹さんの「PIECE OF MY WISH」やZOOさんの「Choo Choo Train」、バブルガム・ブラザーズさんの「WON'T BE LONG」、楠瀬誠志郎さんの「ほっとけないよ」などがヒットしています。
年始という事もあり、前年のヒット曲も多くランクインしてにぎやかな印象を受けるランキングです。
踊るための音楽?聴くための音楽?
日本でヒーリングミュージック(癒し系)が流行するのは、1990年代末です。「Song Of Ocarina」を聴くと、ついその分野の音楽を連想していまいますが、動画の映像を見ると、ダンス用の音楽として支持を得たようにも思えます。
作品を聴くと、パンフルート(サンポーニャ)やオカリナといった南米のアンデス地方の民族楽器の音色が印象に残ります。この楽器の音色は、日本人の私が聴いてもなぜかノスタルジックな気持ちにさせてくれます。
曲を盛り上げるようなリズムが終止刻まれ続けていますが、もしかしたら、聴くための音楽としても支持を集めたかも知れません。
「Song Of Ocarina」はランキング順位が上がったり下がったり、少し不安定な推移をしている作品と感じます。
その順位変動の背景には、特定の層による支持だけにとどまらず、幅広い層から支持を少しずつ集めてヒットしたのではないか、と想像させてくれます。
CDバブル後の時期に登場した作品
フランスでは1980年代後半が、日本で言う小室哲哉さんプロデュースのサウンドが流行していました。
日本ではその時期の作品がユーロ・ビートとして輸入されて、女性歌手の間で日本語カバーが流行したと考えられます。このジャンルの作品は、テンポが早く、シンセサイザーを用いた派手な演奏が特徴です。
不思議な事に、1980年代後半のフランスのレコード売上枚数は、他の年代に比べてかなり高い水準だったようです。これも日本で言う1990年代のCDバブル期と重なります。
もしかして、ユーロビートには聴き手にCDを購入させる心理作用があるのかな?と、つい安直な連想をしてしまいます(^_^;A。
「Song Of Ocarina」がヒットした時期は、そういったシンセサイザーの音楽の流行が落ち着き、同時にCD売上も低迷しつつあった時期に登場しています。
生の楽器の演奏をメインにしたスローテンポの「Song Of Ocarina」のサウンドは、機械加工の音楽に耳が慣れてしまった人たちに、新鮮な印象を与えた事と思います。
楽曲分析
「バンドプロデューサー5」の分析では、「Song Of Ocarina」は出だしは、Cマイナー(ハ短調)です。 サビの部分が並行調のE♭メジャーに転調しているようです。
参考資料
TOP50(http://www.chartsinfrance.net/)
「you大樹」オリコン
『Ocarina』CDジャケット
「バンドプロデューサー5」