1990年代中期~2000年に好まれたフレーズ
歌詞の中で“時代”が登場する作品は、1990年代中頃~2000年に目立ちます。
「学生時代」や「青春時代」、「同棲時代」や「少年時代」のように、自分自身の人生のなかの季節で用いるのではなく、自分が生きている世の中を「時代」と表現する作品が多く見受けられます。
20世紀から21世紀、1900年代から2000年代と、視覚でも明確な線引きを感じられた事が理由かも知れません。特に、ミレニアムと言われた千年単位の変化は心理に与える影響が大きかったのかも知れません。
その時がやってくるのを待つしかない1990年代には、世紀末を思わせる価値観として「時代」が用いられています。
1990年代の前半には見かけない価値観です。
主なヒット曲で「時代」を用いた作品は下記の通りです。どうも自分が生きる時代を良い時代であると捉えていない価値観がうかがえます。
<歌詞に「時代」が登場する主なヒット曲>
年 | 曲名 | 歌手名 | 表現 |
1995 | 【es】~Theme of es~ | Mr.Children | 何が起こってもおかしくない時代 |
1996 | マシンガンをぶっ放せ-Mr.Children Bootleg- | Mr.Children | 正義も悪もない時代 |
1997 | WHITE BREATH | T.M.Revolution | こんなに寒い時代 |
1998 | つつみ込むように… | Misia | 誰も満たされぬ時代 |
1998 | BE WITH YOU | GLAY | 癒されない時代 |
1999 | Garden | Sugar Soul feat.Kenji | 空気も蝕まれそうな時代 |
1999 | A・RA・SHI | 嵐 | 悲惨な時代 |
2000 | 楽園 | 平井堅 | 壊れ逝く時代 |
2000 | SEASONS | 浜崎あゆみ | 不自然な時代 |
もちろん、KinKi Kidsさんの「硝子の少年」やCHEMISTRYさんの「PIECES OF A DREAM」のように、“時代”を自分の人生の季節として用いている場合もあります。
しかし、当時のヒット曲を聴いた印象では、上記の価値観を聴き手に連想させる作品が多い気がします。
時代という単語は登場しませんが、鬼束ちひろさんの「月光」も、自らの境遇を嘆く悲観的な心理は、時代をネガティブに捉える価値観に共通しているように感じます。
なぜ、“こんな時代”と思うのか?
理由は、テレビが発信する情報です。上記の表のなかでは、「マシンガンをぶっ放せ-Mr.Children Bootleg-」や「A・RA・SHI」で歌われています。
その、テレビに依存する心理?が描かれている作品もいくつかあります。
<テレビを連想させる表現のあるヒット曲>
年 | 曲名 | 歌手名 |
1996 | ら・ら・ら | 大黒摩季 |
1996 | JAM | THE YELLOW MONKEY |
1999 | サバイバル | GLAY |
2000 | ナンダカンダ | 藤井隆 |
2002 | 光 | 宇多田ヒカル |
2002 | もらい泣き | 一青窈 |
この中で最もインパクトのある表現をしているのは、THE YELLOW MONKEYさんの「JAM」と思います。単に自らの孤独を紛らすためにテレビを点けるのではなく、流れてくる情報が加工された内容である事を理解した上で葛藤する心理が表現されているからです。
この時代は、なぜかテレビもあまりいい印象で表現されていません。
携帯電話、Windowsのパソコン(インターネット)という新たな電子機器がコミュニケーションツールとして誕生した時代で、若い世代でも、たまごっちがブームになるくらい電子機器に対する好奇心はありながらも、それを通した触れ合いに対しては、心のどこかで抵抗を感じていたのかも知れません。
また、この時代の表現では、"欲しいものがたくさんある"とか、“本当に欲しいものは無い”といった価値観も登場します。この心理表現も、時代をネガティブに捉えた表現と考えています。
"~して欲しい"という表現は昔から存在しますが、“自らの欲望”という意味を帯びた表現に感じるからです。こちらは別の機会に、考えようと思います。