ヒット曲けんきゅうしつ

なぜヒットする?は証明できないと思います。誤字はちょっとずつ修正します。

「セレソ・ローサ」ペレス・プラード楽団(昭和30年)

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 『ダンスと音楽』に掲載されている昭和2、30年の洋楽ヒットチャートを眺めていると、「マンボ・なんとか」、「なんとか・マンボ」と名付けられた作品が数多く登場する時期がある事に気付きます。

 

 ラテン音楽のひとつである“マンボ”が、当時、アメリカでかなりのブームとなっていたようで、輸入されるレコードを通して、日本でも人気となったようです。

 

 昭和30年のヒット曲、「セレソ・ローサ」もマンボの作品です。原曲はフランスのシャンソンで、元々ルンバだった作品を編曲されたようです。

 

 レコードジャケットの解説を読むと、マンボというのは、キューバの音楽家であるペレス・プラードさんが考案された音楽スタイルのようです。

 レコードジャケットの解説では、「プラド自身は“マムボ”はラテン・アメリカのリズムとジャズのハーモニーが融合して誕れたものであると説明してゐます。」と表現されています。


 

集計日付 順位
昭和30年4月 11位
昭和30年5月 3位
昭和30年6月 1位
昭和30年7月 1位
昭和30年8月 1位
昭和30年9月 3位
昭和30年10月 4位
昭和30年11月 7位
昭和30年12月 圏外
昭和31年1月 16位

 ※『ダンスと音楽』SP盤の売上ランキング推移

 

 6~8月に3ヶ月間首位となっています。年明け1月に再びランクインしていますので、昭和30年を代表するヒット曲であると感じます。

 「セレソ・ローサ」は大ヒットしたことでマンボの代表曲となりました。「スコキアーン」もヒットしており、日本でマンボ・ブームが発生したのは、昭和30年だったと考えらえます。

 

 昭和27年に、ザヴィア・クガート楽団さんの「マムボ第五番」がヒットし、その影響を受けて、美空ひばりさんも「お祭りマンボ」を発売されていました。

 昭和27年にもマンボブームがあったと考えられますが、3年後の昭和30年の方が、流行の規模が大きかったと考えます。

 

 

 ペレス・プラードさんのマンボは、テンポの遅い、のんびりとした作品が多いです。金管楽器のにぎやかな演奏が印象に残りますが、スローな曲調はマンボに加えて、スビーという音楽表現を取り入れているためだそうです。

 

 スビーについては明確な定義は分かりませんが、キューバやメキシコの民族音楽のようで、「セレソ・ローサ」の作風について、“新型式スビー風のマムボ”や“マンボ・スビー”と解説に記載されています。

 

 ペレス・プラードさんの作品は、スロー・テンポで演奏され、トロンボーンの音色にはコミカルさも備わっているためか、昭和40年代後半にはドリフターズさんのコント番組で「タブー」が加藤茶さんのギャグのBGMとして用いられました。

 

 とんねるずさんの「雨の西麻布」の歌い出しにも“マンボ!”というフレーズが登場しますが、現在の日本でマンボというと、お笑いの要素を備えた音楽として広まっているように感じます。

 “マンボ”という名称や作品が備えるラテン音楽の陽気さが、コメディアンにとって題材にしやすかったのだと感じます。

 

 バンドプロデューサーの分析では、「セレソ・ローサ」はE♭(変ホ長調)。マイナーな雰囲気に感じるフレーズもあります。

 

 

曲情報

 発売元:ビクター株式会社

 品番:SS-1056(EP盤)

    S-131(SP盤)

 A面

  「セレソ・ローサ」

  原題:CEREZO ROSA

  演奏時間:2分56秒

 

 B面

  「巴里でマンボを」

  原題:MAMBO DE PARIS

  演奏時間:2分55秒

 

 

参考資料

 「スコキアーン」レコードジャケット

 「セレソ・ローサ」レコードジャケット

 『ダンスと音楽』ダンスと音楽社