流行時期(いつ流行った?)
小林旭さんの「自動車ショー歌」は、昭和39年10月に発売されました。昭和3、40年代の作品では、珍しく知名度の高い「自動車ショー歌」、当時の音楽雑誌の月間ランキングに記録されていました。
集計日付 | 順位 |
昭和39年10月 | 19位 |
昭和39年11月 | 20位圏外 |
昭和39年12月 | 20位圏外 |
昭和40年1月 | 15位 |
昭和40年2月 | 17位 |
※『ミュージックマンスリー』の歌謡曲部門のランキング推移
注)YouTube に使用を許可しているライセンス所持者 NIPPON CROWN CO., LTD.(日本クラウン株式会社 の代理); Muserk Rights Management、その他 1 件の楽曲著作権管理団体
自動車メーカーの会社名を意味が通るように歌詞に充てはめる、という奇抜なテーマだった事が影響したようで、流行り方としては、大ヒット!というのではなく、目立たない順位で推移しています。
普通のヒット曲であれば、ランキングの圏外に順位が落ちると、そのまま消えてしまうのですが、なぜか「自動車ショー歌」は、翌年の昭和40年に入ってから再びランクインしています。
もしかしたら、それほどの枚数をプレスしていなかったのかもしれません。予想外に人気があって、追加生産した結果、再びランクインしたとも思えます。
結果的には初のチャートインから4ヶ月後も支持されています。時が経つにつれて、作品の面白さが受け入れられたようなランキング推移です。
最高順位は低いながらも、少しずつ支持され続けてロングセラーとなったと推測されます。
奇抜な企画
この作品だけで考えると、『どうして小林旭さんは「自動車ショー歌」を歌ったの?』と感じてしまいます。しかし、この作品の前に、山手線の駅名を歌詞にちりばめた「恋の山手線」を発売され、ヒットしています。
「自動車ショー歌」は、「恋の山手線」のヒットを反響から、『同じ感じの作品を作ろう!』と企画された作品であると感じます。
“山手線の駅名”の次に、“自動車メーカー名”を題材にしたところは興味深いです。
新幹線が開通したのが、「恋の山手線」がヒットした昭和39年ですので、“東海道新幹線の駅名”で歌を作る発想もあったと思います。
しかし、鉄道でシリーズ化するのではなく、乗り物という発想からか自動車が題材に変わっています。
移籍前と移籍後
小林旭さんは日本コロムビアに所属する歌手でした。その後、日本コロムビアさんから独立する形で創設された日本クラウンさんに移籍しています。
実は「恋の山手線」が日本コロムビアの作品で、「自動車ショー歌」は移籍先の日本クラウンさんから発売されています。
聴き手にとっては、この2曲を連続した企画作として認識しますが、発売された会社が異なります。
移籍前にヒットした曲の企画を踏襲して、新曲を製作した事は不思議に感じます。
移籍前のレコード会社からすれば、あまり良い気はしない事と思います。それに、移籍先で似た作品を製作するのであれば、所属会社を変える理由は無かったのでは?と考えてしまいます。
「バンドプロデューサー5」の分析では、「自動車ショー歌」はE♭メジャー(変ホ長調)です。
曲情報
1964年 年間76位、1965年 年間51位(邦楽)
レコード
発売元:日本クラウン株式会社
品番:CW-170
A面
「自動車ショー歌」
作詞:星野哲郎
作曲:叶弦大
編曲:重松岩雄
演奏時間:2分40秒
宮間利之とニューハード・オーケストラ
B面
「ほらふきマドロス」
作詞:星野哲郎
作曲:叶弦大
編曲:重松岩雄
演奏時間:2分56秒
宮間利之とニューハード・オーケストラ
参考資料
「自動車ショー歌」レコードジャケット
「恋の山手線」レコードジャケット
『ミュージックマンスリー』月刊ミュジック社
「バンドプロデューサー5」